長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年2月4日水曜日
26聖人映画。弁士を務めた作品をビデオでみる
ホームで、ビデオの日というのがあって、日本26聖人の殉教の祝日がくるというので、「我、世に勝てり」の映画を上映した。久しぶりに見に出た。★戦後、高校生の頃に、その映画、日本26聖人をみて、感動した。無声・映画だから、弁士が居た。その弁士の巧妙な語り口に、笑ったり、泣いたり、大きな感銘を受けたのを生涯忘れなかった。その後、フィルムが行方不明となった。ある教会で発見されて、フイルムのコピーを募集したので、早速、自分も購入した。タイトルは「我、世に勝てり」。無声だから、自分でシナリオを書いた。弁士を務め、音楽はテープで流した。北海道から沖縄まで、日本各地や、ブラジルまでも上映してまわった。今は、ビデオにして、作品を残している。★ホームで、「我、世に勝てり」のビデオを久しぶりに見て、自分の声、弁士を聞きながら、様ざまな思い出がよみがえった。昭和6年の製作。白黒で、無声で、時々字幕の文章が入り、活動写真の面影をみせているが、本当に、26聖人が映画でなく、実際に、こうであったと、思わせる緊迫感が大いに出ている。山田五十鈴さんのデヴィユー作品でもあった。映画をみると、最初の殉教者たちの苦労、信仰がわかる。京都から長崎まで33日かけて護送され、西坂の丘で殉教した。本当に、このような姿であったのであろう。当時の姿、信仰をえがく画面になっている。弁士の声は、我ながらだが、好調だった。
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