2014年12月31日水曜日

大晦日となる。ホームに入居して、2ヶ月が経ちました

写真は、お世話になっているホームです。いよいよ平成26年の年末になった。生かしてもらうために、沢山の恵みをうけて、ここまで来ました。感謝の祈りをささげます。今年、自分の身に大きく変わったことは、ホームに入居し、お世話になったことでした。2ヶ月が過ぎました。聖コルベ館に居たときは沢山の人に出会い、「一番うれしかったのは、小崎サンですか?会えて、よかった。うれしい。マンガ読みました。ホン、よみました。言ってくれる人に出会うことでした」。それが、いま、ひっそりとした生活をしています。さびしいことは、会話が少なくなったことです。それでも、ここが自分のホームです。自覚して暮らしています。「人柄とは、エガオ、元気、主体性ですね」。ホームに入ったことは、地についた足元から出発する、そんな気持ちです。名前も、小崎ではなく、本名・田川幸一を使っています。修道士の生活をつづけています。

2014年12月30日火曜日

困難が来ても、逃げない人に、なりなさい。厳しい

整理していると、1枚の新聞の切抜きが見つかった。原爆後の浦上の写真である。手前は、旧・浦上天主堂の残骸と、左側に、仮の聖堂。前方の山は、岩屋山。キリシタンが、あの山に登って、樫山の方角を見て、祈った。「3度登れば、1度、樫山に行く。3度、樫山へ行くと、1度、ローマへ行く」。あこがれて、祈った。中央、付近の町は、まだ復興していない。来年は被爆70年になる。★被爆の体験から、原爆の丘に生きたとき、反省したことは、「助ける人に、なりなさい」「困難が来ても、逃げない人に、なりなさい」「許す人に、なりなさい」だった。そのように思って、「平和は、人のこころに愛の花を沢山、咲かせたときに来る」と、締めくくっていた。だが、言葉は言うは簡単だが、実際、現実は難しい。核廃絶は被爆者の念願だが、平和はなお遠い。いま、ホームに居て、助ける人、逃げない人、許す人、3つのうち、人に語ることは、ないが、「逃げない人に、なりなさい」。ひそかに思いつづけている。

2014年12月29日月曜日

歳老いても、まだまだ悩む。痛みの原因、何なのか

ホームの馬小屋です。玄関に飾っています。今度は、年末にむけて、餅つきが行なわれる。突いた餅が、早々に昼食と夕食に出た。人数が多いので、沢山の数量を必要とします。それだけ職員さんはご苦労があるわけです。老いても餅はやっぱり喜びます。楽しい思い出もあるからです。でも、老人に餅は、注意しないと、事故がおこる。そういう現実もあるわけです。★歳をとると、からだが、あちら、こちらと痛みだす。痛みのない老人って、いないでしょう。苦労を重ねると、つい、つい、口に出る言葉がある。「なんにも、悪いことは、していないんだけれども、ね」。普通、そう考える。でも、宗教的に考えると、こころの中で、こんなことも思う。「罪のつぐない、たい」。老司祭(故人)の言葉がある。「生涯、ロザリオ。それに、愛と、清さ。清さができておれば、もう1辺、人生をくり返したい。それが、ないから、痛悔になる」

2014年12月28日日曜日

三重県から1人青年が訪ねてきた。

聖コルベ館に居たとき、いつも正月、元旦になると、誰が、どこから、一番乗りで来るか、興味があった。毎年、違った思い出がある。今年の元旦、最初に聖コルベ館に見学に来たのは、三重県から車で、運転してきたという1人の若者だった。会社に勤めている。この青年との出会いは、こころに残ることになり、ご縁もできて、記事にも書いた。★その若者が、ホームへ面会にきた。とつぜんの再会だった。ご縁ができるとは、フシギだなあと思う。心配になって、来たという。顔を見て、声を聞いて、「安心しました」と喜んでくれた。これから五島へ行きますと、信仰への期待をあらわしていた。五島へ行くなら、案内書に1冊の本をすすめておいた。「西九州キリシタンの旅」で、実際、ためになるでしょう。感じのいい若者だった。

2014年12月27日土曜日

ゼノ修道士さんの絵が見つかった。61年前の絵です

ゼノ修道士、ご存知だろうか。通称ゼノさん、彼の絵がみつかった。★生活に困った人に、瓦を贈る、米を贈る。贈るだけ、だめね。その後で、お祈りをした。「神さまのこと、考えます」。貰った人たちは、素直に祈った。このページは、1953年3月29日、日曜日と書いてある。61年前の日記だ。その頃、ゼノさんは活躍した。ゼノさんの絵も、うまく描けている。「夕方、ゼノさんが自室にきて、写真や手紙など見せた」とある。ゼノさんの活動は、いわば直球だった。★一方で、こんな話が好きである。「ある人が、夜中に道に迷って困っていた。すると1つのあかりが見えた。そのあかりを見つめて進むと、迷い人は無事に助かった。家の人は別に人を助けようと、あかりを灯してたわけではないが、結局、小さなあかりが人助けになった。人生はわからない。わからないところで、助けたり、助けられたりしている」。これは1司祭の忘れ得ぬ話だった。★晩年、病室で療養していたゼノさんの部屋に、汚れたタオルがかかっていた。司祭の1人が「ゼノさん、これ、かたづけましょうか」と聞くと、ゼノさんは言った。「捨てないで、ください。それが、ないと、貧しい人のこと、わすれます」。ゼノさんのこころも、闇のあかりも、同じだと想う。

2014年12月26日金曜日

老人は外見は余生の楽しさだが現実の厳しさもある

クリスマスも終わりました。湯江教会の馬小屋です。お祝いのミサの後では、ポ-ランドの習慣にならって、教会へきた人たちが、薄いパンを左手に持ち、右手で「おめでとう」「お元気ですか」「がんばっていますね」など挨拶しながら、相手のパンをお互いが、少しづつ、分け合って食べて喜ぶ行事を行ないました。和やかな雰囲気になって、喜びが一杯に広がりました。楽しさが残りました。★ホームに入って、2ヶ月になります。「老人といえば、楽しく余生をおくる姿を連想しますが、実際に中で生活してみると、現実は厳しさものがある」。これも人生ですから、苦楽はあるでしょう。★これまで、毎日、日記を書いてきましたが、内容も限定されているので、幅がなく、筆がすすみません。しばらく書かない日があるやも知れません。それでも皆さん、つづけて、祈り、見守ってください。

2014年12月25日木曜日

わが主の御降誕祭りの朝。自室から窓をあけて撮す

冷え込む昨夜、ホームに隣接する湯江教会で、クリスマスの聖歌を大きな声でうたいながら、ミサで祈った。平和と、幸せ、日々喜びがあるように祈った。ホームにも、クリスマス会食会があった。全員が食堂に集まって、和やかな雰囲気だった。職員の出演による天使や、大きなカブの話の寸劇や、降誕ビデオなどで、にぎわった。サンタは来るのかな、と期待していると、車椅子に乗って、四方を飾り板でかこんだサンタが、トナカイの服装をした職員から押されて、皆さんの周りを愛嬌よく回って、愛嬌をふりまいていた。お菓子のプレゼントもあった。歳を重ねても、プレゼントは子供こころになって、うれしい。ミサは3つ捧げられた。ホームでは静かな、それぞれの人生の生き方を思わせる、振り返るクリスマスであった。