2014年4月7日月曜日

感動した。10歳の女の子が色紙を買ってくれた。

★聖コルベ館に、お母さんと女の子が入ってきた。しばらく資料室を見ている。女の子が、「ネ、ネ。これ、ください」と、1枚の色紙を差し出すではないか。「え?買うの?」。初めてだよ、こんな少女が色紙を買うのは・・・。「これ、いい。ほしいです。言葉が好き」。色紙には『他人と比べるな。自分らしく、生きよ。いいところは、ある』とあった。いい言葉だよ。1.000円くれた。パッと、これが目に付いたとは、「エライぞ」。感動したよ。「何歳?」「10歳です」。お母さんの説明によると、お父さんは、バングラデシュ人。「お名前は?」。お母さんが答えた。「愛理です」。カトリックで、霊名は「マリア・アンゼリナ」「学校は?」[国際・・・英語の授業です」。毎年、バングラデシュに帰っている。「将来のユメは?」と聞くと、「お医者さん」。★彼は、彼。わたしは、私。違いを、認める。されど、仲良し。その心だよ。君にも、いいところは沢山ある。才能を、喜びを、伸ばしていきなさい。一般に、こういうことも言える。相手を変えるのではなく、自分を変える。いつも相手を変えようとするから、悩みが生じる。★ゲンキな女の子だね。話しているうちに、お母さんが本の販売の机で見ている。「マンガ・焼けたロザリオ、買いなさい」と声をかけると、少女が、サッと行って持って来た。パラパラめくって、目が早い。「イジメた人、どうなった?」「死んだよ」「かわいそう。ざまーみろ」「そこまで言うなよ。こまるよ」。修道士さんは改心したんだよ。そのマンガも買い求めた。「シャシン、写すよ」。明るい少女だった。帰った後、サイン帳に「はやく、はつ・せいたい(初聖体)を受けられますように」と書いてあった。★125★

2014年4月6日日曜日

老人は、過去を知る。「ボクのお母さん、どうだった?」

★玄関に、リッパな5月人形が、飾ってあった。ここは田舎の、山のなかの老人ホーム。従姉のばあちゃんを見舞いに行った。会うなり、ばあちゃん、泣き出した。大正うまれの、91歳。「キミエさん」。泣くなよ、と背中をさする。寂しかったんだろう、な。実子が居ない。ホームの部屋は、4人が住む。「夜、寝られんとょ」。シワの多いカオがゆがむ。おみやげを差し上げると、ナミダはピタリ止んだ。★長生きしても、苦労は多いんだな。ニンゲン、死ぬまで、気兼ねして、生きるのか。絶えて行くしかないだろう。★老人は過去を知っているはずだ。「キミエさん、ボクのお母さん、知っている?」。こっくり、うなずき「知っている」。キミエさんの家は、長崎市・上野町356番地。原爆の被害が多かった町。キミエさんは被爆前に、市外に縁付いた。荷物を運ぼうと、港へ行く。そのとき、ボクの家によって、母親に「いっしょに行かない?」と誘ったという。「幸一(ボクのこと)が居るから、行けないよ」とボクの母。原爆が落ちて、母親は行方不明となる。「いっしょに、行っておれば、ね。助かったかも」。キミエさんは、港で被爆し、無傷だった。人間の運命って、わからんね。キミエさんは、「結婚前は、よく、お母さんの家に泊まりに行っていたよ」「ボクも、覚えている」★133★

2014年4月5日土曜日

疑う余地はない。日々新たに前へ進みましょう。行こ。

★1幅の掛け軸がかかっていた。温泉宿・富士屋さんの玄関を入ったところにあった小さな床の間です。字に興味がある。難しい漢字。「弄花香満衣」。読みは「花をろうすれば、香りは衣に満つ」。つまり、花を手に取っておれば、いつしか、その香りが移って、着衣にも漂うようになる。★この度、温泉宿へ着たとき、小さな迷いがあった。自分のジンセイを振り返って、人間として生きたが、意味はあったのか。意味があれば、価値がある。価値があれま、満足だ。★藤下先生は、「定めだよ」と言った。山のシスターは、「いつの間にか、奉仕です」。そのように、成って行ったんです。人生とは、そんなモンです。★17歳で、この道に入ったが、正式に修道士になったのは、20年も経って、37歳になっていた。あれから50年の命が与えられたんです。歳をとれば、1つ、1つ、考えの清算をしていく。この場合、何も、言える、余地がありません。意義があったのか、少しでも疑うのは、50年の歳月に、かわいそうだよ。毎年、毎年、○を集めた。○は49になった。あと1つで、50の○です。ありがたい、ジンセイだった。迷いは、ミジンもなくなった。★カンシャのうちに、日々、新たに、前へ進みましょう。★129★

2014年4月4日金曜日

温泉につかって、気持ちも晴れ晴れとなる。よっしゃ。

★温泉宿の朝食の風景です。大広間に、片側に20人あまりの男性グループがいた。当方は、こちらの片側に、たった1人だけ、ポツンです。男たちの年代は、70前後かな。近くの農村と、漁村のたくましい男たち。何かの会らしい。ここに「修道士」が居るなんて、全く想像もつかないね。彼らのゲンキなこと。「ご飯、おかわりッ」「こっちも、おかわり」。生きる力が旺盛だ。チャワンを上げて、催促している。お手伝いさんは忙しい。「もう、おひつは、こっちへ持っておいでよ」の声も。「こちらで注いであげます。美人から注がれた方が、いいでしょモン」。これには皆、素直に従った。★この度、温泉宿に来て、よかったと思う。気持ちが、すっきり、明るくなりました。「よし、ゲンキを出そう。まず声を大きく出そう。ヤッホー。ご飯の、おかわりーッ。それぐらいのゲンキで行こう」と思った。★与えられた「生」を生きる。苦しみがあっても、逆境に立っても、ハネのけてきた。乗り越えてきた。その証拠に、いまがある。今があることが、尊い。過去に耐えてきた。生きてこそ、いのちだ。★聖コルベ館に帰って、食堂に出た。「おお、いいカオ、しているな」と言われて、胸のうちで、「これから大きな声で、祈りを、しますよ」★175★

2014年4月3日木曜日

温泉・3日目。山のシスターとの会話。奉仕の喜び。

★温泉宿から、車で、山のシスター修道院へ向かった。「やあ、お久しぶり」。当方の声を聞いて、古参のシスターが4、5人集まった。さえずりは、約1時間つづいた。帰りには、シスターから、野菜類のおみやげを頂いた。★1人の古参シスターさんの話、内容は、次のようだ。「大阪から、親戚に連れられて、16,7才のとき、長崎へきた。ゼノさんに会ったのが、運のツキ。『天国、みなさん、待ってーます』。ゼノさんの愛の麻酔にかかった。原爆孤児の面倒をみなさい。カラダの不自由な子どもを助けなさい。以来、65年以上働いている。この人、料理に、絵画的織物、お茶の栽培など、万能の技を持っている。ただ、神さまの愛のため、隣人への奉仕のため、黙々と生涯をささげ尽くしてきた。笑っている。喜んでいる。幸せのヒミツは長年の祈りなのか。★ふしぎを知るのがジンセイです。その人だけのもの。白紙だったところに、こうーなって、こーう準備されて、見事な人生パズルが完成する。それらのフシギな導きを、その人だけのために知ることが、ジンセイなんだよ、と思う。痕跡は、ふしぎとしか、言いようがない。1つだけの痕跡で、その人にだけの、足跡が残る。それを見つけるのが、ジンセイです。★目に見えないモノへの、真理への憧れ。愛の根源への追求というか。むずかしい。★神よ、あなたの国の証しとなるため、独身を守って生涯をささげる人びとを、祝福してください。かれらが召しだしの道を最後まで、進むことができますように。

2014年4月2日水曜日

温泉・2日目。ヒトは定めを生きる。達成感に、喜び。

★定年退職した元・教頭の藤下邦彦先生です。愛犬のジュピター、3才。★温泉2日目は、中日(なか・び)です。朝食終わったところで、山の施設の学校へ行ってみよう、と思い立った。温泉のすぐ近くの愛野町に藤下先生が住んでいる。電話を入れると、「いま、犬の散歩」。やがて宿へ迎えにきた。藤下先生の車で、一路、山へ。★最近、考えていることがあります。人生を振り返って、ヒトは、どのように生きれば満足なのか。満足とは、わが人生に価値づけをする。納得できるとして、最後を迎えられるか。いかに生きれば良いか、である。助手席から藤下先生にナゾかけてみた。「ジンセイって、ある時期、縁があって、何10年と、その場所で暮らす。大事な人生の大半を、そこで費やすわけです。それで、いいのか」★すると藤下先生は、こう答えた。「寺の坊さんの孫に生まれて(自分のこと)、同志社(キリスト教)大学を出て、カトリックの施設の私立学校に、38年間も勤めたんです」。1つしかない人生を、施設の子どもたちのために、費やしたわけだ。藤下先生はつづけて言ったね。「これも定めだったよ」。ズバリ。そうだ、定めだったんだ。そのように生きるように、何かに導かれていたんだ。人生には、そういう生き方もある。★この世に生まれたからには、生きなければならぬ。何のために生きるか、考えなくていい。とにかく生きる。生きるからには、リッパの生きようではないか。生きて満足だったと言える人生なら、それでよいと思う。自分は必要とされているだろうか。そう思って悩む人も多々ある。必要とされるために、自分で築いていく。努力をしていく。★与えられた能力を発揮して、他者のために尽くし、奉仕するなら、そこに達成感、喜びがある。それは、ヒトは、ひとりでは生きられない存在だからだ。★先月、閉校になった校舎を訪問した。「さびしくなった、な」と藤下先生、しきり。帰路に、また問うた。「巣立って行った子どもたちは、みな幸福になったろうか」。答えは、こうだ。「施設を出た後、社会生活を新たに広げて行った者が、成功する」。なぜか、その夜は、ゆっくり眠った。★150★

2014年4月1日火曜日

島原半島・オバマ温泉・富士屋さんへ。1日目。

★いつもオバマ温泉に連れて行ってくれる白浜忠美さんです。お世話になってます。★毎月、温泉宿へ出かけている。「ゼイタクな」の声も聞かれる。だが当の本人は1つの試金石だと思っています。オバマには、被爆者療養の宿もある。泊まったこともある。今の定宿・富士屋さんは、その延長線にあると思っているんです。療養ですよ。オバマ温泉に来れなくなったら、「アウト」です。今までは、自分で運転して来た。今は出来ない。「ワン・ストライク」だよ。もし、オバマに来れない体力になったら、「ツウ・ストライク」になる。その後は「アウト」だからね。★実を言えば、この度は、あまり気が進まなかった。最近、アタマが、ふらふら。足は、よろよろ。いまいち、気乗りがしない。「ああ、これでは、ダメだ」と思い直した。前日になって、宿に予約。意を決してやって来たわけです。★そのまま来れば、1時間強で来る。善業も、と考えて、老人ホームに仲間の修道士を見舞った。車椅子だが、毎日、ロザリオ、3本。昔の祈りの「イエスの御名の連祷」「聖マリアの連祷」「聖ヨゼフの連祷」(もちろん暗記)を捧げている。「さすがは、長崎の信者だ」と感心・敬服した。寄り道したので、富士屋さん到着は、1時間遅れた。御かみさんが心配して待っていた。★温泉に浸かって、「ああ、来てよかった」と思う。最近、体調に不安を感じていた。詳しくは、書きません。「ピン・ころり」と思うこともある。「待て、待て。まだ、ぞ」。その夜の泊まり客は、たった1人だった。