2015年9月30日水曜日

山あり、谷ありの人生でも、神による生きるチカラはある

9月も終わります。今月の出来事で、一番、思い出に残ったのは、金祝の行事でした。「神さまは、金祝まで、イノチを伸ばしてくださった、神に感謝」です。お祝いに参加した女性から、写真が届きました。祝賀会の最後に、感謝の言葉を述べているところですね。こんなに明るく、嬉しそうにしていたのかと、この写真を見ながら、「ああ、よかったな」と率直に思いました。一つの山を越えたような感じです。
★別の住所から、一通の手紙が届いた。自分にとっては、心を揺さぶられるような手紙でした。「苦しみの中でも、神さまに、おんぶされ、寝ている子をだっこされて、共に歩んでいらしたと思います」
「神さまが準備された道は、平坦ではなかったが、・・・で生まれてよかったと思うようになった」「神さまが片時も離れず、ご一緒だった、これからも・・・と考えるようになった」「年をとると、本人も、周りの人も大変だが、神さまの子どもであることは、大きな救いだと思います」
「洗礼は、今、あらためて大きな恵みであり、山あり、谷ありの人生でも、神さまが目を留めてくださらなかったら、生きるチカラはなかったように思います」。胸の奥深く、染み入るようなお手紙だった。ここに載せました。申し訳ありません。

2015年9月29日火曜日

ミカエル、ガブリエル、ラファエル、3大天使の祝日

きょうは、ミサのとき、3天使を祝った。大天使聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル。聖ミカエルは悪と戦う天使(左の絵)、聖ガブリエルは、乙女マリアのもとに神のお告げをのべた天使、聖ラファエルは、癒しの天使。いずれも聖書に登場する。
★なぜ、天使のことを書いたかというと、自分の洗礼名が「ガブリエル」だからです。北朝鮮の奥地の町で生まれた。この町に、何万人の日本人が居たか知らないけれど、カトリック信者は自分の家族が一軒だけであった。もちろん、現地の人にはカトリック信者もいた。その中で生まれて、「ガブリエル」の洗礼名をつけたのは珍しく、自分の誇りでもあった。マリアのもとへ神のお告げをのべに現れたのだから、マリアさまにも近い。霊名としては珍しく、「ガブリエル」は好きであった。修道士になり、修道名が、日本26聖人の「聖トマス小崎」をいただいた。そこから小崎登明を名乗ることになる。
絵の大天使聖ミカエルは悪と戦う天使で、キリシタン時代から、信心されていた。聖ミカエルに捧げられた教会も、長崎はある。

2015年9月28日月曜日

苦難を、乗り越えるチカラは、どこから来るのか

昨夜は、中秋の名月だった。お隣さんから、「月が出ているよ」と教えられた。家々の上に、山の線が見える。その真上に、見事な月が出て、暗闇に、浮かんでいた。月についての思い出はない。子どもの頃、先生から聞いた話に、武将・山中鹿之助は、月に向かって、「我に、七難八苦を、与え給え」と祈ったという。強くなりたいと願ったのであろう。戦争に突進する時代だった。
★きょうのミサでは、聖トマス西と十五殉教者を祈った。祈りの文言をよく、かみ締めてみると、殉教者が苦難に耐えて、キリストの愛にイノチを捧げたのは、その人たちも偉いが、実は人間が持っている力でなくて、聖霊による助け、神の力があったればこそ、弱い人間も致命に耐えた。そのように祈ったように思う。
★午前中、絵てがみ教室があった。何を描こうか。食堂のサッシ戸から、道1つへだてて、コスモスが咲き始めた。食事しながら、「きれいやね」と話題も及ぶ。コスモスを絵てがみに描いた。「秋に、なれば、入居、1年」と文字も添えた。「1年ですか」と先生。「ハイ」。聖フランシスコ園に入居したのは、忘れもしない、コスモスの花真っ盛りのときであった。いま、ちょうど、11ヶ月になる。この1年、振り返れば、考え尽くせぬ心身の動揺があった。乗り越えられたのは、誰の力か。「七難八苦を、与え給え」とは、とても祈りきれない。それでも我が人生はつづく。

2015年9月27日日曜日

一杯の水を奪う者は誰か。ニンゲンは恐ろしい

長崎県内には、主な教会が、100近くある。教区では、毎日曜日、どこかの教会で、朝ミサの後、「永久礼拝」が行なわれている。だから、長崎では、毎日曜日、祈りでつながっている。今日の日曜日は、湯江教会の「永久礼拝」の担当に当たっていた。9時のミサの後で、賛美歌と、お祈りが、ホームの人も交えて、行なわれた。
★きょうのミサでは、次の文言が読まれた。「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ず、その報いを受ける」。瞬間的に考えたことは、原爆の丘で、「水を・・・」「水を・・・」と求めて死んでいった人たちのことだった。「水を与えられなかった、悔やみ」。生涯、心のキズとして残る。
★午後から、「ビデオの日」といって、食堂で、「カロル」(教皇ヨハネ・パウロ2世)の長編映画が上演された。最初は軽い気持ちで食堂に入ったら、映画は、第二次大戦の始まりから、ポーランド人たちの混乱から、いきなり始まった。「ヴァドビチェ」「クラクフ」など、懐かしい名前も出てくる。青年カロルも戦争に巻き込まれる。「平和の教皇」といわれた、あの教皇さまにも、青年時代には大変な試練に会われていた。おどろきだった。アウシュヴィッツに送られるポーランド人の知識人や文化人たち、そしてユダヤ人たちのすべて。女性の叫び声が画面にひびく。「世界は、なぜ黙っているのか」。今の世の、現代の難民たちがアタマにチラついた。ヴァベル城もナチスに占領されてしまう。また叫び声。「神さまは、居られるのか」。カロル青年は、どうやって、この戦争を切り抜けたのか。そう思うとき、1時間が経過した。続編は、また日をあらためて見せる、という。とにかく戦争は考えも及ばない恐怖、不安、絶望を、しっかりと、この胸によみがえらせた。

2015年9月26日土曜日

生きている。感謝して、食べる。イノチは、みな、平等

死んだときの遺影じゃありません。敬老の日、出し物があるので、こんな姿になりました。下は、黒のズボンです。格好、いい。似合いますよね。女性が多くて、水色のスカートに、胸にはヒマワリの花をつけていた。男子は2人だったかな。式典の最後に、舞台にあがって、楽器をならして、「アーメン・ハレルヤ」「翼をください」を演奏した。シンバルを「ジャン」と鳴らすと、胸が「キュー」と、くる。太鼓、小太鼓、竹をたたく、鈴をならす、賑やかな演奏です。「田川さんはカスタネットをお願いします」。いわれたままに、この格好で、やりました。
★秋の連休は終わったが、休みを利用して、旅に出る。そんな思いもする。旅とは、何ですか。仲間で、同じものを食べ、同じ景色を見て、同じ時間に眠る。日常に無い経験でしょう。みな、いっしょです。だが感想はそれぞれ違う。いろんな思い、感情、異なる気持ちを抱いて、「ああ、いい旅だった」と、こうなる。それぞれ違った、個人個人の思い出をつくる。それが、いい旅でしょう。
★ホームの生活も同じです。同じ場所で生活して、しかし思い、気持ちは、それぞれ違い、懸命に生きている。純粋ですよ。欲が無い。いや、欲は残るかな。20年近く、ホームに生活している女性は、「ブリの煮付け、黒くなったもの、食べたい」と言った。
★与えられた環境に、感謝して、生きる。生かされた、イノチは、平等。

2015年9月25日金曜日

大切なのは、生きるチカラ、感謝と恵みの確認でしょう

ホームの隣の修道院の夕食です。院長・園長神父さんの修道名のお祝いと言うことで、席によばれた。歳も80に近いのだから、「カラダを大事に頑張ってください」の挨拶もあった。
★幸い、この日は、1人の神父さんが、早朝から昼頃にかけて、魚釣りに出かけた。島原から、天草の近くまで、漁船を進めた。だから、その大漁たるや、はんぱじゃない。他に、ホームから3人が加わったのだが、タイが、わんさ、わんさと取れた。他の種類のサカナもある。「何ビキ釣れた?」と聞いても、ヤボだよ。
★タイのおいしさも、ほぼ決まっていて、何センチか、何キロか、話題になった。魚釣りに興味がないので、聞いても、いま覚えていない。ご馳走は、サカナの新鮮なサシミと、タイの塩焼き、煮しめ、ナシとブドウの果物などの料理があった。
★ホームで1人暮らしていると、やはり寂しい。忘れられているのでないか、そんな気持ちにもなるのです。こうして呼んでもらって、兄弟の仲間に入れてもらうと、自分の身分の確認にもなる。励みも、忍耐も湧き出るというものです。いま、自分に大切なのは、生きるチカラ、生きている感謝と恵みでしょう。写真には、このほか、ちょうど2人が席を外していた。
★その夜の祈り。「神よ、司祭、修道者を、愛のキズナで結んでください。困難を乗り越えて、協力する姿のなかに、あなたの現存が感じられますように」 

2015年9月24日木曜日

雨の中、月下美人は見事に花ひらいた。スゴーィ

夜になって、雨が降り出した。あの月下美人はどうなっているのか。夜の9時近く、静まりかえった廊下を歩く。その場所は、真っ暗であった。雨に打たれている。傘をさした。見事に、花ひらいている。昨日、撮った「つぼみ」は、人知れず、暗闇のなかで、リッパな花を咲かせていた。フラッシュをたいて、写真におさめた。よく見ると、真ん中の、ほそい葉っぱから茎が出て、その先に、花を支えている。
★今夜は、人は目標を持って生きなければ、張り合いが出て来ない、と考えた。何かの目標、目指す出来事があれば、「よし、それに向かってガンバろう。気持ちも湧いてくる。そして、また次の目標が出来る。楽しみでもある。自分の生活にも、小さな目標がある。目標は、心を動かしてくれる。
★今朝、夜が明けると、月下美人は、こんな姿になっていた。チカラが抜けた感じのように、垂れ下がっていた。せい、いっぱい、咲いたのだろう。ほめて、やりたい。
★きょうは、1人の女性の葬式があった。15年間ほどホームで生活をしていて、1年ほど前から、病気になり、入院先の病院で亡くなった。95歳であった。ホームでは人形作りや、千切り絵で、作品を楽しんでいた。長い生活だったので、よく知られている。カトリックでなかったが、ホームで、皆さんからミサの祈りや告別を受け、ほんとうに、幸せな葬儀であり、みんなで見送った。