2020年1月9日木曜日

正月気分が抜けて、平凡なホームの生活が始まる。気力は有るか

午前中に、自室の窓から見えた。ホームの庭。マリア像をかこんで、松の木がある。正月早々、剪定が始まった。もう数日間も、トラックが移動している。きれいな庭が仕上がるだろう。期待が持てた。
★ホームの正月、何事も起こらなかった。静かな平日がつづいた。「ホームで暮らす」「晩年を生きる」「日々、感謝と、祈る生活」「ヒソ、ヒソ話には、加わらない」「食事の文句は、言わない」「気合いが入っていない人を、テレビで見ると、イラ、イラする。オッス、ゲンキよく」「黙っていて、言葉を言わない、自分の気持ちを表現しない、これも、イラ、イラだよ」「まあ、そう、そう、イラ、イラ、するなよ。人には、生き方もある」
★ホームで暮らして、何か、不安は、ありませんか。そう、ね。イラ、イラはしないが、楽しい夢も浮かばない。今は、まだ大丈夫です。日々を、シッカリ暮らすだけです。これから先、どうなるか、神さまの導きにお任せしよう。老いるとは、ホームで生活する人たちの姿を見れば、当然、自分にも、その姿は、やってくる。
★車椅子を押して、加勢するのも、親切と見えるが、考えものです。その人の筋力を失わせる。漕ぐ(こぐ)チカラが必要だね。気力だよ。気力を失ってはダメ。一方、ヨチ、ヨチと歩く人には、職員が寄り添って見守る。倒れたら、骨折の危険があるからね。ホームでは、狭い廊下で、食堂で、さまざまな光景を見ながら、自分も歳をとっていく。
★午後から、窓の外を見ると、植木屋さんは、最後の作業か、マリア像の足元で手入れをしていた。令和2年も良い年でありますように、ホームも平穏無事でありますように、願いは一緒です。マリアさまが見守っておられる。
★あれ、あれ、高原修道士さんと、事務長の岩田さんじゃないか。「ホームの近所の人が逝かれた。葬儀で祈って、帰ったところです」
★ある哲学者は言った。「死とは、宇宙の大きな命の流れ、生まれる前の、自分にかえること」

0 件のコメント:

コメントを投稿