長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年2月18日水曜日
フランシスコ中村安五郎修道士、神に召される
ホームで、1人の修道士を見送った。93歳。老衰のため、安らかに息を引き取った。フランシスコ中村安五郎修道士、天国に直行を示す、平穏にみちた立派な逝去だった。ホームの職員たちが、緻密な面倒をみてくれる。前の日、お見舞いすると、眠っておられた。手を取って、「トマだよ」「フランシスコさん、コルベ神父さまのお話をよくしていたね」と耳もとで、大きく言うと、手をぎゅっと握り返してくれた。あれが別れとなった。★中村修道士は、14歳のときに、聖母の騎士に入った。コルベ神父がまだ長崎に居られたころで、しばらくコルベ神父さまと一緒に生活し、お話を聞き、お祈りをした幸いを体験を得ている。コルベ神父を知る最後の人、修道士であった。コルベ神父の御ひげで、顔をこすられたことを度々思い出に語っていた。私も負けじと、コルベ神父を語ったが、フランシスコ中村修道士には勝てなかった。また彼の話が長かった。★私は戦争中からフランシスコ中村修道士さんを知っている。戦時中の苦労話はこころに残った。修道院は特高刑事から監視され、外出禁止になっている。修道者や小神学生を養うため、リヤカーをひいて、浦上の信徒宅へ食料をもらいに行く。苦労しながら運んで、皆さんを養った。戦後は、東京に出て、赤羽、王子、亀有などで、教会建設で働き、受付係をつとめて、多くの人を信仰に導いた。長崎の聖母の騎士に帰ってからは、40年間、受付係として、教会の顔として、人びとに愛を示し、来る人たちを善導した。聖母の騎士を訪ねたことがある人なら、フランシスコ中村修道士の思い出は、きっと、あるだろう。このような話を思い浮かべると、人の一生、人生は長いと思う。★2月15日、午前0時53分、逝去。15日の午後、ホームでお別れの会があった。16日、長崎・聖母の騎士でお通夜、15日に葬儀と告別式がおこなわれた。コルベ神父を知る人が全く居なくなったことで、1つの時代が終わったのを感じている。★フランシスコ中村安五郎修道士さんの人徳は、信仰に根ざした優しさ、親切さ、こまやかな愛情にあった。運転もじょうずで、巡礼の案内役に熱心であった。五島の久賀島の信仰の熱烈地の出身だった。人が、この世に生きる。いろんな生き方があるだろう。フランシスコ中村さんの人生は、大きな収穫の輝く道であった。生きていることを大きな神の恵みとし、人生を大切に、りっぱに生きていきたいと思う。
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フランシスコ中村安五郎修道士様が
返信削除安らかに天国に召され平穏にみちた立派なご逝去
お祈り致します。
コルベ神父様と再会なさっていることでしょう。
中村修道士様のご健康を願いお祈り続けておりました。
小崎さんのブログが更新されないので
もしやと心配しておりました。
友人も以前長崎に巡礼した時中村修道士様に
親切にして頂き大変お世話になったそうです。
小崎さんの著書にもたびたび登場されていました。
小崎さんのお心お察し致します。
† 聖母の執り成しによって、聖コルベ神父さまとともに、イエスさまの御腕の中で、永遠の安息に与れますように。
返信削除† 聖母の執り成しによって、聖コルベ神父さまとともに、イエスさまの御腕の中で、永遠の安息に与れますように。
返信削除中村修道士様の 御人生に 感謝。 ハレルヤ。
返信削除すべてを聖母に奉献された素晴らしい聖母の騎士、中村修道士さん!あなたの人生を聖母はどれほど喜んでおられることでしょうか!天国でコルベ神父様と再会して、永遠の歓喜と賛美の中で、私たちをお守りください。
返信削除フランシスコ中村修道士さまの御魂が安らかに憩われますよう、お祈りもうしあげます。聖コルベ神父さまと再会されていらっしゃることでしょう。
返信削除たしかに聖コルベ神父様を直接御存じの方はいらっしゃらなくなりましたが、小崎修道士さまが、お話を継いでいらっしゃいます。中村修道士さまが聖母の騎士に入られた頃、夜ベッドから何回か落ちて、下の階におられる聖コルベ神父様ことを思った」というエピソードも、小崎修道士さまがお書きくださればこそ、わたしたちは知ることができます。
どうぞおからだをおだいじに、これからもお聞かせくださいませ。