今朝の「長崎新聞」に、1面記事で、遠藤周作の未発表の原稿、全文、104枚の原稿が見つかった、と報じている。それも、外海の遠藤文学館で発見された。何度も、行った事がある地元の文学館だ。父親の生家のすぐ近くにある。
★文学館では、トマも、遠藤さんとの出会いを語ったこともある。遠藤さんといえば、有名な作家の先生だが、トマには近い存在のお方に見える。
★もう40年前になるか。遠藤さんを案内して、長崎の大浦天主堂周辺をまわった。また小長井の施設「みさかえの園」や、修道女会にもお連れした。
★その時の写真が、これです。ミロハナ神父さんと、トマ。当時は、身体も、すっきりして、若いなァ。遠藤さんは優しい人だった。トマは、長崎の空港に、遠藤さんをお迎えに行ったが、「作家の先生だから、エライなァ」と思っていたら、トマを見るなり、「よろしくお願いします」と深くアタマを下げられたのには、びっくりした。
★案内が縁で、東京で、遠藤さんと、コルベ神父について対談したことがある。作家の、売れっ子の先生だから、お礼は幾らしたら、いいのか分からない。確か、10万円をふところに準備した。対談後、ふところに手を入れ、差し出そうとすると、「いらない。寄付します」と言われた。対談は、赤坂の「龍村」で、女性主人はカトリックで、騎士誌の読者だった。
★その対談で、忘れられない話が、2つある。1つは、ご自分もアウシュビッツを見学した。残虐な地を踏みしめ、痛む心になる。ホテルに帰ると、はいた靴を捨ててしまった、という話。作家の靴底は、それほど敏感だということです。
★2つめは、肉体と精神の話。私たちは、肉体的条件が、精神を支配するでしょう。不眠になれば、いくら、いい文章を書こうと思っても、アタマが回転しないから、書けませんよ。お祈りだって、心が集中できない時もある。ところが、コルベ神父さまの不思議なところは、肉体的、生理的な条件が、精神を支配しない人だった。
★「コルベ神父が、餓死の地下室で、最後まで生きておられたのは、肉体的条件が如何ような条件になろうとも、精神を支配していた。そこが違う。精神は、しっかりして、影響を与えない、それが聖人だ」と、トマは理解した。
★対談しても、作家は、表現が違うね。「痕跡を残す」という言葉を覚えたのも、遠藤さんの影響だった。「聖人とは、始めから失敗しないのではなく、人間的な失敗を乗り越え、乗り越えて、愛で死ぬことで、最終的に愛を完成させていく」
★そう、そう、もう1つ、忘れていた。「女の一生・第二部」に、餓死室に居たコルベ神父は思う。「長崎の日本人たちは、いま私がここに居ると、知っているだろうか。ああ、日本人たちの下駄(げた)の音が聞こえる」。その情景があまりにも切ない。
★作家の心は、緻密、厚みが有って、敏感である。遠藤さんから、1通の手紙をもらった。手元には、ない。
またまたまたまた学び多く、味わい深く、課題を明示され導きのスタートに立てる共有をありがとうございます。
返信削除遠藤周作先生は私にはとても遠い存在ですが、信仰の繋がりで心近しくあるように認められているような気持ちになります。
トマさんとミロハナ神父さんと三人のお写真は、穏やかな良い雰囲気ですね。一種、社会でのお仕事をきっかけとした集まりながら、根底に普遍性ある繋がりが見えるようです。
まずはここまで失礼いたします。
まだ洗礼を受けていない
返信削除高校生の頃、遠藤周作さんの
本で、イエスの生涯、キリストの誕生、
というのを読んで、こんな人がいたんだ!
と、涙が出たのを思いだします。
ニュースで、未発表の原稿が見つかった
と、言っていましたね!
偶然、未信者の夫が、
5日程前に、遠藤周作文学館に
見学に行ったばかりでした。
それを聞いて、私も、
機会があったら、行ってみたいと
思っています!
未発表の原稿が、本になった時には、
久しぶりに、遠藤周作さんの本、
読んでみたいです!
懐かしい写真も、見せていただき
どうもありがとうございます!