長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年7月31日金曜日
夏の踊りだよ。歌だよ。納涼祭は、あしたの夜です
2015年7月30日木曜日
聖堂の光る床。ふしぎにも、こころに力を与える
夕方、共同でロザリオを唱えて、きょうも祈りました。ふしぎなことに聖堂の床に、どこから入ったのか、どの窓を通して、光るのか、きれいな円が出来ているのです。お祈りが終わっても、しばらく眺めていました。
★きょうも、1日、無事、平穏に終わる。この記事を書き始めたのは、4時半頃だったのに、いまは6時を過ぎました。ホームまで電話がかかってきたり、こころの水面が揺らぎます。
★十字架は苦しみの象徴。誰の身にも、苦しみはあるでしょう。苦しみを、いかに受諾するか。それは難しい。きょうは、これしか書けません。あの聖堂の光は、ふしぎだなあ。何かしら、こころにチカラと希望を与えてくれるような気がします。
★5年ほど前、わたしが出会った女性は、こう言った。「十字架なしに救いはなく、犠牲なくして愛は行なえず、つみ重ねの努力なしに生ける喜びはない」。いまでもメモに残しております。
★きょうも、1日、無事、平穏に終わる。この記事を書き始めたのは、4時半頃だったのに、いまは6時を過ぎました。ホームまで電話がかかってきたり、こころの水面が揺らぎます。
★十字架は苦しみの象徴。誰の身にも、苦しみはあるでしょう。苦しみを、いかに受諾するか。それは難しい。きょうは、これしか書けません。あの聖堂の光は、ふしぎだなあ。何かしら、こころにチカラと希望を与えてくれるような気がします。
★5年ほど前、わたしが出会った女性は、こう言った。「十字架なしに救いはなく、犠牲なくして愛は行なえず、つみ重ねの努力なしに生ける喜びはない」。いまでもメモに残しております。
2015年7月29日水曜日
長崎市まで、病院へ行くのも大変な時間がかかる
長崎市へ出かけるのも大変です。朝から気を引きしめ、朝食の前の時間に、食事もせずに、高原修道士さんの運転で、車を飛ばした。コンビニに寄って、おにぎり1個、お茶を買った。車内で食べた。写真は長崎市内の、クリニックがある通りです。医院に着いたのは、9時過ぎだったが、11番の札をもらった。
★10年来、診察でお世話になっている先生。「足のムクミも良くなっているね」。夜は、無呼吸のマスクをつけて眠っているが、データーは調子がよい。数値を手帳に記入してくれた。ホームに帰ってきたのは、11時半だった。
★からだの調子はどうなのか。何を考えているのか。人生をどう思っているのか。いろいろあるでしょう。本当に書きたいことは、それでしょう。でも、思ったようには書けないものですね。信仰のこと、忘れないようにしよう、課題はある。大それたことではなく、小さな祈りのなかで生きたい。
★10年来、診察でお世話になっている先生。「足のムクミも良くなっているね」。夜は、無呼吸のマスクをつけて眠っているが、データーは調子がよい。数値を手帳に記入してくれた。ホームに帰ってきたのは、11時半だった。
★からだの調子はどうなのか。何を考えているのか。人生をどう思っているのか。いろいろあるでしょう。本当に書きたいことは、それでしょう。でも、思ったようには書けないものですね。信仰のこと、忘れないようにしよう、課題はある。大それたことではなく、小さな祈りのなかで生きたい。
2015年7月28日火曜日
人は覚えなくても、見ている御方がいらっしゃる
自室の前は廊下になっている。朝夕、2回、ラジオ体操がある。まじめに身体を動かしている。手を振りながら、ふと前を見ると、大きなトンボが壁にしがみついていた。動かない。どこから飛んできたのだろう。どこから迷いこんで来たのだろう。
★ある人が言った。「尽くしても、尽くしても、人は覚えていない。神さまだけが、覚えていてくださる」。人は覚えなくても、見ている御方がいらっしゃる。
★暑中お見舞いのハガキが1枚届いた。「先日『長崎のコルベ神父』を聖母の騎士社に注文して、読んでいるところです。朝、聖書を読んでから、少しづつですが、今年の夏は読書します。2003年の夏、聖コルベ記念館で、小崎さんが、座らせて下さった、あおの机と、椅子を思い出します。お元気で」。2003年といえば、12年前のことになる。長い年代が経つのに、覚えてくださって、ハガキを寄せてくださり、慰めを感じました。
★昨日の日記のコメントに、「小崎さんが居るところ、コルベ館」とあった。うれしい。
★ある人が言った。「尽くしても、尽くしても、人は覚えていない。神さまだけが、覚えていてくださる」。人は覚えなくても、見ている御方がいらっしゃる。
★暑中お見舞いのハガキが1枚届いた。「先日『長崎のコルベ神父』を聖母の騎士社に注文して、読んでいるところです。朝、聖書を読んでから、少しづつですが、今年の夏は読書します。2003年の夏、聖コルベ記念館で、小崎さんが、座らせて下さった、あおの机と、椅子を思い出します。お元気で」。2003年といえば、12年前のことになる。長い年代が経つのに、覚えてくださって、ハガキを寄せてくださり、慰めを感じました。
★昨日の日記のコメントに、「小崎さんが居るところ、コルベ館」とあった。うれしい。
2015年7月27日月曜日
食べて、ゲンキで、夏の暑さを、乗り越えよう
きょうの昼ご飯です。海苔巻きオニギリ(梅干入り)、冷やし中華(メンは隠れている)、タマゴ・スープ、オレンジ・ジュウス、でした。食べるのが楽しみです。食べないと、チカラが出ない。元気な老人をみると、こまめに動いていますね。そして、よく食べる。(この写真を撮るのに、苦労しました。おかしいじゃ、ないですか。1人、上からデジカメを向けて、シャッターを押すなんて。でも初めて、やるぞと、撮りました)
★ダイソレタことは、考えない。こころのなかの小さな祈り。自分と向き合い、なさい。こころにも、霊的・食べ物が必要ではないだろうか。
★振り返れば、1日は、あっという間に、過ぎ去った。
★ダイソレタことは、考えない。こころのなかの小さな祈り。自分と向き合い、なさい。こころにも、霊的・食べ物が必要ではないだろうか。
★振り返れば、1日は、あっという間に、過ぎ去った。
2015年7月26日日曜日
コメントについて書きました。ありがたい小包
★昨日は、コメントが2つ入っていた。洽子(KoKo)さんと、長崎の原爆の話を聞きにこられた東京のおヒゲの男性、「はやせ」さんからの文があった。洽子さんは、「ナヨさんのメダイ」を騎士誌で拝見したという。ああ、そうだった、先日、諫早大水害の日(昭和32年7月25日・600人が亡くなった)があった。「ナヨさん」とは、あの時の水害で激流に流されて、翌日、海上で、命が助かった女性の話だった。ナヨさんは助かったとき、マリアのメダイをかけていた。その話を思い出させてくれた。
★もう1つのコメントは、原爆の話を聞きにきた「はやせ」さんから届いた小包は、小さな箱のお菓子でした。「わが家から電車で15分。日向和田には吉川英治が戦中戦後を過ごした家が記念館として残されています。その近くで、吉川英治夫人が開いた和菓子店「紅梅苑」が今でも営業しています。地元の人びとにも愛されているお菓子「柚篭」(ゆずかご)を送ります」。ありがとうございました。
2015年7月25日土曜日
東京の子どもたちにも原爆の話、平和を語りたい
★まもなく、原爆70周年の日が近づいてくる。原爆といっても、東京の人たちは、また戦後生まれの人たちは、殆ど内容を知らないだろう。東京から、わざわざ訪ねてくる男性が居るのが、心を打たれた。男性の情熱を感じた。
★原爆の恐ろしさは、1発の爆弾で、すべてが壊滅、破壊されたことだ。爆風、高熱、放射能。この3つ。語れば長くなる。8月9日の当日の出来事。18日間、原子野で生活した体験。語るためにもエネルギーがいる。男性は喜んで耳をかたむけ、心に刻み、お礼をいって帰られた。
★東京から、小包が届いて、感謝の手紙が入っていた。「先日は、被爆の体験談をお話していただき、有り難うございました。一昨日も東京の小学校で長崎原爆の話をしましたが、早速トマさんからお聞きした話も織り交ぜて、子どもたちに語らせていただきました。今後も「被爆体験伝承者」として、ここ東京で「平和と命の大切さ」を伝え続けたいと思っております」
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