2021年3月21日日曜日

【お知らせ=第五便】人生、舞台の3場面。喝ッ、己も原点に、もどれ

 「19日」。申し込みの日は終わった。「20日(春分の日)」「21日(日曜日)」は、郵便配達はお休みだろう。だから、22日(月)から忙しくなると思っていた。そこへ松下修道士からの電話。「20日に届いたよ」「え?ほんと?」「7枚届いた。所沢、西東京市、川崎、横浜、19日の印がある。「へーェ」と感動。「レターパットライト便」と、四国の2か所から「速達便」で届いた。速達、扱い。「なーる程、その手があったのか」
「松下さん、あんたの記事、載せたからね」「恥ずかしい」。この会話で、トマは、「人生舞台の3場面」を連想したのです。
【第一の場面】
金曜日になると、午前中に、手術場の看護師が、カラダを拭きにやってくる。これまで2回、来た。赤い看護服を着ているので、分かる。なぜ来るのか?と聞けば、土、日の前の金曜日は手術がない。それで看護の原点ある患者さんの身体を洗いに来る。「リッパだな。人はいつも、原点に帰る、必要だ」
この金曜日は、男性の看護師。すぐ分かった、手術場の看護師と。同じように「原点へ帰れ」を説いた。すると彼、首を傾けたり、手で頭髪を抑えながれ、目が輝いた。「10年位、前、入院していたでしょう?」「そうだ」「知っている」と彼は喜んだ。勤務年数、13年。勤めた時点から、手術場に回された。優秀な技術を持っていたからだろう。しかし、看護の原点を忘れない。成功している者こそ、育てられた「ヒラ」の苦しい時に、戻る。「エライ、ぞ」と応援したくなる。
【第二の場面】
松下修道士が、姉や、妹と通った黒崎天主堂。今も同じ姿を構えている。美しい教会、トマの父の里の祈りの場でもある。トマも親しんだ。巡礼者もお連れする。
ここで松下修道士は、幼いとき、姉妹と共に、祈り、遊び、たわむれた。その姉がシスター学長になる。弟は修道士。弟は「支える『チカラ』になりたい」と司祭の叙階直前に修道士の道へ。その弟の進路を温かく見るごとに、自分も教授、学長に成りあがっても、育ててくれた「ヒラ」のシスターの苦労、心情を忘れない。姉のシスターは、トマも良く知っている。明るく、普通の女性だった。きっと、ヒマがあれば教授を置いて、炊事場へ行って、「トン、トン」とネギを切ったであろう。皿洗いもしたであろう。それから学生たちと共に、学びの旅行を楽しむ。「その心情こそが、人生には、大切だ」と、トマは主張するわけだ。だから彼女は、修道院内でも、ヒラのシスターにも人気があったろう。そうした心構えがあったればこそ松下家の、妹シスターも「ヒラ」から信頼されて、学長になったのだろう。その心意気が嬉しい。
【第三の場面】
著名な俳優が、奉仕する場面をテレビで見る。彼らには、金銭も、余暇も、気楽さもあるだろう。だが、被災地で、焼きそばを焼いてり、皿を洗ったり、ヒラの作業をする。その後で、皆と楽しむ。「これも苦労時代の原点へ帰れ」と自分を戒めているに違いない。「育てれてられて、こそ、人は成長する」。喝ッ、原点を常に忘れるな。
松下修道士の兄弟・姉妹に、それが見られる。それこそが人間としての「原点」だ。
最初の第一場面の男性看護師に話は戻るが、彼は言った。「共通の働きですよ」
若いながら、謙虚な気持ちが嬉しい。この日は、温かい心になった事を覚えている。
「松下修道士さん、後は、頼むよ」
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7 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2021年3月21日 10:01

    アヴェ・マリア
    今日も日記更新有り難うございます。
    「原点に戻れ」の三つの場面心に強く響きました。有り難うございました。
    コロナ禍が終息し黒崎教会に巡礼出来る日を願っております。
    松下修道士様
    お忙しくなりますがヨセフ様マリア様のお役どうぞ宜しくお願い致します。
    小崎先生
    どうぞお加減の良い四旬節第五主日でありますよう札幌からお祈りしております。

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  2. お祈りしています。

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  3. 元日のエリザベット2021年3月21日 10:39

    どのくらい来るか、ワクワクしますね!
    たとえどんなにたくさん来ても
    きっとイエズス様が本とカードを祝福されて
    全員に行き渡るようにして下さるでしょう。

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  4. マリアジャンヌダルク2021年3月21日 12:10

    原点に帰ることは、大切なことですよね。
    私も、原点に戻って仕事をします‼️
    トマさんを支えてくださっている皆さんの幸せを祈ります。

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  5. お祈りしています。

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  6. 松下修道士さん、今日もありがとうございます。年度末にあたり、移動されるにも、
    さまざま手配されるにも、時と手のかかることと思います。松下修道士さんのお姿に、
    全てを受けていきいきと動く、すなわち“活動”の原点を見る思いです。

    聖フランシスコ病院の看護部が考えておられるケアが、実にカトリック的な心から
    発現していることが改めてよくわかります。手術場配属の看護師さんが
    ベッドサイドケアを大切にされ、管理業務や手術室看護に関わる直接的な研修のみを
    仕事とせずにあられるのは、恵みと思います。
    背景には、経営上の課題克服を意図したところもあるのかーーもしれませんが、
    部門の方針を豊かに受け入れて動く看護師さん達のはたらきに、また神さまのしごとを
    見せていただきました。ジンクーエン。

    長らく勤務される職員の多い組織には、幸せな温かさがありますね。ホーム同様、
    トマさんとの関わりから、信仰の恵みを感じ取って導かれる方のあるよう願います。

    “関わりの中で育まれるもの”はたくさんあると思いますが、最近がぶらってぃが
    実感しているのは、勇気とself-respectです。セルフ・リスペクトは、自己尊重の
    ようなものでしょうが、土曜学校などで言われる[たいせつなじぶんをまもる力]とでも
    説明できるでしょうか。どんな自分でも神さまに守られ正しく導かれていると実感できる
    幸せは、関わりの扉から知らされることが多いように思えています。

    トマさん、今日もジンクーエン。足の浮腫みが少しでもお楽でありますように。


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  7. 《支える『チカラ』になりたい。》
    とても感動します。
    雨が小降りになりました、お祈り申し上げます。

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