2015年5月31日日曜日

長崎・聖母の騎士ルルド祭で祈る。残念、登れない

沢山の聖母マリアさまを讃える人びとが集まって、祈り、ラテン語の「キリエ」「グロリア」などを歌った。前日の雨のため、ルルドの芝生がぬれている。ロザリオとミサは聖堂でおこなった。司式は、今年、司祭叙階50周年、金祝を迎える瀧神父さんが勤めて、お説教もなさった。ミサ後、赤尾院長さんが、修道誓願金祝を迎える松下修道士と、わたしを、皆さんに紹介してくださったのは、ひじょうに嬉しかった。★ルルドの聖母マリアさまのところへ登る気持ちは山々あったが、足がよろめき、ホームからも10人あまりが参加したので、果たさなかった。いつの日か、登り、祈りたいと思う。ルルドのマリアさま、ごめんなさい。原爆死をした母親が、15歳のわたしを連れて行って、マリアさまに委ねたのが、この道の始まりであった。わすれることは出来ない。17歳で、聖母の騎士に入学して、70年。誓願を立てて、50年だから、20年間は、さまよっていたわけだ。50年の修道生活のなかで、一番の思いは、コルベ神父が聖人になったことであった。聖人になったことで、聖コルベ館が出来たが、50年の半分、24年間は、聖コルベ館のお勤めを果たす恵みをいただいた。これが、すべてです。マリアさまは、わたしに御目をかけてくださるでしょうか。くださると、ただ信じています。今夜は、ゆっくり眠ります。

2015年5月30日土曜日

あした、天気に、なあーれ。もう1度、仰ぎ見られるか

毎朝、5時に起きて、教会で、共同で朝の祈りを唱える。6時からミサで祈っています。ところが、きょうはホームでは、もう1つ、10時から「礼拝の日」といって、ホームの希望者が集まって、ミサが行なわれた。司祭は言った。「自分がここに着任して、数年になるが、多くの人を見送った。きょうは、園で亡くなった人たちのために祈りましょう」。亡くなった人たちを想い、冥福を祈る。「自分たちも、いつかは、その日が・・・くる」と思う日でもあった。ホームに居ると、自然と、神さまと出会う日が近いのを意識する。生かされているうちは、立派に生きることを大切にしよう。いのちの大切さ。生かされている恵み。人と擦れ合う喜び。考えは、当然のことながら、祈りにつながっていく。★5月は、晴れの日々がつづいた。庭のアジサイも写真に収めた。明日は、いよいよ最後の日曜日で、長崎・聖母の騎士のルルド祭になっている。ぜひ参加したい。毎日、歩く限度は、2.500歩ぐらいです。歩けるか。でも参加したい。最後かも知れない。最後に、しっかりと、ルルドの聖母マリアさまを見ておきたい。祈りたい。母のため、父のため、支えてくださった人びとのため。登れるか。足、ヒザは痛い。からだは、フラフラする。ところが天候がくずれ出して、朝から小雨が降っている。どうなることやら、心配している。ルルドの聖母マリアさまを、もう1度、仰ぎ見られるだろうか。これまで親しんだマリアさまを。

2015年5月29日金曜日

生かされているのが基本だが、生きる負の荷もある

朝食が終わると、すぐ入浴があった。介護のヘルパーさんの世話になる。お手数かけて、すみません。風呂に入ると、自室は風通しがいいので、つい、うと、うとと、眠たくなる。★午前中、園内の廊下を散歩する習慣だ。1階と2階を回れば、結構な歩数になる。廊下の途中にソファーがあって、新聞、雑誌が置いてある。時には、近くの部屋の女性たちと話し込むこともある。一番の高齢者は、98歳のカトリックの女性で、足腰しっかりしていると聞いた。うらやましい限りです。★自室に戻ってから、パソコンに向かう。午前中に、何かを書きたい。昨年の今頃は、何を書いているのか、長崎の白浜さんが届けてくれた「トマさんの日記」(「A4」紙に起こしてファイルに収めている)を開けてみた。いつぞや、鹿児島から長崎へ来たついでに、ホームに訪ねてきた女性がいたが、ちょうど1年前の5月に聖コルベ館にも来ていた。そのとき女性が言うには、今でも覚えている。「神は愛である。この言葉が好きです」。しっかり、強調していた。★「神は愛なり」と言えば、昨日の日記に、大槻霊父のバラを載せたが、思い出した。聖コルベ館に、この教団の信者が巡礼に来ると、彼らの一行は、「コルベ神父の居室」に入り、祈りを始める。その後、皆さんが一体となって、「神は愛なり」「神は愛なり」と唱えだし、それだけの言葉で、ますます声が高潮し、涙も混じるような、大きな信仰の体験となるのだった。信仰の感動は、こうした積極性にあるのかも知れない。「神は、愛なり」。深い言葉です。言い易くて、悟り難い。きょうは午前中に、そんなことを考えた。信仰の基本ですが、わかるには特別なお恵みがいります。

2015年5月28日木曜日

「火事です。急いで、逃げてください」。避難訓練です

ホームには広い庭がある。環境に恵まれている。午後、しばしベッドに横になった後、庭を散歩します。歩くことの大切さを痛感する毎日です。出会った人は、約1時間、毎日、雨が降っても散歩している、と平気で言う。そこまでは、とても、とても就いては行けぬ。★散歩から自室にもどって、しばらくすると、突然、けたたましいベルが園内にひびきわたった。「調理場から出火です」「こりゃ、大変だ」「皆さん、非難してください」。職員が慌てて駆けつけてくる。調理場は、自室の廊下をへだてて、すぐ前です。火元と同じだ。職員が大声で、「すぐ逃げてください」。皆さんは、この庭へ集まった。車椅子の人もいる。杖の人もいる。★久しぶりの非難訓練だった。最近はニュース・報道でも、火事による災難が多い。「何よりも火元の注意。火事を出さないこと。タバコ、電気のコンセントなどが恐ろしい」。訓練は必要でしょう。皆さん、1階、2階の全員が集まった。1人、1人、名前を呼ばれて、居るか、居ないか、確認する。集団の生活は、火事、インフルエンザ、食中毒などが恐ろしい。最も注意しているところです。

2015年5月27日水曜日

聖母の騎士アンネのバラ」ものがたり。平和バラの花

2日前に、アンネのバラを載せたところ、ルチアさんからコメントが入っていた。「聖母の騎士から戴いたアンネのバラは、実家に、見事な大木になっている。きれいに沢山の花を咲かせている。亡くなった父が、ていねいに育てたバラです」と教えてくれて、ありがとう。聖母の騎士のアンネのバラは、モトを正せば、アンネのお父さん、オットー氏(91歳で、1979年に亡くなった)から、いただいたバラということになります。そのいきさつをお教えしましょう。★京都の大槻霊父夫妻(写真・右)は、1980年前後の頃、コルベ神父を慕って、度々、長崎・聖母の騎士に巡礼に来ていました。大槻霊父は、キリスト教団『聖イエス会』の創立者です。京都に本部や神学校がある。その場所を訪ねました。1982年頃です。大槻霊父の部屋には、無原罪の聖母マリア像が置かれていた。帰りしなに戴いたのが、バラの苗です。「コルベ師の庭に植えてください」。アンネのバラでした。★1971年頃、教団の合唱団が渡欧コンサート旅行の際に、イスラエルのレストランで、偶然に、アンネのお父さん、オットー氏に出会って、苗木をいたく約束をした。大槻霊父は言われる。「1ヶ月以上の輸送のため、苗木は褐色化して枯死寸前だったのです。それが10株のうち、1本が奇跡的に甦り、見事なバラが咲きました。日によって色が黄金色からピンク、紫と変化し、甘い香りを漂わせます。アンネのいのちの再現、犠牲の花ですよ」。小さな英雄アンネも、愛の聖者コルベ師も、アウシュヴィッツで多くの苦しみを受けた。平和を願い、戦争を憎む少女のこころも、偉大なコルベ神父のこころも、根底は同じです、と大槻先生は強調していた。「愛に死ぬのは、誰にでも出来ることではない。十字架のキリストに生きることによって可能となる。わたしは教団の信者に、聖母の騎士巡礼を勧めています」

2015年5月26日火曜日

応援してくださって、ありがとう。有るのは、未来

元気にしておりますが、ブログを書くのが遅くなりました。先日、山茶花・高原へ行ったときの写真です。考え事をするのに、アタマが弱くなりました。87歳の老人が毎日、ブログを書く。昨日は、188
人の方が見てくださった。どうして、こんなにも読んでくださるのか、自分でも、わからない。特別、肩書きがあるわけでない。主張があるわけでもない。書いている内容も平凡なのに、目にとめてくださる人がいるから自分でも、ふしぎです。★わかりました。発信を待っていてくださるのも、あるでしょうが、応援してくださっているのだろう。ありがたいことです。ホームに居ても、がんばりなさい、そう支えてくださっているのだろう。★昨日、「皆さん、幸せですか?」の問いかけに、即答して、「幸せです」と、ちゅうちょでず、間をおかずに声をあげた女性があった。考えましたよ。「幸せ、とは何か。どの状態のときに、言えるのか」。自分が置かれた状態を受け止めて、精一杯を、生きる。改善するところも、あるでしょう。しかし、どうしても変えられない現実も、この世には、あります。

2015年5月25日月曜日

バラが咲いた、の歌から、アンネのバラを想い出した

園内放送で、「コールスがあります。集まってください」。結構な人が集まった。タオルを使っての軽い体操から始まった。「もし、もしカメよ」の歌に合わせて体を動かす。タオルにも、いろんな使い方がある。次は、コールスといっても、思い思いに声を出して、歌えばいいのです。来月は、父の日がくる。なにやら出し物もあるようです。それにちなんでか、「バラが咲いた」を歌いましょう。それから「茶摘の歌」。次は、「皆さん、幸せですか?」と呼びかけた。すると、「ハイ、幸せです」と、即答があったのが、よかった。「では、幸せなら・・・手をたたこう。肩たたこう。足ならそう。両・隣の人と、両手を結びましょう」。皆さんは楽しそうに、励んでいた。中間に、ヤクルトのおやつも出るので、人気もあります。約40分の集会でした。★自室に入って、パソコンに向かった。何を書こうか。「バラが咲いた」を歌ったね。そう、「アンネのバラ」を思い出した。アンネのバラは、黄色から、ピンク、赤色と、色がかわる魅力のバラです。長崎・聖母の騎士のルルドへ登る、ロザリオの玄義に植えたバラです。歴史は古く、1982年に写したバラの写真です。今でも、当時の経緯(いきさつ)を書いた資料を集めたアルバムを持っております。