2012年7月31日火曜日

7月も終わりです。日記も、何を書こうか、迷う日もある

迷うこともあります。「今日は何を書こうか」。困ることもある。もう弱音や、吐息を書くのは止めよう。この歳になって、迷って、疑って、どうするのか。明るく生きよう、そう思います。聖コルベ館に見学に来た男性が、こう言いました。「私は、マリアさまが、よく分かりません」。私は、優しい顔をして、説明しました。修道士の服を見て、彼らは癒されるでしょうか。また、ある女性は、こう言いました。「病気、なさって、いるようですが、大丈夫ですか」。心配してくれて、ありがとう。そのとき私は、こう答えている。「まあ、なんとか、横バイです」。一日一日を、生かされ、生きている感じです。若い夫婦に私は言いました。「この世で、いちばん大切なのは、愛とイノチだよ」。いつもの定説を語りました。「愛の一番美しいのは、家族愛だよ。親は、愛する子どものためなら、イノチの代わりまで果たしたい。その心情を持っている」。子を育てていない。孫のかわいさを抱いていない。カラダのやわらかさを全く感じていない。愛の根源である家族愛を知らない。持っているのは理知的な、思い描いた愛です。語る資格はあるのか。それ以上の愛をいかに経験するか。やっぱり最初に思ったように、迷いに辿り着きます。正直すぎるのでしょうか。

2012年7月30日月曜日

ポーランドのコンラドさん、配本のため頑張ってください

ポーランドのコンラドさんから、メールがきた。「今日は11冊の本を配りました。田舎に住んでいる友人に、6冊の本を送りました。お話しのとき、友人はとても喜びました。『神さまに感謝。早速、お祈りをしましょう』。4冊の本をカトリックの家庭に配る予定です。2冊の本を、教会の司祭に渡すつもりです。その本の1冊は、教会の図書館に届ける予定です。クラクフの友人に、5冊の本を渡しました。電話で出会いを決めました。早速、家内とその夫妻のところに行って、2時間ほど話しました。小崎さんからのギフトについて語りました。2人はとても喜びました。『お金を払っていいですか』『いいえ、払ってはいけません。ギフトです』と私が言いました」。以上のコンラドさんからの活躍メールを見て、今日、朝から長崎の郵便局に出かけて、コンラドさんへ少々の活躍の基金、500ユーロを送金した。「これで本を買って、配ってください。奥さんにもお世話になっている。ケーキを買って、差し上げてください」と、メールを送った。私は、今からでも、ポーランドへ行きたい。本の普及のため、マスコミに出て、宣伝したい。そんな気持ちです。原爆も、戦争も、強制収容所も、2度とないように願っている。

2012年7月29日日曜日

ごらんの通りのカオで、ゲンキにお勤めを果たしております

やあ、7月も、もう終わりですね。早いなあ。老いてくると、有りがたいのは、なんと言っても、健康です。病みがちの私ですから、書くことが、赤色や、黄色などと言って、申し訳ありません。幸い、今のところ体調は快復して、安心して声を大きくお祈りして、日々暮らしています。先日は、「おどろかすなよ」と、言われました。ブログを見て、「また入院か」と、思った。実際、私自身が、そう思って出かけたのです。ベッドの上に、入院となると必要な着替えや、クスリや、日常品を、風呂敷に包んで、すぐ持参できるように準備はして、病院へ向かいました。大げさというか、もう慣れているというか、手際がよくなった。次の診察は、8月に入って、決まっている。このとき、CTを撮って、治療の方針を決めましょう、とお医者さんが言われる。8月は、どういう試練があるか、先のことは委ねるしかないでしょう。8月9日は、長崎・原爆の日であり、母の命日です。お墓参りに行きます。お墓は、外海にあります。亡くなって67年。長い年月が過ぎ去った。いつのなっても母親との別れを忘れない。あの朝、いっしょに起きて、朝ごはんを食べて、私は出かけた。「かあちゃん、行ってくるケンな」。ボーカン、と真っ暗。夕方。帰ってみると、家も母も燃え尽きた。「ああー」。絶句。

2012年7月28日土曜日

昔の写真に感動。祈り働け。修道服を着ての作業は苦難だった

今から60年ぐらい前(昭和30年)の、聖母の騎士の、連続した古い写真が見つかった。右側の写真は、現在の「ルルドへ登る道」です。今でも残って使われている。右のサクラの木は今でも咲かせていた。ところで左側の、上、下の2枚が注目の写真です。修道服を着たまま、肥料を運んでいる。大変な苦労、アセだった。修道士たちは、こうして働いた。山の斜面に、畑があった。食べ物が不足の時代だから、僅かな土地も利用した。神学生や修道士が多かったからね。写真の裏を見ると、「祈り、働け」と書いてある。シャワーを浴びて、すぐ祈りに行った。裏に名前も書いてある。左側、下の写真、背の高い修道士は現在も健在です。よく働きましたよ。背の低い修道士は亡くなった。この頃、私はどうして居たか。病気(結核)で、山の修道院で暮らしていた。それでも彼らをよく知っている。彼らの流したアセは、土地に、思い出に染み込んでいる。そのアセや苦労を知るものは、天の神さましか居ない。写真を見て、思わず手を合わせたよ。コルベ神父が聖人になって、ここには今、5基の、ロザリオの玄義が建っている。人々は何も知らず祈りながら、この坂を登っている。こういう時代もあったんです。先輩の苦労は価値がある。今朝の祈り「今日、一日の出来事の中に、導きを知り、感謝して生きることができるように」

2012年7月27日金曜日

ポーランド語版のマンガ『焼けたロザリオ』。がんばれ

ポーランドのコンラドさん(男性)からメールがきた。ポーランド語版の『焼けたロザリオ』(マンガ)が、出版社から50冊届いて、「奥さんと相談した末、ポーランドの皆さんにプレゼントする場所が決まったという知らせです。うれしいじゃないですか。これでポーランドの皆さんにも読んでもらうようになった。クラクフ在住のコンラドさんのおかげです。6月29日に、こちらの郵便局から若干のお金を送金しておりました。『焼けたロザリオ基金』のつもりです。本代は、ポーランドは貨幣価値が異なるので、1冊、日本円で、462円になるそうです。安いので助かります。普及が出来るでしょう。コンラドさんが現地で頑張ってくださるので、期待しています。みなさんも応援してくださると有りがたいです。近いうちに、第2弾の基金を送るつもりです。送り先を見ると、学校の図書館や、日本文化センター、教会や、修道院など、幅を広めて行けば良いと希望しています。私はポーランドを訪ねる度に、コンラドさんにお世話になり、彼の通訳に頼っていました。日本ビイキの男性です。

2012年7月26日木曜日

ゲンキを取り戻した。活力が湧いてくる。梅雨も明けたぞ

診察を終わって、玄関で、車を待っていた。イエスの御心のご像が見守っている。いつも、この玄関を入るときは、心境は重く、出るときには、軽い。「診察は、どうだったのか」「尿は大丈夫でしたか」。日記を読んでくださる方々にも、ご心配をかけました。本当に、昨夜は血尿で苦労したが、朝になって、黄色く収まっていた。あまりの変化に付いて行けない。なぜ、そうなって、こうなったのか、分からない。「ボウコウは大丈夫ですか」「細胞診がⅡですから、正常です」「なぜ血が混じるのですか」「ステントを入れていますから」。炎症が起こっているのだろう。「クスリを飲んでください」。約1時間で、玄関へ戻ってきた。前日まで、正常だと、安心していたのに、ストーンと落ちる感じで、またギューッと這い上がる。こういう状態に馴れることが必要のようだ。何とか、山越え、波越えて、イノチをつないでいく。安心していいのか。悩むべきか、その采配が未だ分からない。黄色くなれば、また生きるぞと、活力が湧いてくる。「罪のつぐないタイ」。そんな声も聞こえる。車がやってきた。車窓の上に、青空が見えた。

2012年7月25日水曜日

昨夜の出来事。人生、山あり、谷あり、十字架もいっぱい有る

「深夜の赤変」って何ですか。あんまり良い話じゃありません。夜中に、排尿に起きた。「赤・変」とは、血尿のことです。真っ赤な尿が、ドンドン出た。「ああ、また、か」が、最初の一句。時計を見ると、深夜の3時だった。寝る前までは、平常だったのに、なぜ? 赤が出る理由が分からない。もう赤い尿を見ると、「疲れたよ」。あまり動揺はなかったが、しばらくベッドに腰かけて、首をうなだれ、瞑目して、動かなかった。「深い眠りに入って、何もかも忘れたい」。つぶやいた。ガンの発症なのか。脳裏には、いろんな苦しい思いが、よぎる。腎臓のどこかに、炎症があるのか。とにかく真っ赤な尿が出たのは事実だった。「苦労するなァ、トマは」。自分を慰めてやりたかった。十字架は、また迫ってくる。今夜は、新たな苦難の始まりにも思えた。「生きていくのも、苦労するな」。また、深くイキをした。77歳、喜寿までは健康だったなァ。78歳から山あり、谷ありの道を歩いた。今年はタツ年で、めぐりめぐって自分の年になる。今年は、いいことあるぞ、と期待した。それが4度の入院。そして、まだ、まだ、新しい苦難が始まるのか。からだ全体が、老いを感じる。「生きているのは、うれしいなァ」「生きておれば、笑えるからなァ」「出会いもあるし、祈りも出来る。みんなで、声を大きく祈るのは、活力が並々と満ちてくる」「苦労があっても、生きているのは、たのしい」「この柔らかな皮膚、見える目、やっぱり嬉しい」。朝、5時に起きて、みんなと一緒に祈る。朝食のあと、部屋を片づけ、泌尿器科の病院へ。「先生、すみません。昨夜、血尿したので、びっくりして、来ました」