2020年9月24日木曜日

園長神父さんの修道者名のお祝い日。パチフィコ。元気で頑張って下さい

                                                       
ホームの園長さん、山内神父さん。修道者の名前が「パチフィコ」と言います。今日が、そのお祝い日です。今朝のミサで祈り、昼食時に、ホームの皆さんから、お祝いを受けました。喜びのコメントする園長神父さん。ご苦労も多いでしょう。園長を勤めて、14年になる。84歳で、ホームの皆さんと一緒です。
★「パチフィコ」の名前の由来の説明がなかった。修道服を着衣するとき、修道者名を貰います。修練長神父さんから、名付けてもらいます。当時は、着衣者も多かったので、修練長も、名前を付けるのに考慮したでしょう。「フランシスコ」や「ヨゼフ」「ペトロ」などは、呼びやすい名前で、なかには「アダム」というのもあった。
★「パチフィコ」は、アシジの聖フランシスコが修道会を創立した時の最初の仲間12人のうちの「兄弟パチフィコ」で、詩人だった、と聞いたことがある。
★山内園長さんは、長崎県の黒島出身。黒島はカトリックの島で、レンガ造りの立派な天主堂がある。その天主堂の前に、園長さんの家があった。子供の頃は、毎朝、ミサの奉仕をして、天主堂の庭で遊び、信仰のうちに育った。聖母の騎士中学に入ったのが、司祭への道となった。イタリアに留学し、ブラジルにも宣教に行った。
★園長さんのアタマは、ツル、ツルに光っているが、黒髪が、フサ、フサ、していた時代もあった。健康に気をつけて、庭の空気を吸ったり、運動をしたり、体操をしたり、体力・保持に努めている。ホームの皆さんの朝食、昼食、夕食のときに、必ず食堂に来て、食卓を回り、声を掛けるのがお勤めです。
★「長」たる者は、どこの場所の「長」でも、良く言われたり、批判されたり、文句を言われたり、必ず有るものです。人間は、限度がありますからね。でも、地道に頑張れば、周りの者は必ず理解し、認めるでしょう。

2 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2020年9月24日 15:53

    パチフィコ山内園長神父様
    修道名記念日おめでとうございます。
    感謝のうちに

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  2. がぶらってぃ2020年9月24日 21:18

    園長パチフィコ山内神父さん、
    記念日おめでとうございます。
    トマさん、ご紹介と写真の共有を
    ありがとうございます。

    おっしゃるとおり、14年もホームの園長を
    続けられるのには、大変なご苦労があろうと
    思います。介護に関する法令や手続きなども、
    この14年で何度も変更があったように思います。

    時代や環境の変化が大きい中でも、
    介護の喜びあふれ、職員が長く勤められる
    安定した施設を護り治めてこられた
    山内神父さんに、さらなるご健康と
    ますますのご発展がもたらされますよう
    お祈りいたします。

    黒島とがぶらってぃは10代で出会いました。
    合唱曲・十字架の島をコンクールで歌った経験
    から始まりました。

    信徒として歌えた機会を使命として喜び、
    その後、長い間、天主堂訪問を願っており
    ましたが、結局 黒島へ上陸できたのは、
    それから15年を経てからでした。

    当時は今ほど情報をとるのが簡単では
    ありませんでしたので、港についてから、
    天主堂までは簡単に歩ける距離ではないと
    知りました。傲慢さを突きつけられました。

    港で出会った第一島民に助けられ、
    教会で出会った第二島人に港まで送られて、
    心身共に道を見失っていたがぶらってぃは、
    正しく戻されました。

    この黒島訪問は、外海を経由する一連の
    移動の中でした。暮らしの中で迷い、
    抱えた困難の根本を見ず、ただ汚れて
    疲れきっていたがぶらってぃに主の心は示され、
    戻るべきところへ帰れた赦しの道程でした。

    信仰が生きている場に身を置くのは救い、
    と実感し、神を信頼して信仰の旅を続ける
    力を取り戻しました。あの訪問がなければ、
    がぶらってぃは今でも埋まらない空洞を
    心に抱えたままであったろうと思います。

    今日は、トマさんと山内神父さんに
    ジンクーエン。孤独の毒を振り返る縁を
    いただきました。
    BGMは[主よ、われら今 ここにあり]です。

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