★今朝、ミサの始めに、「今日は、聖マタイ使徒福音記者の主日です。また敬老の日になっている。旧約聖書によれば、長生きはお恵みです」と司祭の報告があった。長生きしている老人に何を説くか、これは難しい。ヒト・クセ、フタ・クセ、なければ生きられない。介護の詰所に、トマが書いた字が貼られた。「あなたの人生、すばらしい」。肯定し、受け止めようじゃないか。「喜びも涙も、こころの宝」。そりゃ、人生、いろいろ有るさ。乗り越えてこそ、今が、ある。★昼食は、「ちゃんぽん」だった。写真が、長崎ちゃんぽんです。たこ焼きも付いていた。ミカンも、そろそろ出て来るね。老人は「最近、食が細くなった」と、ズバリ言われると、ちょっと気になる。食べない事から人間は老いて行くのです。しっかり食べよう。★もう1つ、あるね。老人になると、よく「ものが、無くなる」との声を聞く。自分が忘れたのか、勘違いか。「小崎さんも、ありますか?」と問う者がいた。「ありますよ。母から貰った形見の、大切なものを失くした」「そんな時、小崎さんは、どうしますか?」「探しても、見つからなければ、あきらめるね。だいたい、『もの』は、いつか無くなるし、壊れてしまうと思っている。どこかに有るんだろうけど、縁が無かったんだね。こだわらないよ」。実は、失ったのは、母の形見の「ロザリオ」貴重な遺品だった。今は代わりの木製のロザリオを使っている。
★「ドロ靴は、気にならん。ピカ、ピカの靴。少しでも、よごれると、気になる。よごしたくない。それが、ニンゲンの、こころ、や」
この日記が投稿される前の夜、
返信削除どういう繋がりか、聖なる知らせか、
ワサお母様のロザリオについて思い、
祈りをもって休みました。
丁度良い時にロザリオはまた表れて、
トマさんに再会の喜びをもたらすことでしょう。
消えていなくなる訳がありません。
きみまろ弁考察は、愉快に学び取りました。
確かに、暮らし・生活の重さがない二人には、
「あなた」「なぁに」で済んでいるのでしょうし、
時の流れだけでなく、生活の蓄積によって、
呼び方が「おまえ」に、さらには「お茶」と
体言止めになっている以上、
反応も見合ったものになるのでしょう。
生活の場で、互いの尊厳を大切に暮らし続ける
のには、まずは自分自身が意識をもって
いないと、と実感します。崩れがち、
おろそかになりがちなところです。
雑多な暮らしのあれこれの中にあっても、
ピカピカの心を汚さない努めが
科せられているとわかります。
ついつい流されるのも人間です。
“大切”の心で、どういうはたらきをするか、
振り返り、行動に落とし込んで進みます。
「あなたの人生すばらしい」の言葉を素直に
受けて、自分を赦して立つためにも、まずは
今日のヨゴレは今日のうちに。ですね。