長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年4月7日火曜日
ありのままを、受け入れて、いく。道は敷かれる
2015年4月6日月曜日
楽しそう、出会いは恵み。また何かが生まれるかも
幸一君のお母さん、田川香さんと、明子さんの写真です。自室の狭い部屋で写しました。明子さんが、湯江駅まで、車で送ってあげるという。仲良しになりました。2人とも、楽しそうです。出会って、良かったと思いますよ。香さんがホームへ来たことは、ちょっとした話題になった。自分は、ホームでは、田川幸一と呼ばれているから、「幸一のお母さん、え?若いなァ」とか言う声もあった。食卓の隣の女性は、こんな話をしていた。騎士誌で、「小崎登明さんの記事をいつも真っ先に読んで、楽しみにしていた。その人が田川さんって、光栄です」「いいえ、とんでもありません」。ホームに入って、登明の名は使わなくなったが、また手紙のサインに使おうかと思う。迷っていますよ。★今朝、ミサで、終わった後、席で、すれ違いに明子さんに出合った。ニコッとして、そのまま別れたが、後になって後悔した。一言、いえば良かったなァ。「昨日は、香さん、送ってもらって、ありがとう、ね」。一言が心を温めるんですね。間をおく大切さを反省しました。あわてんぼう、なんですね。あせり過ぎかな。
2015年4月5日日曜日
復活祭。楽しい出会いがあった。喜びの日となる
大阪に、同姓同名の「田川幸一」君がいる。この春、大学の入試。長崎にあこがれ、長崎大学を受験し、合格した。入学式がおこなわれる。母、田川香さんも同行した。宿舎の家さがし。終わって、大阪へ帰る途中で、ホームに出会いに来た。復活祭の楽しい思い出となった。ちょうど、ホームでお祝いの昼食会がある時で、皆さんとも一緒に食事をした。「幸一君が、長崎へ来て、近くなったから、いいね」。10年来のご縁が今もつづいている。これから幸一君が、どのように育っていくか、楽しみが増えた。きょうの復活祭は、ウキ、ウキのお祝いとなった。主の復活、アレルヤ。昨夜は湯江教会でも、大勢の人が集まり、荘厳な徹夜の儀式とミサがおこなわれた。幸一君のお母さん、お若い。
2015年4月4日土曜日
遠くへ、行きたい、思ったこと、ある?あったよ、今も
数年前の秋ごろ、まだ聖コルベ館に居たとき、書いていたメモが見つかった。「遠くへ、行きたいと、思ったこと、ある?あるなァ。1度や、2度は、この場所、この人から、離れたい、どこでも、いいからと、思ったこと、あるサ」と書いてあった。メモの日にちも、ある。2011.11.2だった。書きなぐりの字の流れを、じっと、いまホームで見ながら、指で数えてみれば、3年半ですよ。現在のホームに居るなんて、想像もつかなかった。人は、いまの環境を、恵みと考えない。「遠くへ行きたい、思うこと、ある?」。ああ、やっぱり、「行きたいなァ」と、あるんです。人の気持ちは、あっちや、こっちに、飛んでいくんですね。★ホームのスピーカーで、お知らせがあった。「復活祭のタマゴつくり、お手伝いにきてください」。考えを打ち消して、痛む足を伸ばして、出かけました。20人近くの人が、復活祭にむけて、タマゴつくりを、丹念に、作業している。少しばかり、加勢しました。ホームの人、教会の信者さん、にぎやかに談笑しながら作っているのが、これ、これが復活のタマゴです。200個ばかり、作った。紙のケースは1年がかりで準備し、なかにタマゴを入れて、ヒモで閉じて、小さなアクセサリーも付けている。ここで、こんな作業をしている自分がフシギに思えました。環境が、すっかり変わりました。心をこめる作業です。今夜が、いよいよ復活徹夜祭です。
2015年4月3日金曜日
陽あたりの良い、静かな高台にあるホームです
2015年4月2日木曜日
きのうは、あわただしい日でした。日記、書くのも遅い
普通は、午前中に、日記を書く。昨夜は、遅かった。夜の7時近くだった。きのうは、あわただしかったのです。朝食後、すぐ長崎まで、用件があって出かけた。車で、片道、1時間。幸い、帰ってきたのは、昼食まえでした。食堂に、大きな、見事な、ボタンが飾られていた。サクラもいいが、この花も華麗に咲く。聖コルベ館に居たとき、よく色紙にボタンの絵を描いた。絵の具や、色紙や、資料など、2箱に入れて、ホームの自室に持ってはきたが、まだ、ボール箱を開けようとしていない。場所もないのです。ボタンを描くのは好きだった。まだ未練がある。午後からは、ベッドに横になる。長崎まで行った疲れか、眠った。長くは寝ておれない。起きると、ちょうど高校野球の決勝戦だった。ロザリオの時間になる。お祈りが終わると、明子さんが来られた。いっしょに短いドライブに出かけたわけです。こちらはサクラ。雰囲気があった。夕食のとき、女性職員が食卓のソバまで来て、かがんで、小さな声で、「どこまで行ったの?」と聞いた。係わり合いを持ってくれたことが、とても嬉しかった。「サクラ、見に」。花も、いいけど、人とヒトとの、係わり合い、これが一番嬉しい事だった。小さな、ささやき、声も、いまでは、生活の励みになる。そういうわけで、日記を書く時間が遅くなったのです。
2015年4月1日水曜日
過去は変えられないが、未来は変えられる
いつも自室に来て、散歩したり、おしゃべりしたり、支えてくれている明子さんです。「ブログに載せても、いい」「いいですよ」。ホームの生活は寂しい。1人、自室に居て、話さない日もある。明子さんが来てくれるようになった。積極的に、「屋外を歩きましょう。青い空、見てごらん。笑いなさい。帰りは、ハイ、アクシュ」。沈んでいた心が、希望と、期待で、明るくなった。今はサクラの満開の時期です。サクラには思い出がある、と明子さん。昨年のサクラの花の前で、写真を撮った。その3ヵ月後、ご主人は亡くなられた。「写真を撮った場所のサクラを見に行きましょう」。ホームの許しを得て、車に乗せてもらって、短いドライブをおこなった。小学校の塀に、10数本の大きな木のサクラが満開です。今は亡きご主人の写真を撮った場所に、「立ってください」が、これです。明子さんの苦しみは大きかったが、乗り越えて、笑う人、奉仕する人になっている。「貯金ではなく、歩け、歩け、貯筋だよ」「過去は変えられないけど、未来は変えられる」「人生、リセットはできないけど、リスタートはできる」。いろんな書き物を残してくれる。これまでも日記に、時々、明子さんの名前をのせたので、どんな女性だろうと、興味をもった人も居たでしょう。ふしぎだなア。きょう、東京の女性から手紙が来た。(3月23日にも手紙を載せた女性です)。手紙の文面に、「・・・・ジッとしていられない⇒散歩⇒貯筋。桜が散り始めて、風情が増すことでしょう」とあった。
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