2018年12月31日月曜日

大晦日。今年も終わる。日記読者の皆さんにご支援をありがとう

今年(平成30年)も最後の日になった。
★今年で一番嬉しかったことは何か。思いがけずポーランド政府外務省から「べネ・メリト勳章」を戴いたことでしょう。「寝耳に水」の受賞でした。2人目の受賞だそうで、もう1人は、ポーランド文学研究の日本人の学者です。受賞は有り難いことです。
★次は、NHK・テレビ長崎で、夕方の番組、ニュースの「特番」で、「日本26聖人の映画」が紹介されたことでしょう。私が念を入れて取り組んだ「26聖人映画」が、まとめの意味で、公に紹介されたのは、嬉しい限りでした。
★ホームから中々屋外に出られませんが、父の故郷、外海・黒崎に帰り、墓参りをして、教会で祈りました。これも心に掛かっていたことで、果たしたのは嬉しいでした。来年も、いい年になるよう祈ります。
★退院してから、毎日の日記には、入院中の苦痛や、反省や、思いなどを書いてきました。しかし退院後の「からだ」の調子は、どうでしょうか。26日に退院して、今日で、6日になります。実を言えば、「からだ」の調子が余りよくないのです。
★毎朝のミサは、6時からです。朝ミサは休んでいます。ミサ後、6時45分頃、瀧神父さまが自室に来られて、御聖体を拝領させて下さいます。今朝も、そうでした。「トマ、ムリ、するなよ」
★ただ、食事だけは、食堂で、今のところ、皆さんと一緒に食べています。今夜は、年越しソバが出るでしょう。
★日記を読んで下さる皆さんには、支え、見守り、祈って下さって、本当にお世話になりました。小さな記事で、読む方も少ないですが、「書くことが、生きるチカラ」と、これからも努力します。有り難うございました。

2018年12月30日日曜日

退院の日のお恵み。一杯の水の奇跡。恵みは大河の広がりを持つ

今度の入院の予定は、2泊3日だった。それが、3倍の9日間になる。いかに苦痛が多かったか、日数を見ても分かる。
★退院の日の午後、ホームにフランス人のジャムさんが訪ねてきた。大きな喜びであった。湯江教会の「馬小屋」で写した。
★ジャムさんに出会うのは、これで3度目。最初は聖コルベ館で、酷暑に「一杯の冷たい水」を差し上げた。2度目は私がホームに入所したのを知って、2017年7月、訪ねて来た。そのとき「トマさんのことば」を進呈する。ジャムさんは、この小さな本が気に入ったらしく、フランス語で出版した。ジャムさんは日本に5年ほど会社勤務をしており、そのとき知り合った「りか」さんと結婚。2人の子供にも恵まれた。しかしフランスに帰国後、「りか」さんが難病を発症。ジャムさんは闘病と介護に全力を尽くした。「りか」さん、洗礼を受けて神に召された。「マリア・りか」さんの天国へ旅立ちで、ジャムさんは打撃を受けたが、彼の人生は大きく転換した。介護に尽くしていた時間を、教会のため、青少年育成のため活動するようになった。「トマさんのことば」が、フランス語版になったのも、その1つの働きだった。
★3度目。退院の日に出会う。退院でもあり、私にとっては大きな喜びとなった。早速、ジャムさんのフランス語版の費用の捻出方法や、読んだフランス人達の反応が聞きたかった。詳しく聞いて、やっと、その念願を果たされたと、私も満足した。退院の日は、いい日になった。
★この日の訪問は、ジャムさんにとって、もう1つの大きな出会いがホームであった。ホーム聖フランシスコ園で長年働く岩田夫妻と、その家族との計り知れないお恵みである。ぜひとも、それを記したい。ホームの応接室で、ジャムさんを囲んで、その人たちが再会し、笑いと、感謝と、喜びに湧いた。湯江教会の浜田神父さんと、ホームの瀧神父さんも同席し、喜んでくれた。
★2014年、ジャムさんは、ヴァチカンの大広場で、大群集の中に、日本語で話している2人のシスターを見つけた。近寄って、日本語で話し、顔見知りになる。ローマ留学中の(同じ会の)シスターたちだった。
★2015年、そのシスターの1人が、同じ会の、別のシスターを連れて、フランス・トゥールーズのジャムさんを訪ねた。連れられて、ジャムさんに会ったシスターは、ローマ留学を始めたシスターだった。そのシスターこそ、ホームの事務長、岩田夫妻の娘、シスター架耶乃(かやの)さんである。
★2017年、フランスのジャムさんは、ヨハネ・パウロ二世の列聖式に、どうしても参加したい心が燃え上がり、ヴァチカンへ。あの大広場で、何と、シスター架耶乃さんに出会った。計らいか、お恵みか、ふしぎな「きずな」が出きた。
★2017年9月、シスター架耶乃さんが、休暇で、長崎へ帰ってきた。ホームの私の部屋を訪ねてくれる。そのとき、ジャムさんの話をシスターから聞いて、おどろいた。「え?なんで、こんな『つながり』が出来ているの」
★2018年7月、事務長の岩田清光さんと、ホームで介護職員の妻・幸恵さんは、夫妻で休暇をとって、初めての海外旅行へ出かけた。そのとき親友の納富美紀さん(元・聖コルベ館勤務)も同行した。3人はローマに着いて、シスター架耶乃さんの充分な案内と、世話を受ける。ローマ、ヴァチカン、アシジ。そしてフランス・ルルドへ。ここで活躍したのが、ジャムさんだった。親切に、くまなく説明し、案内した。巡礼の恵みと、深い感動を倍加したのは、ジャムさんの活躍のおかげだった。その意味で、ホームの応接室に、皆さんが集って、喜びを爆発させて、和気あいあい、楽しみを分かち合ったのだった。
★この一連の流れを見て、トマは思う。「一杯の水を与えれば、恵みがある」。あの冷たい一杯の水が、細い川の流れから、広がって、ごらんなさい、皆さんを含めた大河になって行った。これぞ恵みじゃないですか。更に、トマは思うのです。このような出来事は、トマの、長ーがい人生にも、そう度々は起こらない。ただ、この1回しか起こらなかった。今は、神さまに、かんしゃ。

2018年12月29日土曜日

入院中、瀧神父から御聖体を拝領。コルベ神父は病人を大切に

主の御降誕の祭日。病室で迎えた。瀧神父さんから「午後2時頃、御聖体と共に来る」と携帯に知らせがあった。
★午後、待っていると、瀧神父さんと、高原修道士さんが現れた。私はベッドに横に座る。瀧神父さんが近くに寄る。最初に私が言った言葉が「すまん、な」
★すると瀧神父が即座に応じた。「イヤ、イヤ、これは司祭の務めだ。コルベ神父まさが言った。病人の苦しみが、ニエポカラヌフ(ポーランド・日本のコルベ神父の修道院)を支える。宣教を支える力になっている。コルベ神父さまは病人を、とても大事にされた」。もちろん私も知っている実話だが、瀧神父さんから、直ぐ出た言葉に、あらためて感動した。
★御聖体を拝領した後、椅子に腰掛けた瀧神父さんに、トマが言った。
★「コルベ神父の生き方、死に方。ゼノ修道士の生き方。カシアノ修道士の生き方、死に方。彼は生涯、炊事場。その彼が最後の日にも夕食を作って、一緒に食べて、自室へ戻って、その夜、亡くなった。聖ヨゼフの篤信の信心家だった。聖ヨゼフが迎えに来た。トマには、聖コルベが、ゼノが、カシアノの生き方、死に方が、真実の出来事として、本物として、ドン、ドン、我が身に飛び込んできた。この身に、深く染み込んできた。これが真実なんだ。本物だ。だからトマは、彼らが信じたものを、信じ、希望し、愛したものに、付いていく。それが自分の道だと、はっきり分かった」
★瀧神父が応えた。「トマよ、今度の入院で、大きな恵みを受けたな。元気な声で、トマの話が聞けて、よかったよ。声も大きく、安心した」。瀧神父さんは、足は、ヨロ、ヨロしながら、高原修道士の介添えで、これから長崎の「兄弟の集い」に、と去った。
★彼らが帰った後で、トマは思いめぐらした。
★自分は、今までの生涯において、自分が本当に体験し、触れて、見て、真実なものを信じたい。本じゃない。人の言葉でもない。自分が本当に受け入れたものだけが、トマには真実だ。ポーランドへ10回。ダテじゃない。毎度、あの餓死室の中で、祈った、壁を触れた、コルベ神父の空気を一杯飲み込んだ。それが、ボン、ボンと、トマに身に入ってくる。
★命を助けられた男性にも3度会った。「ジンクーエン(ありがとう)」。言わなかったのが一番残念。しかし聖コルベは、優しく「ほほえみ」で、安心しなさい、見詰めながら連行されて行った。男性はトマの前で、3度涙を流した。その男性の現実も、聖コルベの「お礼を求めない愛」の現実も、ドン、ドン、トマに入ってくる。これは真実だよ。
★ゼノ修道士の生き方。トマが原爆後、聖母の騎士で最初に迎えたのが、ゼノさんだった。そのゼノさんの生き方。貧しい人のため全ての愛と、生きる力を与えた。師父聖フランシスコの行動力です。こうしたゼノさんの生き方も、ボン、ボン、入ってくる。
★カシアノ修道士の生き方、死に方。これも凄い。トマが小神(高校生)のとき、カシアノさんはポーランドの雑誌から聖ヨゼフの記事をローマ字で原稿を書いて、トマの処へ持って来て、日本語に訳すよう頼んだ。月に1度、夜の小神生の祈りの後で、「聖ヨゼフの御働きと御徳と実話」の記事を読んでいた。100人からの小神生がいた。この記事は、後に本となる。カシアノさんの聖ヨゼフへの篤信の信心に惹かれる。それが優しく、トマの現実が入ってくる。
★なぜ聖コルベが命を捧げたか。捧げた御方が居たからです。その御方に完全に倣いたい。そのためには「けがれなき聖母」を通して行けば、最も近道になる。「マリアを通してイエスへ」。それが聖コルベの生き方だった。聖コルベや、ゼノ修道士、カシアノ修道士の生き方に従いたい。本物だからです。
★ありがとう、聖コルベ、ゼノさん、カシアノさん、本物を自ら見せてくれて、ありがとう。あなた達の生き方、死に方に、真実、真理がある。それにトマも従って生きたい。この入院中の苦しみ、痛みの中で知りえた、弱いトマだが、しっかり、付いて行きたい。

2018年12月28日金曜日

入院・苦しみの中で修道者は何を感じたか。アンパンの恵み

手術の後、からだには、着物形式の病院衣だけ。中は裸。思えば、腎臓からボウコウへ、クダがつながり、ボウコウからベッド横の袋まで、クダがつながる。「おかしな人生や、な」と思いますよ。
★全く動けない。自由がない。助けが必要だ。でも、誰も居ない。どうすりゃいいんだ。
★「今、一番欲しいのは、『黙って』ソバに居てくれる人です」。でも居ない。
★夜は悪寒にふるえた。深夜は反対に発汗して、看護師さんの助けで病院衣を着替えた。
★やっと朝があける。目覚める。今度は朝食に苦労した。朝食を、机に、ポンと置いて去った。別の看護師か、歯磨き一式を、ポンと机に置いて去った。後は自分で生きるしかない。先ずベッドの角度を変える作業。ボタンを押して、頭と背中を持ち上げる。あまり上げると、枕の横の「Cパック=無呼吸機械」が、ずり落ち、水がこぼれる。ある程度まで角度を付けて、横の机を、なんとか苦労して腹部の前まで引き寄せた。「さあ、何を食べようか」。食欲はない。一番食べやすいもの、それが「アンパン」だった。これなら、イケルぞ。
★「アンパン」を食べながら、つくずく思った。ホームの入居者は、3人、5人と介護職員が付いて、食べさせてもらって、面倒をみてもらって、オレの今を見たら、本当に幸せだよ。入居者は「ありがとう」と「ほほえみ」の1つでも返せよ。
★毎朝、食卓にホット・ミルクが出る。「アンパン」とホット・ミルクを交互に飲みながら、今度は自分のホームでの考え方、生き方を振り返った。自省した。修道者は老いると、自分も含めて、老後は立派なホームに入り、充分な介護を受け、静かな恵まれた余生を楽しみたい。叶えれば有り難い。感謝です。しかし今度の入院の苦しみで分かった事がある。修道者は、ホームの安泰が最後では、ない。
★生涯生きた「修道者」とは何ですか。主への「奉献者」です。奉献者とは何ですか。イエスの道をゆく者です。主イエスは、どんな模範を示して下さった、か。「殉教者」です。ならば奉献者も「殉教者」にならんと、奉献した「意味がない」。価値もない。修道者はホームで普通の生活をして、それが最後でない。入院して、苦しみ痛んで、孤独に落ち、寂しさに耐えても、「殉教者」の覚悟がなければ、奉献した「意味がない」
★今度の入院で、ホームの普通の生活の奥に、修道者・奉献者である事の意味を確認した。だが、ここで言えるのは「人間は、弱い存在です」。自分のチカラで、殉教者になれるのではない。成れません。弱さ、だけです。主の御助けが有って、心は燃えてくる。その「弱さ」と「燃える心」をつなぐのが、私たちの「祈り」です。これしかない。
★ホット・ミルクの後で、みそ汁も食べた。小さなトーフが入っていた。箸で、つまみ、そこねて、1つ小さなトーフがコロ、コロと、どこかへ落ちた。看護師か入って来たので「落ちたよ」と告げると、看護師は背をかがめて、ベッドの下を探していた。「ないよ」。そして私と看護師は大声で「ハハハ」と笑うのだった。
★修道者は、ホームの普通の生活の下層に、殉教の意味があり、その最下層に、人間の弱さ、祈りがある。それを、はっきり確認できたのは、今度の入院のお恵みだった。ミソ汁の後で、小皿の盛った野菜も食べた。結局、二度炊きの米だけを残した。机には、もう1つアンパンが残っている。次の日に食べよう。高原さん、ありがとう。よかったよ。
★看護師が来て、「クダを抜きますよ」。消毒して、看護師が言った。「いいですか。言った通りにして下さい。ハイ、大きく息を吸って、『フーゥっと、ゆっくり吐いて下さい』」。その時、スーッと、抜けた。うまい、お見事。
★ああ、これから、自由に、歩ける、喜びに満たされた。

2018年12月27日木曜日

入院中、3つの「ムチ」で、ビシッと、やられる。苦しみは恵み

先週、日曜日からカゼ気味だった。火曜日に予約の入院があったので、特に、からだに気をつけていた。
★火曜日の午前中に、高原修道士さんの介添えで入院。担当は、ごらんの看護師さんだった。熱は7度2分。大丈夫かと不安になる。午後、先生に外来に呼ばれ、説明の後、すぐ外来の処置室へ。「ボウコウに、石があって、ステントが抜けない。ここには石を粉砕する道具を置いていないので、中止」と言われる。気合抜けというか、失望感というか、その夜は、熱が、7度4分、7分、8度と上がり、ついに8度4分にまで達した。先ず、最初、1度の「ムチ」で、ビシッと、やられる。
★次の朝は、8度4分の熱が不思議に7度に下がっていた。これには、ちょっと驚いた。小さな奇跡の恵みさえ覚える。その日は、さすがに休養し、心電図、心エコー、腹部のCTを撮影した。次の日が木曜日。午後2時頃、先生から外来へ呼ばれる。浜田神父さん、高原修道士さんも同席した。先生から、CTの断面写真を見せながら、詳しい説明を聞いた。「ボウコウの石は排除しても、ステントの先の腎臓にも石がある。うまく、ステントが抜けるか、わからない」。厳しい判断だった。一旦、病室へ戻る。そして、いよいよ3時過ぎ、車椅子で手術室へ。改装された立派な手術室だった。準備は整い、顔の前に青色の幕を垂らされ、いよいよ麻酔へ。エビのように曲がるが、先生の麻酔が、どうしても入らない。隣の手術室から専門の麻酔医師が来て針を刺すが、これも入らない。懸命に、ガマンし、耐えていた。ついに出血が出はじめて、手術は中止となった。車椅子で病室へ帰ってきたから、浜田神父さんも高原修道士さんも驚いた。トマの方が、ショックだよ。ガックリきた。2度の「ムチ」で、又またビシッと、やられた。
★翌、金曜日。午後4時に手術の予定が決まる。3時頃に、浜田神父さん、高原修道士さん、木村明子さん、3人が来る。4時になっても呼ばれない。病室は静かで、会話は全くなく、4時半になっても、まだダメ。イヤーな感じが漂った。4時50分、呼び出しがかかる。車椅子で病室を出る。トマは3人に「シッケイ」と、手を上にかざして笑った。手術室が並んでいる。10室もある。奥の方、9番目の明るい部屋に入った。先生は待っていた。今度の麻酔は、お尻穴から20cmほど上の辺りに、一発で入った。何度か麻酔薬を足している感じがした。完全に、ヘソ以下の部分が麻痺する。1.5cmの石を砕く音、10分位は響いたであろう。コンクリートの道路を修復のためドリルで、ガ、ガ、ガと壊すのと同じだ。トマにとっては3度の「ムチ」で、これまた、ビッシと、やられる。すると「ウ?、ム?、腹の辺りが、なにやら、ムクムク」。先生が「抜きますよ」。スーッと「抜けましたよ」。手術室に歓声があがる。腎臓にステントを引き止める石の影響はなかった。「先生、ありがとう」「ハイ、おわりましたよ」。安堵の中、ベッドに寝せられて病室へ。木村明子さんがちょっと顔をみせ、高原修道士が残っていた。
★その夜は全く動けない。腎臓からボウコウまでクダがあり、ボウコウからベッド横の袋までクダがある。この格好を考えれば、笑っちゃうよ。8時半から水だけが飲める。1人で寝たまま、水が飲めるように、机を引き寄せ、高原修道士さんに、小瓶の水と、ボトルの水を買ってきて貰った。「楽飲み」も手の届く所に置く。高原さんは、もう帰りたい、その気配。その高原さんに「高原さん、もう1つお願い。アンパンを2個、買って来てください」。そう言われて高原、迷っている。部屋を何度か歩いた。「帰りたい、でもトマも」。心境も分かるよ。高原は居なくなった。しばらく経って高原さんが戻り、アンパン2個を机の上に置いて、帰った。
★この「アンパン」が、次の朝、特異な経験から、トマが、今までのホームでの考えを大きく変える恵みとなった。苦しみの中で体感した「ホンモノ」の、底辺に行き当たった思いがった。「アンパン」の袋の裏には「本社で選り抜いて作ったアンコ」と書かれていた。

2018年12月26日水曜日

無事に退院。皆さんの祈り、支援に感謝。フランス人お客さん

病室へ高原修道士さんが早々と来る。手続きを終えて、午前10時頃に病院を後にした。久しぶりの風を一杯に吸う。
★ホームで、皆さんから喜びの声をかけられる。昼食は食堂で、皆さんに挨拶しながら、自分の席へ。「ああ、やっぱり、ホームの食事が、いいなァ」
★午後2時半、フランス人のジャムさんが来る。聖コルベ館に勤めていたとき、暑い夏だった。1人のフランス人が見学に来た。トマは、冷たい水を差し出した。喜んで飲んだ、その人がジャムさんだった。「一杯の水を与えた」者は、その事も、すっかり忘れていた。トマがホームに入居して、その事を知ったジャムさんが、わざわざ訪ねてきた。ちょうど「トマさんのことば」という小さな本を出した所だったので、1冊差し上げた。前は、水だっが、今度は、本だ。
★フランスに戻ったジャムさんは、「トマさんのことば」をフランス語に翻訳して出した。ジャムさんとは深い『きずな・つながり』を感じる。その本について、大いに語り合った。原爆は知るにしても、コルベ神父、ゼノさんなどは知られていない。聖母の騎士のルルドの写真を見て「え?ニホンにも、ルルドがあるの?」。ジャムさんは、フランス・ルルドの近くに住んでいる。
★今日、出会うのは、3度目。退院が出来て、ジャムさんに会えて、本当に喜びと、感謝の日でした。入院中は、キツかった。でも、日記を読んでくださる皆さんからの祈り、支え、力を受けて退院が出来ました。本当に、ありがろう。病院での思い、反省、恵みなどは、追々書かせてください。

2018年12月25日火曜日

入院中のトマより

入院8日目。御降誕祭。お祝いとお祈りをベッドの上で捧げます。午後、ご聖体拝領が出来ると携帯に知らせがありました。
今日は平穏に過ごしています。明日、午前中に退院出来るでしょう。