2019年6月6日木曜日

スズメのネグラを発見したぞ。子育てして、面倒みて、エライなァ

いつも、スズメが、廊下の外を、うろ、ちょろ、動きまわる。気になって、仕方がない。テレビに出たスズメと違って、カラダが、ほっそり、している。「子どもか、な」そんな思い。いつも2羽寄っている。チュン、チュン、かわいく鳴くスズメ。巣は、どこに有るのだろう。興味が湧きますよ。ジーッと、スズメを見詰める。どこに、ネグラが有るのか、子育てしているのか分からない。それが、ついに分かったのだ。ああ、あんな所か、と思わせる場所が目の前にあった。秘密のお家だ。
★「やったァ、見たぞ、わかったぞ、あんな場所だったのか。あそこなら誰でも行けないなァ。いいネグラ、お家を探したよ。スズメはエライな。ちゃんと、わかるんだな」。隠れ場所は、見ている廊下の窓のすぐ下の、思いもしない所だった。少し出た柱の裏側だね。赤い矢印の所から、スズメが出て、飛び立つのを見てしまった。どうして、こういう場所を探し充てるのだろう。安全で、温かいネグラを作れるのだろう。小さなカラダなのに、ピク、ピク、生きている。アタマは働いている。エライよ。
★それに比べて人間社会は狂っていないか。間違っていないか。スズメに笑われるぞ。子どもが巣立つまでは、責任を持って育てて、一人前のスズメにして送り出している。子孫を残さないと、スズメの範囲が狭くなってしまう。何も論じないのに、子孫を残していく。生まれた子どもたちは、もう、この家には帰らないのだろう。新しく自分の家を探し、作り、相手を見つけて、また子供をつくる。親には頼らない。
★上の3枚の写真は、部分的で、全体がよく分からないので、もう1枚つけ加えよう。3階の廊下の窓から見える風景です。2階の屋根ですね。白く、だ円のポツ、ポツは、廊下の明かりを取る部分だね。下は居室になっている。
★いつもスズメが止まるのが、①の所です。②が巣、家になる。③は巣を出たスズメです。こんなに丁寧に書けば、全体が理解できるでしょう。こんな事を書くのも楽しいよ。スズメに励まされ、慰められているボクだからね。チイ、チイ、聞こえるのはスズメの鳴き声さ。イノチの喜びを歌っている。告げている。「おまえも、ボサーッと、するな」と諭している。「ハイ、ハイ、わかりましたよ。がんばります。ありがとう」

2019年6月5日水曜日

エレベーター拡張工事の真っ最中。2階への昇降がタイヘンです

エレベーターの拡張工事の場所。3階の広い空間を大きく囲って、デカイ・ホースからセメントを流し込んでいる。振動の音が激しいです。工事のため、階段を使えず、遠回りの階段を利用して昇降している。完成が待ち遠しい。
★昨日は午前中、車で20分ほどの歯科医院へ診療に行った。歯科衛生師が、歯のレントゲンを撮り、歯の清掃、歯茎の調べなど行なってくれる。女性の医師が、尖った歯を少々削った。約1時間20分を要する。丁寧に歯を管理してくれる。ありがたい。自分の歯だからね。入れ歯は無い。歯を大事にするのは健康につながる。
★問題は、足です。今朝、ミサのとき、右足のヒザの裏側の1本の太い筋に、急に弱さを感じた。チカラが抜ける。左の方は、まだ大丈夫。右が、危うい。席から、聖体拝領時の祭壇まで、正常に歩けるか、不安になった。「どうしたのか、もう限度か」。それでも、何とか、ふらつきながら歩いた。高原修道士が心配そうに見ているのが、自分でもはっきり分かった。ヒザの痛みではなくて、筋力が低下している。「リハビリの方法」は無いものか、と考える。毎朝、両方のカカトを20回上げ下げする。腰を落として中腰にして、これも20回。ヒザ裏の筋力低下が気になる。歩くのを確かな行動にしたい、その希望があります。
★エレベーターの工事は、動作に苦慮を感じている。3階には自分の歩行器を使う。廊下の遠い方の階段を1段、1段と足を交わして昇降する。降りた2階に、借用の歩行器を備えている。今は、こうして生活しております。
★午後3時前から、階段を利用できない女性信徒たち4人と、「雲仙の間」で、ロザリオを唱える。最近は正常な声が出ないのが、難点です。これが老いというのでしょうか。

2019年6月4日火曜日

明子さんのご主人の命日。ミサで祈る。信仰の恵みで、強く生きる

夫妻の人生で、苦楽を共に歩む中で、ご主人が、あるいは奥さんが死に別れたとすると、その悲しみは悲痛などん底に落とされることだろう。
★今朝のミサの前に、「このミサは、パウロ木村さんの為にお祈りします」と司祭の言葉があった。ミサが終わって、西山神父さんの車椅子を押して、教会を出る明子さんに声かけた。「ご主人の、命日?」「そうです」「何歳だったの?」「65歳」「いつ、だったの?」「2014年です。5年になります」
★ミサ後、自室に帰ると、写真を探した。午前中、歯医者に行く予定になっている。日記のために早めに探した。2014年6月は、まだホームに入っていなかった。長崎・聖コルベ館から、湯江教会に来て、葬儀で祈ったことを思い出した。ホームに入って、明子さんの自宅で撮った写真がある。ご主人とは、椿原・学校で、6年間一緒だった。深いご縁がある。新任の自分は、ご主人には、随分と助けられた。導きも受けた。
★ホームに入って、明子さんには何かとお世話になっている。入院の時のお見舞い、時々お宅へ呼ばれての食事、日記にも名前を載せる「明子さん」である。ある年の、桜が咲く季節だった。弱りゆく体力のご主人を支えて、この桜の道を歩いた。それが最後になった、と明子さんが教えてくれたので、その場所で、写真を撮った。その写真も探した。
★ご主人を、神のもとへ逝かせてから、明子さんは、信仰の勉強、体験をする積極的な女性になった。長崎や、他の教会の勉強会、司祭の講話に参加して、信仰豊かな生活を楽しんでいる。いまは毎朝5時半に、ホームの西山神父さんを教会へ連れて行くのが、奉仕の日課になっている。ご主人への熱い思いは、消えないだろう。「信仰があるから、強く生きる」。車椅子を押している明子さんを見ながら、そう思った。

2019年6月3日月曜日

きょうの流れは、昼食から雲仙・普賢岳の火砕流、恐れの日

10人が「雲仙の間」で三食の食事をとります。男性が4人。女性が6人。介護の職員さんが1人付いています。静かです。会話がありません。黙々として、人が居ないような静寂さで食べています。これもエレベーター拡張工事の影響です。6月の終わりには、食堂で食べられるでしょう。すると、また賑やかになるでしょう。
★昼の食事は、三色麺でした。色が付いたのは、ソバです。白いのは、ソーメンです。手羽先に、ご飯も少々ありました。余り静かなので、職員さんに、「お家は、何人住まい?」なんて聞きます。余り聞いても、スカンでしょう。詮索するようで、イヤでしょう。「雲仙の間」の由来は、この部屋からテラスに出れば雲仙岳が見えるからです。
★静かな食事の雰囲気の中で、言いました。「きょうは雲仙・普賢岳に火砕流が押し寄せて、犠牲者が出た日なんですって、ね」「ああ、そうなの」。会話が続かない。食事が終わって、テラスに出て、きょうの雲仙岳を眺めました。雲仙岳は曇っていました。あの岳から流れた火砕流のテレビの画面を強烈に覚えています。この後、新聞を探しました。
★雲仙・普賢岳が噴火したのは、百何十年ぶりで、1990年11月と書いてあった。その時、私は小長井の椿原・学校に居た。雲仙の天辺から、噴火の雲が真っ直ぐに立ち上がった。はっきり覚えている。
★その次の年、91年の4月、私は長崎・聖コルベ館に変わった。同じ年の91年のきょう、です。6月3日です。テレビで火砕流の恐ろしさを知った。もく、もくと、立ち上がる巨大な雲、煙じゃないんですね。高熱のカタマリが、高速で降りてくる。逃げても、逃げ切れない。何十人の、市民、消防団員、写真家、確か火山研究に来ていたフランス人夫妻も犠牲になった。恐怖の火砕流でした。あれから28年になる。

2019年6月2日日曜日

40年前のイスラエル巡礼旅行。主の昇天のドームに祈った

古いスケッチ帖に描いたエルザレム・ヤッファの門。1981年11月と記してある。もう40年近くになる。
★ヤッファの門は、旧市街・西側にある。エルザレムで、いつも出入りしていた。向こうは、ダビデの塔。門の内外には、パンの屋台が出ている。それをスケッチした。パンは、ドーナツ型の大きなもので、ゴマが沢山ついており、とても、おいしかった。思い出になると色鉛筆を走らせた。
★このヤッファの門の近くで、貸切バスを降りた。なつかしい場所です。
★ヤッファの門を入って、しばらく行くと、左手に、インペリアル・ホテルがあった。インペリアルを、もうしばらく行くと、右手に、クライスト・チャーチ宿があった。大人数の巡礼団は、この2か所に宿泊した。私は両方を経験した。団長の司教さまの説明では、普通のホテルも有るが、ここが一番、カルワリオ、聖墳墓に近い、個人でも僅かな距離で行ける、と奨励した。
★エルザレムの城壁の内部には、カルワリオ、聖なるお墓、十字架の道行、聖アンナ教会、神殿、嘆きの壁などがあった。
★ヤッファの門からバスに乗って、エルザレムの東の端にあるオリーブ山を目指した。ここには主の昇天の教会、天にまします教会、ベトハゲに枝の行列の教会があった。
★主の昇天のドームは、八角型の御堂だった。まわりに、ちょっとした広場があって、団長の司教さまが聖書を読んだ。周りは塀で囲まれている。ドームの中に、岩があり、この岩から主イエスは昇天されたという。昇天石。その足跡という「しるし」も残っている。オリーブ山の、エルザレムの眺めの良い所から、主イエスは昇天された。
★きょうは、教会では、「主の昇天の祭日」をお祝いし、ミサで祈りました。「主は、天に昇られた。私たちも天を目指している。楽もあろう、苦もあろう、それらを乗り越えて、主の御住まいの天の住人となろう」。単純に、そう祈りました。

2019年6月1日土曜日

足のツメを切って、血が出た。老いとは不自由になることなんだな

きょうも、さわやかな朝を迎えたことを感謝します。朝から教会で祈りました。教会の祭壇の生け花は、ユリの花です。「このユリの花を見なさい。リッパに咲いている。あなたも、このユリのように、この場所で、このホームでリッパに咲きなさい」そんな声も聞こえてきます。
★きょうは、朝食後、入浴して、自室で、新聞紙を広げて、足のツメを切りました。腰が曲がらないし、足も曲がらない。からだが固くなっている。親指のツメを切り損ねて、肉も切りました。血が出ます。「カットバン、カットバン」と引き出しの中を探しました。中々見つからない。「備えておかねば、ね」そんな声も聞こえました。
★尿が出る。普段は何も考えないが、私にとっては、尿の出方が気になります。尿が出るのは、有り難いことです。これで命をつないでいます。「まだ、まだ、おまえは、生きるのだよ」そんな声も聞こえます。出番は有るでしょうか。「おまえの1歩は、よろ、よろで、小さいが、大きな力が導いてくださる」そんな声も聞きたいです。

2019年5月31日金曜日

瀧憲志神父さんはお元気です。88歳、米寿。いつまでもお達者で

きょうで、5月は終わりです。この5月に、大切な司祭を載せなかった。きょうの、月の終わりに、取り上げます。ホームの瀧憲志神父さんの誕生日が、5月の26日でした。88歳、米寿の年を迎えました。瀧神父さんは、写真の通りに、お元気で、ホームの生活を過ごしておられます。
★修道者の名は「ペトロ」。鹿児島県大島郡喜界島の出身です。1931年生まれ。司祭叙階は1965年。
★ホームに入居は2017年4月6日。2年2か月になる。「トマから、早く来い、早く、来いと、勧められて入ったよ」と、トマに親しみのほほ笑みをかける。
★「ホームの生活は、どうですか」「ここは恵まれた生活だね。ゆっくり出来る、時間もある。感謝だね」「何か、思うこと、ありますか」「司祭生活に、反省すること、沢山できた。自分では頑張ったつもり。ただ動き廻っていた。司祭の務め、病人見舞い、信者訪問、しましたよ。しかし訪ねて来た人を断ったことは無かったか。反省だね」
★瀧神父さんは、教皇さまの講話集を愛読している。霊的にも豊かな司祭を感じさせる。「ホームに入る前、聖母の騎士に居た時よりも、ホームに来てから元気になったね」。狭い部屋にも喜びはある。「外の扉の向こうの木が茂って、雲仙岳や島原半島が見えなくなったよ」。年期が経てば樹木も成長する。
★いまは、エレベーター拡張工事のため、階段の登り下りしか使えない。足が弱いので、上下が出来ない。1階に部屋がある瀧神父さんには会えない。トマは3階。食事も祈りも別です。1階には車椅子のカトリック入居者が何人も居る。
★毎日、午前中に、瀧神父さんは、その信徒たちと共に、ミサを祈っている。「祈る幸せ、恵まれた幸せ」。生きる希望が、ここには有る。
★瀧神父さんのおかげで、トマも元気をもらっている。6月の終わり頃になったら、また一緒に食事やミサ、祈りが出来るでしょう。仲の良い司祭が傍に居るのは、頼もしい。