2021年1月8日金曜日

コルベ神父の誕生日。名前は「ライムンド」。愛と命とマリアに生きる

 今日は、コルベ神父の誕生日です。
ポーランド。この家で生まれた。
1894年、明治27年。トマが、家の写真を写した。(生誕から77年が経過した1971年10月)。生誕の部屋には1組の夫妻。初めて日本人を見て、おどろいた。
★今朝のミサ。司祭が「生まれる前に失った命。生まれても虐待、暴力で失った命のために祈りましょう」と告げた。「コルベ」は「命」につながる。
★聖コルベ生誕110周年のお祝いに、トマ修道士は、日本から25人の巡礼者を連れて、祝賀会、ミサ、お祝いに参加した。
生家は、教会の所有、記念館となった。
地元の皆さんと交流して、親ぼくを深め、着物姿で、踊りや、尺八の音色を披露した。楽しい思い出をつくる。
トマ修道士にとっては、10回目のポーランド。この旅が最後になった。
コルベ神父は、47歳で殉教した。
★殉教した「餓死の地下室」。
現在の場所は、レリーフや、ローソクのススで、黒く変化している。
収容所の女性案内者は、本当はここが同じ部屋と教えた。
「こんな部屋でー」。胸が痛む。
右の端にあるのは「トイレ」だよ。餓死室に10人が居て、どんな役割を果たしたか、考えると、もう胸が耐え難いほど痛む。想像を絶する。
★なぜ、そんなにコルベ神父に、こだわるのか? 
今の世の中、汚れと、ウソ、偽りに、まみれても、コルベ神父のように、真実、「愛と命」に貫いた人がいる。
どんな逆境でも、「生きよう」と希望を持つ人が居る。我々に、希望と、愛を、人の進む道を教える人じゃないですか。
★その原動力は「マリアへ完全な奉献」と「イエスの如く生きる」信念にあった。この暗い地下室で、飲まない、食べない。1滴の水も与えられず、「はだか」で、「我、かわく」の状態で、神の生命に抱かれた。イエスに似た、生涯だった。
★今朝の司祭の言葉を思い出す。「生まれずに、消えた命」「生まれても、虐待、育児放棄で、失われた命」。かわいそう。

2021年1月7日木曜日

入江さんが残してくれたトマの手紙。熊本の家を訪ねた。つながりは堅い

ホームにて、入江さんと。
お互いに、仲が良かった。
歴史が、ある。
10年程前。聖コルベ館に居た時、熊本の入江さんを訪ねた。熊本の繁華街から、少し南に下がった町であった。
長崎から、小さな「オンボロの軽」で来たから、入江さは、その行動力に、びっくりしていた。クリーニング店を営んでいた。お得意さんに、大きな団体の衣服を洗う仕事が有るので、経営は好調と語っていた。働き者の入江さんだった。
「修道会に、寄付したい」。入江さんは、篤信の思いを寄せてくれた。熊本まで、行った甲斐があったと、トマは喜んだ。
★ホームに入所した入江さんが、大事そうに、1枚の手紙を見せた。それはトマの手紙。「修道会へ寄付の手続きを教えている」
はっきり、入江敏行様、と書いてある。
最後には「小崎登明」のサインもある。
懐かしい。2010年4月12日。おそらく、その以前に、軽で熊本を訪ねたのであろう。
当時、手紙には黄色い紙を使い、冒頭に、聖コルベのポーランド切手を載せ、「けがれなきマリア、愛と喜び」と墨字で記した。必ず、大きな赤色のスタンプを押した。寄付金・返事の内容は、織り込まれて分からない。4月24日は、コルベ神父、ゼノ修道士の長崎への上陸記念日と書いてある。
自分の字を改めて見るのは、なぜか楽しい。
★入江さんを思うと、忘れない思い出がある。教会へロザリオへ行って、帰りに、入江さんがホームの戸を開いて、後ろを見ないで、閉めた。すると、後ろに、つづいて来ていた女性が、「なに、するの」と怒った。即座に、入江さんが言った言葉。「おお、大統領」。トマは、その場で、大笑いしたよ。女性は、更に、プン、プンしていた。「おお、大統領」。忘れない、入江さんの、ひと言だ。ずばり、言われりゃ、ガクンとなるね。いまは、その女性は、ホームには居ない。「大統領」だけが、記憶に残っている。

2021年1月6日水曜日

入江さんの葬儀・告別式。ホームの皆さんで祈る。豪快さ、優しさ、信仰

ヨハネ入江敏行さんの葬儀・告別式が行なわれた。ホームの皆さんで祈る。
トマのポケットに「お別れのことば」を用意。しかし発言はしなかった。
★入江さん、急に、旅立たれて、本当に、寂しいです。コロナの関係で、ご家族や、愛する孫さん達に見送られることなく、切なる思いでしょう。かわりに、ひと言、申し添えます。
★戦争が終わった前後の6年間、聖母に騎士の神学生として過ごされました。その頃から、私は知っています。初田神父さん、川渕神父さん、大曾神父さんは、入江さんと共に学んだ仲間です。
★熊本で、愛する奥さんを亡くした後、ホーム入りを決めました。教会の神父さんに相談すると、「聖フランシスコ園へ行きなさい」。聖フランシスコ園が、どういう所か知らないまま、入所してみると、元・園長は、初田神父さん、川渕神父さん、大曾神父さんは入居しておられた。入江さん、あなたは言いましたね。「ふるさとへ帰ったようだ」
★90歳で入所。6年間の生活でした。ホームの男性職員の休日に、入江さんは先頭に立って、漁船を借り切り、天草灘で、大きなタイを釣って喜ぶ、その豪快さ。
★最初の3年間は、トマは一緒に入浴しました。毎回、背中を洗ってくれた、その優しさ。いつもロザリオを手にして、奥さんのため、家族のため、ホームの職員のため、特に、生まれ育った五島の信徒のため祈っていた、根っからの信仰心。忘れることは出来ません。
★ご家族では、娘さんは音大のピアノ科卒で、ご主人は、芸大、大学院卒で、自衛隊・音楽隊の隊長を勤めていました。その息子さん、つまり入江さんの孫さんは、芸大と、大学院を首席で卒業し、モスクワの著名な音楽院に留学し、全日本ピアノ・コンクールで第一位を受けた、自慢のお孫さんでした。
★本来ならば、そのご家族の皆さんが、この場に居られて、入江さんを見送ったでしょう。コロナ感染拡大のため、ホームに来るのは、不可能です。本当に残念です。
★しかし昨日のお通夜のお棺の中で、愛する奥さんの写真が寄り添っておられました。いま、天国で、ご一緒ですよね。どうぞ天国から、ホームの私たちを見守ってください。ヨハネ入江敏行さんのご冥福をお祈りします。

2021年1月5日火曜日

入江さん、神に召される。朝、教会の鐘がなる時。トマと、ご縁が深い人

 別れは、つらい。今朝、ミサの初め、教会の鐘が鳴る時間に、入江敏行さんが、ホームの自室で、静かに息を引き取った。95歳。神に召された。
入江さんと、トマの縁は深い。奥さんに逝かれて、ホームに入る気持ちになった。その頃、熊本に住んでいた。教会の神父さんに相談すると、「ホームに小崎登明がいる」と教えてくれた。トマに電話がかかった。「入りたい」「体験入学、してみなさい」。数日、暮らして気に入った。
2015年4月の末、入居した。入江さんは、終戦前後、6年間、聖母の騎士で学んだ過去がある。ホームに入って、元園長の初田神父、川渕神父、ホームに入居の大曾神父、みな知っていた。故郷に帰った気持ちになった。
黒の帽子をいつも愛用。魚釣りで、濱田神父さんとも仲良くなる。奥さんのため、家族のため、祈るのが日課となる。
★温泉ドライブも楽しんだ。運転は、右の高原修道士。左の端は、宿の主人。焼酎をたしなみ、声がデカイ人だった。
ホームでの入浴は、トマは、入江さんと一緒。入江さんが、トマの背中を洗ってくれた。90歳で入居。背中洗いは、3年つづいた。トマは、弟の感じ。その気持ちがあったろう。
★今年の元日。入江さんは、車椅子で、教会の最前列で、ミサで祈った。山内園長神父さんからご聖体を受ける。
★いま、ホームでの「お通夜」が終わったところです。皆さんが集まり、園長神父さんの司式で、入江さんを偲んだ。ご遺族は、関東地方にお住まいで、コロナのため、参列できなかった。お棺の中で、眠っておられた。横に、奥さんの写真が、添えられていた。天国で、奥さんと出会っているでしょう。
★2日前、トマは、看護師さん付き添いで、見舞った。目をあけて、トマを見た。手を差し出す。しっかりと握手。何も語らず。手の温もりが伝わった。
★入江さんとの別れは、悲しい。彼の思い出は、ホームに生きる限り、消える事はない。「ホームに、小崎登明が居るから、行きなさい」。勧めた神父さんに会いたいと思う。入江さんの事を伝えたいと思う。

2021年1月4日月曜日

誰が、イヤ。これが、ダメ。そう言わずに、癒しを、望む。希望はある

湯江教会の祭壇の生け花です。
昨秋、教会の玄関で、1枚のパンフレットを見つけた。「福岡カトリック神学院便り」。自室に持参。赤い振替用紙が入っていた。哲学・神学生たちが熱心に学んでいる。
若干の献金を送金した。通信欄に書いた言葉。「偶然、教会の玄関で目にしました。霊的豊かな説教をする司祭に育てて下さい。92歳の修道士」
神学院から年賀状が届いた。「この春、4名の助祭が卒業します」。トマは司祭になれなかったが、この神学院を応援したくなった。
★「トマさんにとって、信仰とは、何ですか?」。自らも度々問う。「母から、もらった、財産」。これしか、ない。外地で、母と2人のカトリック。母の故郷、浦上に帰って、浦上天主堂の周辺だけで1万2千人のカトリック。聖母の騎士に入って、ポーランドへ行くと、国民全体がカトリック。やがてルルドやローマ・バチカンを巡礼して、多くの信徒の熱意に圧倒された。約13億人のカトリック洗礼者がいる。
★今朝、ミサで祈った。福音は、マタイの4章。「イエスは『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」の箇所。このくだりは、全世界のカトリック司祭のミサで、全く同じ場面が朗読されている。典礼は、全世界のカトリックが、皆いっしょ。「教会の祈り」も同じである。同じ祈りを唱えている。いつも毎日、祈りながら、それを考える。カトリックは「一」にして「普遍」。そこに、チカラ強さが、湧いてくる。
★一方、五島列島の小さな集落の教会に目を向けてみよう。カトリック信徒たちが毎日、三々五々と集まって、長崎調の口調で、ロザリオを唱える根深い信心がある。見えない所で、隠れた場所で、カトリックの祈り、聖歌が、迫害時代から捧げられている。
★この五島の群衆と、バチカン広場の群衆をつなぐとき、何か知らぬが安ど感が湧いてくる。信仰に安らぎを感じる。道は、この道しかない。
★だが、不安や疑問もある。教会で祈る人たちは、みな、良い人かと期待していたら、傷ついた、裏切られた、やっては行けない、そんな声もある。人に、つまづき、失望して、教会から遠ざかる人が居るのも現実である。「兄弟の皆さん、罪深いわたしのために祈ってください」。公に、認めて、正す願いも祈る。教会に、聖人が多く居る事が、私たちの模範であり、希望になる。人間は、信仰したとしても、弱い存在。沢山の聖人「聖」ある限り手本はある。
★むかしのミサは、司祭が代表して、祭壇に上がる前に、「メア、クルパ(我が、あやまち)。メア、クルパ」と、胸を手で叩きつつ、願っていた。
「わたしの、あやまち」を背負って、教会では、回心と希望を祈る。「それが、母親から、受け継いだ、遺産」です。
★霊的ゆたかな、説教で伝える司祭のため祈りましょう。教会に行ったら、ゲンキが出た、慰めを受けた、癒された、そういう場でありたい。

2021年1月3日日曜日

星に導かれた3人の博士たち。修道服に守られて、やる気も出るよ。行け

「主の公現」の祭日。ミサで祈る。
湯江教会の「馬小屋」。
手前に、3人の博士たち。
星に導かれ、聖なる幼子を礼拝した。
以前は、この日、聖母の騎士では、各部屋を回って、司祭が清める習慣があった。
清めた後、部屋の鴨居に、チョークで書いた。「K+M+B+西暦年号」。
カスパル、メルキヨル、バルタザル。
あの習慣は、もう今は、ない。
フランシスコ修道会の習慣と聞いた。
★元日には、この場所で、写真を撮ることにしている。今年の笑顔は、どうかな? 年々、違うからね。
行動範囲は、狭まったが、アタマの回転は、まだ大丈夫。老いても、認められれば、嬉しい。ニンゲンだもの。日記を書くのが、楽しみだね。たいしたことは書けないけど、自分の「ボケ防止」には、なる。
整理・整頓。物は、減らそう。「きれいに、しなさい」と、小学生の頃からの「母親」の教え。夜、寝るときは、衣服をキレイにたたみ、枕元に置いた。外地に住んでいたからね。いつ何どき、何が起こるか知れない。「すぐ逃げれるように」と母親が説明。妙なモンで、今でも、それを時々思い出す。
「修道服に感謝です」。中身は、貧弱だが、服が、ヨロイになる。守られて、嬉しい。やる気も出るよ。
★古い写真を見つけた。年代を確認すると、2013年の元旦になっている。8年前だよ。聖母の騎士にて、瀧神父さんと、トマ。8年前には、ホームの事など、夢の中にも無かった。それが、今と同じように、瀧神父さんと生活している。ホームで助けられたり、声をかけられたりしている。ふしぎに思うよ。短い人生に、こんな「つながり」があるんだね。あの頃も、今も、根っからの思いは、変わらない。

2021年1月2日土曜日

今年も、いい風、吹いてくれ。生活の話が、喜び生き甲斐。触れ合い楽し

ホームの食堂の壁に、日の丸国旗。
「賀正」、そして、マリア像。
3人の修道者。
左より、大野幹夫神父さん。瀧憲志神父さん、トマ修道士。お正月を迎えました。
他に、西山達也神父さんが居る。全部で、4名です。
西山神父さんは、誕生日が、1月1日。元日です。昭和9年生まれの、87歳になる。お元気でおられる。1月の「誕生会」でお祝いされるでしょう。
★トマにも、何十枚か、年賀状が届いた。
その中で、記されていた、次の言葉。
「コルベ館でも、ホームでも、
待ってるだけで、向こうから、
いい話が、来る。人が、来る。
それが、トマさん」
この言葉に、ググっと、きた。いわれて、みれば、そうか、な。
うれしいコメント、ありがとう。
★常に、アタマに、ツノ(アンテナ)を立て、微妙な風(はなし)でも、キャッチする。その心境は、あるね。ボヤーッと、生きるな。何かが、起こる。聞いた話を良いように結ぶ。「起承転結」の念頭、オチは、やっぱり、ほしいね。一連の話が、ウマク、納まると、胸が、スカーッと、する。そういう気持ちで、今年も、つづけたい。生きるとは、そいうことタイ。今年も、何か、起こりそう。希望を持って、待ってるよ。
★昨日は、ホームの職員さんが、ずらりと並んで、新年の挨拶をされた。全員では、ないが、元日にお勤めの職員さん。家庭もあるのに、元旦、返上。ホームの介護に、生活のお世話、ありがとう。おかげで私たちは、生かされている。