長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年2月25日水曜日
わがまま・我が、まま・ありのまま・でも、やっぱり
人は、人と接しながら、生きていく。1人では、生きられない。1人、生きるのは、さみしいよ。枯葉だな。でもね、人と人に接して、疲れると、ストレスを感じると、1人になりたい時もある。静かに、自分を取り戻したい時もある。ホームの生活は、やっぱり、寂しいよ。それでも、いろいろ有るんですね。知り合いの、90歳になる男性から電話があって、妻をなくした。ホームに入りたいと思うという。入居費はいくらか、司祭はいるのか、ホームの良さは伝えても、寂しさは答えられなかった。寂しさといっても、けっこう、日々、いろいろと有るんです。広島から、車で、夫妻が訪ねてきた。慰めてくれる。昼食は、ホームを出て、近くの町の食事どころで、楽しく会話した。生きているうちが、花です。ありがたいことです。やっぱり自分1人になるのが、よろしい。豪華な家に住まなくても、美味な食事をしなくても、これが自分の生き方、このようにして、この世を過ごしてきた。病気もあった。孤独もあった。雑草でも、たくましく生きてきた。人生って、1本の川の流れのようなものだ。どこを流れるか。川の、1つ、1つで、みな違っている。しかし、その川は、小さくても、まわりには豊かな雑草もある。あかるい自然もあるだろう。
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本当に、豪華な家に住めなくても、外食できなくても、家に帰って話し相手がいるという事は幸せですね。ところで、人と一緒にいて、話をしないで、テレビを見たり、電子機器に夢中になっている人たちを見ていると、悲しくなります。
返信削除あかるい自然、にかこまれている心。
返信削除そうですね、暗闇ではないのですね。