2017年5月31日水曜日

今からでも遅くない「トマさんのことば」ハガキを

毎日、書き続けてきた「日記」から、思いがけず、2人の見知らぬ若者の編集のお陰で、小さな本、「トマさんのことば」が出来上がって、はや、1ヶ月半が過ぎました。日記を読まれる皆さんから、ハガキを戴いて、お送りしてきました。出版したのが、4月16日の復活祭の日でした。今日で、5月を終わろうとしています。
★幸いにも、お送りしての反響は好評で、「小さくて持ちやすい」「言葉が短くまとめているので、読みやすい」「写真と言葉が、合っている」「生活の指針になります」「なぜか生きるチカラが湧いてきます」など、などの有り難い言葉を受けて喜んでいます。
★マリアさまの月の5月も、今日で終わるので、もう1度、広告を掲載します。日記を読まれる人で、ハガキを出していない人は、ぜひお願いします。ハガキをお待ちしています。ハガキを頂くと、ホームでの生活も張り合いが出てきます。

2017年5月30日火曜日

突然の来客。こんな不思議もあるんですね。祈ります

昼食のとき、事務の職員さんから、「1時頃、愛媛のヒガキさんが来られるそうです」と伝えられた。みどりさん、保彦さんご夫妻か。みどりさんは3歳の頃、鉄道レールで遊んでいて、両足と、右手を失った。育つごとに、人生、どん底を感じる。しかし、みどりさんはお母さんの教育のおかげで、明るく、笑顔で、前向きに生きる女性に青春を迎えた。
★保彦さんは、明るいみどりさんに惚れて、結婚を申し込む。保彦さんは11歳も年下であった。みどりさんも結婚に迷った。ちょうど、そのと
き、教皇さまが広島に平和巡礼に来られて、みどりさんも歓迎に参加した。運よく、パパさまと、左手で握手をする恵みを得た。みどりさんは思った。まだ、握手が出来る左の手があるじゃないか。保彦さんのプロポーズを受け入れよう。パパさまと握手して、4ヵ月後に結婚した。みどりさん、33歳。保彦さん、22歳。
★1時に、2人で来るものとばかり予想していた。みどりさん夫妻を度々取材して、騎士誌に何度か掲載した。何度も愛媛の自宅も訪ねている。ホームの玄関で、待っていた。それらしい車が見えた。駐車場に停まる。玄関を出て、待っていた。車から降りたのは、男性が1人だった。「車で、こちらの玄関まで来てください」。無言の保彦さんは、手に小さな額縁を持って近づいてきた。「みどり、です」「え?亡くなったの?」
★5月22日に、70歳で亡くなった。保彦さんと結婚生活36年であった。亡くなった1週間ほどしか経っていない。保彦さんの話によると、みどりのお通夜か、葬式だったか、頭が混乱して定かでないが、1人の女性が1枚のメモを差し出したという。「こんな時に、何ですか」。メモには「小崎修道士の住所、聖フランシスコ園」が書かれていた。「これは、みどりが、小崎さんに知らせて」との願いかも知れない。それで、今日、来たのです、と語った。それを聞いて、私の目から涙がこぼれた。
★本当に、こんな事って、あるんあだな。みどりさんの明るい顔、人を自分の方に寄せ付ける雰囲気、負けない根性、暖かい愛、それらを皆、知っている。みどりさんは歩いている。料理も、手編みの手芸も見事に出来る。みどりさんは保彦さんに出会って、人生、本当に幸せだった。1回切りの人生、3歳でどん底に落とされた。信仰と、愛で、普通に、いや普通以上に明るく生きて、沢山の人に「生きる喜び」と「出会いの大切さ」を身をもって教えてくれた。保彦さんは、神に2つのことを祈っていたという。1つは、私を早く神さま、お呼びください。お互いが死ぬときのは、2人だけに、してください。1は叶わなかったが、最後は、2人だけだった。みどりから慰められた、と保彦さんも「何にも、してやれなかった」と私の前で涙をこぼした。夫妻の唯一の楽しみは、保彦さん運転のドライブだった。

2017年5月29日月曜日

ふしぎなご縁があるものです。思いがけない再会

15歳の頃の写真です。この以前に、1年半ほど結核・カリエスで大学病院に入院して、治療していた。退院した後、病院の庶務課長でカトリックだった深堀さんのお世話で、病気の予後の健康回復のため、大学病院の耳鼻科の研究室の補助員を勤めていた。その時の耳鼻科の教授が、長谷川先生であった。補助員に、もう2人がいた。1人は夜間工業学校の五島君、女性でカトリックの玉屋さん。私たちは、耳鼻科の医師の博士論文のための研究の「うさぎ」などを飼育していた。
★教授の長谷川先生は、背が高く、優しくて、気品を備えて、特に奥さん思いの人だった。私と五島君を市内西山の自宅までよく使いに出した。私たちは喜んで出かけた。自宅に着くと、奥さんから丁重なお茶とお菓子の接待を受ける。帰りにはお駄賃まで戴いた。昭和18年、19年の戦争も末期で、品物不足の時代だった。その奥さんの横に、お嬢さんがいた。
★昨日、聖母の騎士のルルド祭に参加したが、教会で、「お元気でしたか」と女性から声をかけられた。この女性こそ誰あろう、長谷川教授のお嬢さんであった。それは、それは、おどろきました。再会を喜びました。しかし巡礼団として来ておられたので、個人的に話すことは出来なかった。本当に残念です。
★原爆のとき、長谷川先生は耳鼻科で被爆されたが、奇跡的に助かった。五島君と玉屋さんは被爆死した。長谷川先生はその後、大阪大学医学部教授となり、カトリックになられた。先生に出会ったとき、次のように言われた。「洗礼を受けたのは戦後7年経った聖霊降臨の主日で、私ども夫妻と2人の娘の一家全員でお恵みにあずかった。家内は受洗できたことを喜び、それには長崎の玉屋さんや病院庶務課長だった深堀さんの通功があったと感謝しています」
★先生は補助員の玉屋さんに、「神さまって、どんな御方ですか」と質問した。玉屋さんは「私どもの背後でいつも優しく見守っていてくださる方です」と素直に答えた。目に見えない不思議な存在を玉屋さんの背後に感じた、と先生は言われた。

2017年5月28日日曜日

聖母の騎士のルルド祭。思い出の中に、歴史がある

長崎・聖母の騎士の「ルルド祭」というと、心がわくわく、なぜか嬉しい。思い出にも、長い歴史がある。終戦後の昭和20年代、神学校の高校生のときには、神学生も120人から居て、ルルドで、聖母賛美の集いを毎年盛大に行なった。「アカデミア」と称していた。ポーランドの修道院の集いの延長であろう。ポーランド人司祭も修道士たちも、神学生も全員が参加して、詩や小論文、歌などを各班に分けて、発表していた。あの頃の面影は今はない。
★修道院の車に、高原修道士さんが運転して、山内園長神父さま、瀧神父さま、橋口修道士さん、私が乗った。ホームからは10人乗りの車が出て、ホームの信徒さんたちが参加した。
★山口院長・主任司祭の司式で、先ずミサが捧げられた。「キリエ」「グロリア」「サンクツス」などは、ラテン語で歌われた。長崎らしい雰囲気のミサで満足した。祈る人も、今年は多く感じられた。水浦神父さまが引率の巡礼団は兵庫県仁川から参加した。ミサの前に、巡礼団の1人が私の傍に来て、「お元気ですか」と声をかけた。名前を聞いた瞬間、思いもかけぬ出会いとなった。
★ミサの後では、2手に分かれて、元気な人は、ロザリオを唱えて、ルルドへ向かった。ルルドでも、お話しがあったという。坂を上がれない人たちは、そのまま教会に残って、崎濱神父さまの先唱でロザリオを唱えた。私は教会組となった。
★「トマさんのことば」の本も、私を知っている人に配った。本を編集した野々村哲さん、塩沢美樹さんも見えていた。久しぶりの出会いとなり、嬉しい。聖コルベ館でしばらく話をした。ゆっくり出来なかったのが残念であった。

2017年5月27日土曜日

恵みを受けても、恵みを失う悲しさが人間にはある

ホームの隣、湯江教会の祭壇のお花です。いま、共同で、ロザリオの祈りと、晩の祈りを唱えてきました。今日も、一日、無事に過ごすことが出来ました。前進もそうですが、変わらないのも、恵みです。
★神さまが存在するなら、神さまの御働きが私たちの中にもあるはずです。信者・庶民の生活、人生の中にも、神さまの導きや、お恵みや、霊性の光があるはずです。
★そういう思いで私は信者たちの信仰実話を書いてきました。しかし人間は変わるんですね。残念なことに、恵みで結ばれても、人間の弱さで、もろさで、壊れてしまう実例もあります。悲しいことです。しかし、それが人間の現実です。
★結局、安心して書けるのは、「自分のこと」なんです。その自分のことも、人には伝えられない苦悩もあるから複雑です。あきら様に出来ない事情も多々抱えて暮らしています。それが現実なら、何が「真実」なのでしょうか。苦しみます。
★だから「今日も、無事に終わることが出来ました」と言えるのは、本当に有り難いことだと、小さい幸せを感じます。
★明日は、5月、マリアさまの月の最後の日曜日で、長崎・聖母の騎士で、ルルド祭が行なわれます。10時30分から始まります。湯江修道院、ホームからも参加します。

2017年5月26日金曜日

楽しい食事会でした。千草さんのお陰です。喜び

長崎市から、わざわざ私を連れ出しに来てくれた。千種さんと、運転の女性、櫻井さんと、宮川さんご夫妻です。車で20分の諫早へ出かけました。昼食前です。
★食事処で、ご馳走を戴いた。背広を着たのが宮川さんです。いろんな役職をしておられる。私を励ます気持ちからの集いでした。嬉しいではありませんか。ありがたいことです。企画してくれたのは千草さんでした。
★2時間過ぎるまで話しは尽きなかった。「トマさんのことば」を宮川さん、奥さんに差し上げた。
★宮川さんと知り合ったのは、以前、長崎市で、ポーランド協会というグループがあって、活動していた。主催をしていたのが、樋口先生といわれる女医さんでした。私も、ポーランドへ旅行したし、コルベ神父やポーランドの修道士さんと生活して、ポーランドに興味もあるので、進んで参加していた。そのとき宮川さんも会に出席されて、人柄から親しみを感じていた。奥さんはカトリック信者である。樋口医師はその後、亡くなられて、協会もどうなったか分からない。
★宮川さんのお宅にはネコを十数匹飼っておられるとかで、ネコの話しで盛り上りました。私も原爆の話を語り、興味深く聞いてもらった。楽しい半日でした。

2017年5月25日木曜日

老人ホームで「まあ」幸せに、暮らしております

自室の戸は、いつも少し開けている。扉をシメ切ると、なんだかイキ苦しい。開けた方が、風も通る。廊下を通る女性の職員さんが、「トマさん、庭に生(な)ったもの」と、ビニール袋を渡した。家の庭の木に実った「びわ」だった。
★ああ、もう、ビワの季節になったのか。長崎では、ビワは誰でも喜んで食べる。キレイに着飾った商品用のビワより、どうかすると、庭のビワが美味しく味わえる。3回に分けて、喜んで食べた。
★テレビで、男性が、老いた母親を家庭で介護する苦労を語っていた。それはタイヘンだろう、と共感する。介護に疲れて、ついに、イヤイヤながらも、老人ホームに入れたと、悔しいというか、悲しい顔をいた。毎日、通ったという。
★ホームで生活するのは、確かに寂しい。自由も利かない。ワガママも言えない。だが、それほど深刻な人生であろうか。人それぞれだが、苦労があれば受け入れて行くしかない。施設の設備の良さも大事だが、要は、人と人との交わりだ。信頼関係だ。人は誰でも老いていく。弱っていく。ホームだって、ジンセイ、生きる幸せもある。カトリックの背骨があるからだろう、と今日も祈った。
★朝の9時に、体操のスピーカーが廊下にひびく。自室から出て、体操を始める。何んの抵抗もない。学校では、子供と一緒に体操をやっていたからだ。その延長と納得する。体操の後、入浴した。入江さんが先に入っていた。背中は洗ってもらえなかった。

2017年5月24日水曜日

アシジの大聖堂の記念日。フランシスコを生きる

今日は、フランシスコ修道会では祝日でした。イタリア・アシジの聖フランシスコ大聖堂の献堂記念日です。あの素晴らしい大聖堂が出来た日です。13世紀でしょうか。アシジに巡礼した人は建築物や壁画の美しさを思い出すでしょう。地下聖堂には、聖フランシスコの遺体も安置しています。
★2週間ほど宿泊した経験や、高位聖職者が泊まる部屋にも数日、泊めていただいた。巡礼者を引率・案内して、何度も訪れた。10月4日の聖フランシスコの祭日を、ここの大聖堂で迎えたが、国際日でもあり、教皇特使が来られて、それは最大の典礼、祈りの集いでした。
★私が聖フランシスコを知ったのは、ゼノ修道士や、ポーランド人のフランシスコ修道者に出会ったからでした。彼らの中のフランシスコ的な明るさ、優しさ、自然に対する愛情、兄弟愛、物に執着しない生き方、そういう現代に生きるフランシスコに少年の頃、惹かれたから、この道に入ったのでしょう。
★徹底的な出来事が原爆です。憧れていた豪華なお屋敷があった。いつも、その場所を通りながら、自分もそうなりたいと願っていた。所が、原爆で一転する。屋敷も庭も樹木も燃えて、すべて崩壊して、ご主人が丸裸になって、崩れた石段に黙して座っていた。数日して、そこを通ると、そのままの形で亡くなり、体にはウジがわいていた。それを見た17歳の少年は、大きな衝撃を受けた。「この世って、なんとハカナイ(儚い)ものか。営々とし築いた物は、すべて崩れ去る」。致命的な瞬間だった。フランシスコの声を聞いた気がする。フランシスコ会の修道者の中に飛び込んだ。
★昨日は、原爆の話しが小学生たちに出来ると思って、元気が出てきた。ちょうど、うまい具合に事が運んだ。先日、長崎のクリニックへの帰りに、聖コルベ館へ寄って、原爆の絵を積んで持ってきた。ホームへ着くや否や、学校から電話があって、明日、話を聞きにお伺いするという。計算したのではないのに、絵の準備も自然に整っていた。無事に、試しの話しも、絵と共に聞いてもらえた。こういう流れもあるもんだ、と不思議さえ思い、昨夜は安眠しました。

2017年5月23日火曜日

原爆体験を語る日が出来た。地元の小学校で頑張る

午後のひと時、車椅子の女性たちが、爽やかな風を楽しんでいた。日頃は、余り屋外へ出ないので、時折、こうした時間を設けている。楽しみの一つです。自然の風は心地よい。
★ホームの直ぐ下にある小学校の校長先生と、平和学習の担当の女性先生の2人が、ホームの私を訪ねた。事の起こりは、理髪屋さんだった。いつぞや散髪を受けながら、理髪屋さんに聞いた。「小学校でも、原爆の日には、平和の集会をしているだろうか。毎年、原爆の語り部がお話をされるなら、私も話をしてみたいね」
★小学校の校長先生は、理髪屋さんの幼友達ということで、先生に話してみたそうです。すると、ぜひともお話しを聞きたいとのことだった。先ず試しに、「話していただけませんか」と、今日、校長先生と女性の先生がホームに訪ねて来ました。
★ホームの応接室で、私の原爆の体験話しを語りました。わかりやすく、大きな絵を数枚使って話します。17歳の少年が、原爆の日、5時間かかって自宅に着いた。その間、少年は、いかに生きたか。語って聞かせると、校長先生は、満足されて、人差し指と親指で、マルをつくった。平和学習の女性の先生は、県内の小学校に勤めていたとき、10数年前に、私の「原爆体験」を聞いて、今でも覚えていますと言ってくれた。
★6月中旬に、平和旬間があるので、そのとき、22日にお願いしますと、決まった。ゲンキがハラの底から湧いてくるのを感じた。

2017年5月22日月曜日

長崎へ。クリニックで診療。聖コルベ館へ。思い深し

朝、教会へ行こうと、廊下へ出たときに窓に見えた朝陽です。今日は、どんな日になるだろうか。
★朝食は、隣の修道院でお世話になって、8時には長崎市へ向かって出発した。高原修道士さんの運転だった。ヨゼフ・クリニックに着く。受付に、「トマさんのことば」が置かれていて、自由に見てください、とあった。ちょっと、びっくりした。高木院長先生に差し上げていた本であろう。
★診察を待つ間、1人の女性が「トマさんのことば」を手にとって見ていた。高原修道士さんの説明によると、「山内園長神父さまの妹さん」とのことだった。「あれ、これ、あなたの本?」「そう、です」「お母さんの写真、いいわね。ワサというのね。昔の女性の名前ね」「いい写真、ばっかしね」
★診察が終わって、聖母の騎士へ向かった。彦山の麓に、教会や修道院、学校が見える。ここに入って、72年。通いだしたのを入れると、75年。聖母の騎士で生涯を過ごした人生のようだ。聖コルベ館へ着く。ひっそりとしていた。
★聖コルベ館には、韓国からの巡礼者が多いという。私が離れて2年半になるが、内部は全く変わっていない。用件は、原爆の話しをするときに使っていた大きな絵、数枚を資料室から取って、車に積んだ。
★昼食は、ファミリー・レストランで「シチュウ」を食べた。ホームへ帰ったのは、午後3時だった。

2017年5月21日日曜日

雲仙は今、ツツジで花盛りか?。3年前の写真から

今日の日記に何を書こうか。迷っていたとき、数枚の写真を見つけた。雲仙で、撮った写真です。「いつ撮ったのだろう?」。左下の年月日を見ると、「2014.05.21」になっていた。5月21日とは、今日の日じゃないですか。
★ちょうど3年前になる。あの頃は、ホームに入ろうなど夢にも思っていなかった。すごく元気でした。その年の8月、突然、異変が起こったのでした。写真を写した頃は、まだ幸せだったなァ、と懐かしい。雲仙は、見事な赤いツツジで、イッパイに彩られていた。
★今日は日曜日です。雲仙で殉教祭が行なわれる日です。ホームからも数人が出かけました。私は参加しなかった。お山、雲仙のツツジは咲いているだろうか。厳しい禁教令のさなかに、命をかけてもキリストの教えを守り通し、雲仙の熱湯を掛けられても、苦しみに耐えて、殉教した福者たちの強い信仰を思い、我が信仰の至らなさを反省する日となりました。雲仙といえば、先ずは殉教者たちを忘れることは出来ません。

2017年5月20日土曜日

屋外に出てみよう。効果はあった。何かが起こる

部屋に閉じこもって居ても、何も起こらない。久しぶりに屋外に出てみるか。爽やかな気候になった。揺れる空気に当たりたい。庭に出てみた。
★サクラの木の下のベンチに一人で座る。近くで、小鳥のさえずりが聞こえる。平和だなァ、と思う。静かだが、あの建物の中では、70人の老人たちが、「自分の生」と闘っている。老いることは、闘いだ。
★杖をついたシスターが現れた。黒い軽自動車の運転の女性がいる。入江さんが出てきた。突然、シスターに出会って、おどろいた。3人は親戚だという。シスターが、入江さんを訪ねてきたのだった。私もよく知っているシスターである。
★こんな出会いも、あるもんだね。「シスター、何年生まれ、ね?」「4年。トマさんは、3年でしょう」。覚えてくれた。シスターは米寿の祝い年。88歳。「何歳のとき、修道院に入ったの?」「20歳」。その頃から私は山の施設・修道院で知っている。修道女会創設時代に活躍した。シスターに出会って入江さんは嬉しそうだった。
★「長い年月、お疲れさま。長生きしてください」。五島のルルドがある集落の出身だった。

2017年5月19日金曜日

湯江教会の内部。信也さんの写真。祈りに平和

朝、午後、お祈りをしている、ホームの隣の「湯江カトリック教会の内部」です。隣の修道院の離れ家に住んでいる「信也さん」が撮りました。広角で、よく撮れているので載せました。今朝は、久しぶりに、早朝のミサで祈りました。
★左側、前の席に、入江さん、瀧神父さま、高原修道士さんが座ります。次の席、入江さんの後ろの席に小崎修道士、山内園長神父さまが座ります。
★右側、前の席に、橋口修道士さんと、濱田神父さまが座ります。
★こうして、毎朝、教会の祈りの「朝の祈り」を共同で唱えます。その時が、一番、心が和む時です。幸せを感じる時です。

2017年5月18日木曜日

もう起きよう。5月の風は、爽やかだ。寝ておれん

自室に閉じこもり、時間もあるから、ゆっくり考えられる、そう思われるけれど、現実、アタマには、クゥ(空)の、クゥで、良いアイデアは浮かばない。
★ご心配をかけました。起き上がり、普段の生活に戻りました。自室の扉をあけると、廊下に、朝日がイッパイに振り注ぎ、明るい朝でした。「よし、また、つづけて生きよう」。ヘンな話しです。
★ミサは休んだ。朝食から、皆さんに混じり、一緒に頂いた。
★「しばらく見なかったね」とか、「大丈夫?」と声かけられる。この「ダイジョウブ」は、まあ、心配しての言葉かけと思うが、ボクは「大丈夫」と聞かれるのは、あまり好きではありません。「大丈夫じゃ、ないよ。ツライよ」。でも、皆さんに合わせる。
★昼食は、カレー・ウドンでした。午後から、隣の湯江教会で、ホームの人たちと、ロザリオを唱える。ここで気持ちが元に戻る。マリアさまが安置されて、きれいに飾られていました。「マリアさま、ゲンキ、ください」。写真が、なぜか、明るく撮れない。デジカメで、フラッシュ、たいたのに。

2017年5月17日水曜日

昨日も今日も、平熱。もう、そろそろ腰あげよう

なぜか、しりません。いま、アタマには、先日、誕生会で行なわれた水戸黄門さまの小劇の1つのシーンが浮かび上がってきます。善玉と、悪玉のチャンバラです。背中を見せているのが、悪玉。筋書きは、負けるに決まっている。
★いま、カラダの中では、善玉と、悪玉が戦っていると思うのです。こちらの方は、筋書きが分からないので、そうは、いかない。気をつけよう。歳を取ってからのカゼ引きは、年々、厳しくなる。それを感じさせる5月になった。

2017年5月16日火曜日

部屋にとじこり。キツイです。ただ、ただシンボウ

天草の幸男さんが、自室に姿をみせた。立ったまま、話す。
★カゼを引いたのか。大事に、せろよ。オレも去年、カゼ引いてな。1ヶ月、寝込んだ。その後、体力が急に衰えて、な。足も腰も、からだ全体が適(かな)わんごと、なった。用心せろよ。おみやげだ。天草の漬物も持って来たから、食べて、な。
★ありがとう。それは本当、わたしも、そう思います。風邪は、体力を後退させる。まだ、まだ、ガンバラなくては、ね。
★寝ているのも、キツイです。ただ、辛抱あるのみ。

2017年5月15日月曜日

部屋から出られません。ジーッとして、いなさい

人間って、弱い存在ですね。いや、ボクが弱いのだろう。気候の変わり目か、免疫力の低下か、すぐカゼ気味になる。どうしようも、ないです。
★ホームの坂を下った集落に、医院がある。そこのお医者さんがホームの医師を勤めている。週に、2回、診療にみえる。午前中に、自室に、お医者さんが来られる。
★午後から、1時間かけて点滴を打った。看護師さんが「水分をとりなさい。まだ部屋で、お食事ですね」

2017年5月14日日曜日

カゼ気味で、ダウン。安静と、忍耐と、静養です

湯江教会の祭壇のお花です。日曜日。母の日でもある。湯江教会では、教会内で、聖母マリア祭が行なわれた。その後、コルベ神父が創立した「聖母の騎士会」の入会式もあった。しかし私は参加しなかった。
★4、5日前から、寒気がして、カゼ気味です。昨夜から、とうとうダウンしました。微熱がある。
★朝、ミサと、朝食には出たが、看護師さんから「症状があったら、早めに言ってください」と言われて、「食事は、部屋で」
★カゼに、なりやすい。これは試練です。安静にして、黙って耐えるしかない。

2017年5月13日土曜日

母の日の集い。黄門さまが、やって来た。人徳あり

明日が「母の日」ですが、1日早い「母の日の集い」が午後から行なわれた。「出し物が出るんですよね」「ハイ」「テーマは何ですか」「教えられません。男性職員が役者です」「ちょっと、教えてよ」「じゃあ、こっそり、ね。水戸黄門です」
★役者揃いの写真を撮るのが念願です。日記があるからね。皆さんは、もう食堂に集まって、園長神父さんの話も始まっている。こちらは役者を待っている。良心が咎めますよ。それでも1枚、揃った写真を撮りたい。食堂では、女性全員に、セロハンに巻かれたカーネーションが贈られた。
★扉が開いて、役者が出てきたところを撮ったのが、右側の写真です。お決まり黄門さま。イジメられる娘がおり、助ける黄門さまがいる。右側は、イジメられる娘だよ。「どう、似合って、いる?」「上出来だよ」。世の中には、どうして善人がおり、悪いヤカラが居るのだろう。黄門さまが、ホーム近くの街道にやってくる。お付きの武士もいる。切っては、いけません。改心させるのです。そして娘を助けます。生活が出来るように手助けをする。「者ども、この印籠が目に入らぬか」「へ、へーぇ」「娘よ、よく聞けよ。聖フランシスコ園に就職できるように取り計らってやろう」。最後まで面倒を見るのが、黄門さまです。やっぱり黄門さまは人徳があり、偉いんだな。
★食堂に集まった女性の職員さん、女性、男性の皆さんは、大喜びでした。「本当に、黄門さまが、来ないかなァ」

2017年5月12日金曜日

山野さんの人生。ホームに居ても、まだ希望がある

個人情報の関係で、ホームの入居者の顔写真や、話しを、個人的に「日記」に取り上げたことは全く無い。入江さん、神父さんは例外です。だが、今度、どうしても書きたい男性がいた。交渉の末、「ウン、いいよ」と言われたのが、写真の「山野さん」です。
★なぜ山野さんに目を付けたか。それは彼が手にしている「スマホ」です。入居者は老人ばかりで、スマホなど持っている者は全く居ない。その中で、山野さんは「スマホ」を操作して、「登明の日記」を読んでいるじゃないか。これは、ほっておけませんよ。
★「どのようにして、登明の日記を見つけたのですか」「そりゃ、簡単ですよ。スマホに、クチを近づけて、『セイボのキシ』と声を出せば、『ズラ、ズラ、ズラ』と、項目が出てくる。これまた、小崎さんの写真が、『ゾロ、ゾロ、ゾロ』っと出てきて分かりました」。そう言って、スマホを操作して、日記を出して見せた。
★山野さんの部屋を訪ねた。彼の話を聞いた。「70歳になる。入居して、10ヶ月。心臓病と脳出血で倒れて、身体が不自由になった。リハビリをしている。元気になったら、ホームを出て、また働きたい。船長の免許を持っているからね」
★ホームの隣の町で生まれた。中学を出て、15歳で、舟に乗った。広がる有明海。17歳で、潜水者となる。タイラギ漁が目当て。歳を重ねる毎に、活動範囲を広げて、北海道まで、奄美まで、潜水して働きつづけた。最近は赤くらげ、山野水産を立ち上げた。
★「ホームはカトリックでしょう。入居に、抵抗はなかったですか」「いや、ないね。父親が平戸で、山野集落はカトリック、教会の横には先祖の墓もある」「人生、過ごしてきて、自分のモットーとしていることは何ですか」「ウソを言わないことだね。商売しても、人をダマサない。これだけは守った。悔いはないね。ずい分、ダマされたけど、ね」「パチンコ、賭け事は、しますか?」「全然、しない。ホームに来て、タバコも酒もやめたよ」
★山野さんの話を聞いていると、人生が楽しくなる。こういう生き方も幸せだ、なァ。何だか、胸を押さえつけない、パーッと広がるものを感じた。

2017年5月11日木曜日

ホーム自体もスリムになって、高齢化社会を迎える

大型のクレーン車(右側)と、大型トラック(中央)がホームの庭に入り、屋上の古い設備・機械類を撤去する作業が行なわれる。左側に、白い聖母マリア像が見える。
★改装工事が始まったのは、昨年の6月でした。1年かけて、ホームをスリムにした。既に70年の歴史があるが、老人、介護の問題は、これから先、高齢者社会に向けて、益々需要が増していくだろう。
★それだけに、ホームで生活する人の幸せが要求される。「ホームに入って、お世話になって、幸せだった」。そう言えるホームでありたい。ここのホームの特徴は、カトリックと、最後まで看取ってくれることです。
★昨日の夕食は、隣の修道院に呼ばれた。院長の浜田神父さんが、大きな鯛(手で測って、70cm)を釣ってきた。アラカブも多数ある。6時から、教会で、修道者と「教会の祈り・晩の祈り、寝る前の祈り」を唱える。共同で唱えるのは、チカラ強い。最後に「レジナ・チェリ」を歌った。「やっぱり、いいねぇ」
★6人(司祭3人、修道士3人)が揃った。大鯛は、大きなサラに、きれいに盛られていた。浜田院長が、自慢の腕をふるって、鯛の塩汁を作った。瀧神父さんも同席して、喜びを共にした。「サシミと、塩汁があれば、満足だ」。ご飯を炊いていた。「ボクは、タマゴかけご飯をたべたいな。ホームでは出ないからね」。わがままを言って、タマゴをもらった。アラカブは次の日に料理するそうだ。
★ホームの園長神父さんが、「瀧神父さまと、トマさんが、ロザリオを、一番前の席に座って唱えるので、チカラ強いよ」と喜んでいた。園長神父自身も一緒に唱えている。「ロザリオが世界に、生活に、幸せをもたらす」と口ぐせのように勧めている。
★昨夜は冷え込んだ。部屋は朝、22度だった。本当は、今日は、長崎へ行く予定だったが、取りやめにした。今日のロザリオは先唱を勤めた。映画の弁士で鍛えたから、声には自信があったが、90近くにもなると、満足な声は出ないよ。

2017年5月10日水曜日

絵てがみ教室。何を描こうかな。明るいものを望む

絵てがみ教室の先生が、大きく真っ赤なピーマンを机に置いた。他に薄黄色い玉葱もあったが、「赤いのを、ボクは描くよ」。先生は、はみ出すように大きく描きなさい、と指示。思い切って、大きく描いた。でも少し、細くなったかなァ。もう少し丸みをおびればよかった。
★問題は、書き込む言葉だよ。考えた末が、これです。まさか老人の顔が赤みを帯びる事はないだろうが、明るい顔を連想した。明るさは、赤ちゃんの顔につながる。「ほほえみ、だよ」。安堵だね。お任せる気持ち。幸せだよ。
★朝の祈りのとき、「神さまの愛は、どうしたら、わかるだろう ?」など考えた。お願い事があれば、祈る。成就すれば、神のお陰と素直に感じる。反対に病気や、苦しみ、痛み、困難が来ると、祈っても願っても、望みは叶えられない。神は見捨てるのか、と懐疑になる。神が存在するなら、その働きも知りたいのです。
★いくら困難が来ても、神はこの状態を本当に望んでおられる、今こそ神が、自分に向いておられる、愛しておられる、そうシンから感じるならば、それは信仰になる。神の愛が身近に、わかわる人になりたい。もっとラクに、安心になるに違いない。
★だが自分には改めるべき点が幾つもある。尊敬されれば嬉しく、無視されればハラも立つ。それでも胸張って生きよう。
★水曜日は、午前中、職員さんたちがチームを組んで、各部屋に電気掃除機をかけてくれる。シーツや枕カバーの交換の日にもなっている。若いチカラが必要です。
★昨日、踊りの会から頂いた箱には、地元の「マルぼうろう」が入っていた。昼食に、1個づつ食卓にあり、昼食には、餅入りゼンザイも出た。
★高原修道士が自室に来て、「浜田神父さんが、大きな鯛を釣ったので、夕食は修道院に食べに来んね。瀧神父さんも呼んでいる」と告げた。

2017年5月9日火曜日

踊りの会のグループが慰問の訪問。こころが踊る

ホームには、しょっちゅう来るわけではない。年に、1度。踊りの会のグループが慰問の訪問にやってくる。皆さん、楽しみに食堂に集まった。「舞台が狭いわね」。そんな声が聞こえた。改装で、前にあった舞台は取り外した。
★外は、雨が降っている。車に分乗して、ホームまで来てくださるのは有り難い。45分の慰めでした。着物や衣装が新鮮でした。ホームの女性たちの中には、華やかに踊った人も居るでしょう。むかしの自分を思い出したことだろう。
★人は、やはり助け合いながらしか生きていけない。足腰のしっかり者は、弱い人を支え、助ける。テレビで事件や事故ばかり見せ付けられるのは悲しい。老いても感性は鈍くなるわけではない。
★「贈り物があるから、代表で受け取りに行ってください」と職員さんから声がかかった。「ハイ」と直ぐに承知したよ。大きなダンボールの箱だった。

2017年5月8日月曜日

電話は直ぐ切っては、いけません。心を込めて話す

朝、5時過ぎ、ミサへ。自室から廊下へ出る。もう窓の外は明るくなりかけている。「あれ、横に、赤い雲が。上から、また雲が、交差するように走っている。デジカメを急いで取りに自室へ。出てみたら、もう消えかかっていた。「人は、なぜ、こんな不思議な光景に興味を示すのだろう。自然界の意味が分かる訳は、ないのに」
★教会へ行って、黙想した。本を読む。傾聴ボランチアのことを考えた。こちらが話し、あちらは聴くだけ。何んにも介入しない。諭したり、慰めたり、励ましたり、全く、しない。偶然にも、この本に書いてある。傾聴ボランチアの奥に、神が居られる。心を沈めて、安らかに、今の自分の悩み、痛み、苦しみ、喜び、胸騒ぎ、などを語ろう。森に向かって語るように、反響はないかも知れない。しかし愛の神は沈黙はすれど、聴いて居られる。「ああ、そうなんだ」。心静かに語れば、いいんだ。その繰り返しに、神の、傍に、居られるのを、体感できるようになる。
★朝食後、入浴した。いい風呂だった。もちろん3人だ。入江さん、キリエさんと、私。背中は、キリエさん。入浴後、自室で、からだを休めていると、10時から、「絵てがみ教室」です、とアナウンスがあった。場所は、「サクラ・ルーム」。窓下に、サクラがイッパイに見えるから、部屋に居て、サクラの見物ができる。この場所の改装工事が出来た頃が、ちょうど、そういう時期だった。写真の左側は、介護職員さんの詰所。右側の明るい場所が、サクラ・ルーム。絵てがみ教室へ参加する。ヘタも、ジョウズも、関係ない。楽しく描けばいいのです。真っ赤なピーマンと、エジプト豆を描いた。いずれブログに載せましょう。
★すると、電話です、と名前を呼ばれた。「誰から、だろう?」。声の主は、東京のシスターからだった。「『トマさんのことば』、いただいて、ありがとう。みな、喜んでいる」「まあ、まあ、わざわざ遠くから、ありがとう。最後まで、お互い、奉献生活つづけましょう、ね」。それだけで切った。後で後悔したよ。「ああ、もっと語ればよかったのに。愛想なく、直ぐに切るなんて。トマさんの電話、すぐ切るから注意するように、と言われたこと、あったッけ」

2017年5月7日日曜日

1枚のハガキに教えられる。原点、見つめて生きる

ホームの生活で、一番楽しいのが面会であり、お便りです。1枚の写真ハガキが届いた。すさまじいヨットに乗った男の写真。裏に6行の文字が並んでいる。覚えているよ、この人。
★「2012年9月24日に、熊本のヨット・レースの帰りに、聖母の騎士(聖コルベ館)に立ち寄り、お話ししました」
★早速、その日の日記を調べてみた。すると、ありました。5年経過している。いま読むと、なかなか良いことが書かれている。今日は、なつかしく思い、それを取り上げた。
★「山口県から来ました。熊本でのレース、ディンギ(小さな舟・4.23m)の九州競技大会があってね。参加艇は17隻。クラスが2つに分かれて、9艇で争ったラジアル・クラスで優勝した」。海の男だった。(聖コルベ館の庭で、写真を撮る。黒塗りの車の屋根にヨット、そして男性)
★「母親が、騎士誌の愛読者で、自分も愛読するようになった。小崎さんの記事を真っ先に読む」と誉めた。母親は幼児洗礼。母の父は、ビリヨン神父から教えられた。根っからのカトリック。
★「母の信仰を思うと、理屈じゃない。そのまま信じている。カトリックより他に知らない。90歳で亡くなった」
★「小崎さんも自分の体験じゃないですか。苦しみが生きている。戦うしか、ない。不安や自信がなくなったら、その時、任せる。信仰がある。恐れることは、ない」と、海で闘う男の闘志を連想させる。
★「自分の歴史を考えると、どう考えても、自分にとって奇跡みたいな恵みがある。感じられるので、強められる。守ってください、導いてください、ですよ」
★「小崎さんも病気と戦っている。騎士誌を読んで分かる。特に最近の記事は、すごい。それでも信じている。試されている。小崎さんに一目だけでも会いたいと来ました」
★「舟に乗り始めたのは、のんびり、したかった。風に乗って、いい気持ち。だが現実は厳しい海。32年になる。全国大会、世界大会も連続7回参加した。ヨットは部屋もある、大きな舟。帆かけ舟ですよ。いつもヨットのこと、考えている。修道士の小崎さんが、祈り考える、いっしょですよ」
★あれから5年だが、彼は変化があったろうか。私は、未だに語れぬ「大きな転換」があった。海でいえば、自分自身が呑まれる大しけだった。5年間に起きた変化、人生、何が起こるか解らない。「体調に気を付け、ブログを続られますように」とあった。「『トマさんのことば』を送ってください」と書いていなかったが、もちろん彼にも送った。

2017年5月6日土曜日

誕生会。瀧神父さま、86歳。賑やかな出し物あり

月の初めの土曜日、昼食は「誕生会」です。今月は6人が誕生日を迎えます。例の如く、全員が食堂に集まります。ベッド式の車椅子の人も揃います。6人の中に、瀧憲志神父さまも入っています。
★先ず園長神父さまのお話。アヴェマリアの祈り、乾杯の音頭。それから園長神父さまと職員さんが、お花と、小さな灯と、プレゼントを持って、1人、1人の処へ運びます。その間、「ハッピバスデイー」を拍手しながら歌います。瀧神父さまの所へも園長神父さまはお祝いに行きました。86歳になります。
★お祝いの昼食が始まります。ご馳走がありました。食べていると、いよいよ出し物がでます。3人で、「タマゴと、ニワトリ」を踊りました。卵が先か、にわとりが先か、よく聞く、あれです。「昔、昔の、その昔、メガネの先生は言いました。卵が先だ、卵が先だ。次におヒゲの先生は言いました。にわとりが先だ、にわとり、だ」
★にわとりから、タマゴが出てきて、卵が服を脱ぐと、ひよこになった。看護師さんと、介護の職員さんと、炊事場で料理を作る人、3人の愉快な踊りでした。
★終わり頃に、恒例の「のど自慢」の歌があり、歌う人も段々と、声がかすれてきています。しかし歌詞を良く覚えているのは感心です。笑いと、拍手と、祝福の楽しい誕生会でした。
★午後2時30分から、ホームの車で、歯医者さんへ治療に出かけます。

2017年5月5日金曜日

食堂前での会話。神さま「これで、いい、でしょ」

「こどもの日」。ホームで楽しみは食べることです。昼食の30分前になると、食堂の入口のイスに、ボツ、ボツと女性群が集ってくる。私も負けずと中に座ります。園長神父さんが1度人数を数えたことがあった。13人居たかな。これで満席です。
★瀧神父さんが、杖をついて、ニコニコしながら姿を見せる。1人の女性が席を立って、神父さんに譲った。私は、つぶやいた。「先の者は後になり、後の者は先になる」
★食堂では、介護の必要な人の食事が始まっている。食事が済むと、職員さんが1人、1人、車椅子を押して部屋まで送る。これだけ見ても「介護って、タイヘンやなァ」と直球で思う。
★1人の女性が、つぶやいた。「これだけ、お祈り、しよっとに、サ」。神さまは何で苦しみを与えるのだろう。その言葉を、さりげなく聞いて、「ああ、深い所を考えているな」と又、思う。
★「あの人、居らんやったね」「連休だから、家に帰ったとやろ」「家はあっと、ね」「あるさ、子供も孫も居るけん」「孫も居るとね」「居っと、たい」「うちは、誰もおらん」「神さまに叫びなさい。『なして、うちには、家族は居らんとね』」。すると、その女性が、ポツリと言った。「これで、いいでしょ」。まさに明答だと思った。現実を、神のみ旨として、受け入れる。信仰の基本だ。「昼の食事は何だろう?」「おサカナでしょう。今日は金曜日だから」
★介護の人たちの食事が終わって、皆さんのため食堂のガラス扉が開かれた。昼食のメニューは、ごはん、鯖の香味焼き、洋風味噌和え、玉葱の塩麹漬け、すまし汁、ミルクコーヒーゼリー、だった。やっぱり、サカナだった。

2017年5月4日木曜日

新しい風呂で考える。我が人生に、悔いはなし

「入江さん、キリエさん、風呂に入ろう」。昨年の6月から、ホームの改装工事が始まった。畳の部屋は、車椅子でも入れる部屋に改装される。介護職員の詰所、医務室は場所が変わり、機能に便利になった。事務室、園長室も更新された。最後に残っていたのが、介護なしで自分で入浴ができる風呂場でした。今日から入れるようになった。早速、朝の9時から、3人で入りました。背中を流してくれたのは、キリエさんでした。入浴は毎日、午前中は、男性が入れます。7、8人の男性がいる。午後から女性になっている。風呂の湯は機械で巡回し、きれいです。この風呂に、3人だけ入るのは、ありがたいことです。入浴は楽しみでもある。
★風呂からあがって、着衣して、一息入れて、ジーっとしていると、アメリカ・テキサスのKoKo洽子さんから携帯がなった。「アメリカから電話だよ」「エスぺランサさんのために『トマさんのことば』を送ってください。エスぺランサさんが来て、見て、泣きました」「エスペランサさんのために既に書留で送りました」
★「トマさんのことば」の反応。東京の女性から、「3つの写真を選ぶとすると、お母さん、パパさま、ガヨヴィ二チェックさん(コルベ神父から命を助けられた男性との出会い)ですね。本は、トマさんの人生を表わしている」
★「トマさんのことば」。広島の女性から、「どこまで行っても、御本の出版に繋がるのですね。これまでの思い出は詰まる本で、とても、うれしく思っています」
★ホームに入った頃は、自分の歩いた道を振り返って、修道士で良かったのだろうか、と迷い、揺れた時もあったが、この小さな本が総ての迷いを吹き飛ばしてくれた。私にとっても貴重な本となった。

2017年5月3日水曜日

好物は、牛肉の天ぷら、テール・スープ、です

傾聴ボランチアの女性が来た。1ヶ月ぶり、これで3度目である。女性は聴くだけ。私は語るだけ。時々ある言葉の流れを女性が繰り返す。例えば、「人は、老いには、勝てませんね」と言うと、その言葉を私に投げ返す。「語るだけ」によって、話す者の悩み、胸のつかえ、肩の荷が降りるらしい。当方は「語るだけ」と頭にあるから、しゃべりまくったが、気がつけば、何と1時間半、語りっぱなしだった。
★人が生きる基本は、①三食、完食する。②大のトイレがある。③私は腎臓のことがあるから、尿が正常に出ているか。④普通に歩ける。⑤夜、安眠する。これが生活の一本柱で、1日の間、常に考えている。若い時は、そうではなかったよ。特に「歩く」が問題になる。ホームの中で、歩けていた人が車椅子になっていく様子を見ているから実感がある。自分にも、せっぱ、つまった現実です。
★私の好物は、母が料理した「牛肉の天ぷら」なんですよ、と教えた。母が死んでから、何十年と食っていない。7、8年前から、島原半島のオバマ温泉「富士屋」さんに月に1度、2泊3日で療養に行っていたとき、富士屋さんに頼んで、牛肉の天ぷらをいつも出してもらっていた。満足な味でした。ホームに入って、2度ほど富士屋さんへ行って、昼食に牛肉の天ぷらを出してもらったが、なぜか、首をかしげた。老いで食に対する好みの変化があったのか。母が料理する天ぷらは、イモと、牛肉の2品だけだった。カボチャとか、タマネギなど、天ぷらにしなかった。母の商売は、精肉店だからね。
★それに、もう1つ、私の好物と言えば、「テール・スープ」です。ホンモノのテール・スープは予約しないと出て来ない。牛の尻ッポですからね。店には置いていない。
★そんな話しを傾聴ボランチアさんには聞いてもらいました。スッキリしたよ。

2017年5月2日火曜日

事務長さんの家のサクランボ。小鳥が喜び集う憩い

事務長さんの自宅に、サクランボが沢山なっている、と聞いた。車で2分、ホームから直ぐ近くのお家に連れて行ってもらった。見事なサクランボです。小鳥がさえずり、のどかな気分が満ちている。事務長さんは、ホームに勤めて、35年が過ぎたという。歴代の園長神父さんを知っている。なつかしい神父さんの名前ばかりです。
★今年の冬は長かった。サクラも遅く咲いた。寒さは老人には、こたえます。昨日から5月に入った。聖母月です。「ロザリオを、マリアさまに、捧げましょう」と勧められる。聖母月は、何だか楽しい、喜ばしい月です。サクランボにむらがる小鳥のように、「ピー、チク、パー、チク」歌いたい月です。

2017年5月1日月曜日

来たーッ。山梨の男性。バイクで走行。ほほ笑む彼

「トマさんのことば」が欲しいと、山梨の男性からハガキがあった。「自分はゴールデン・ウィーク中に、バイクで九州を旅する。小崎さんのホームへも行く。郵送ではなく、その時に手渡しで下さい。予定は5月1日、10時です」
★24日にハガキが届いたので、余裕があるなァと思って、25日に本を郵送した。「いよいよ来るかなァ」。今日は、1日。午前10時、玄関で待っていた。15分遅れて、バイクの彼が到着した。本は、27日に着いて、28日からバイクの旅を始めた、と言った。
★早速、部屋に通して、出会いを楽しんだ。長崎へは22回目。バイクの旅は12回目。小崎さんに聖コルベ館で会ったのは、①1992年が最初。「洗礼を受けて来なさい」と言われた。②2000年、飛行機で来て会った。③2007年、バイクで来る。この時も「洗礼は、まだ?」と言われた。2010年、洗礼を受ける。霊名はバルトロメオ。日本人の司祭から授けていただいた。
★④2013年、飛行機で長崎へ、聖コルベ館へ来た。この時に、ブログ「登明の日記」に載せた。その日から、毎日、日記は読んでいる。
★「なぜ、そんなに長崎に憧れるのか」。本人は具体的に説明しない。高校生の時からバイクに乗り始めて、キリスト教やキリシタンに心を引かれた。上五島、福江島にも渡った。今日、⑤「小崎さんに会うのは5回目です。別府から、阿蘇、熊本、天草、島原と走ってきた」。彼は、「長崎オラショの旅」や「十七歳の夏」などを私に見せた。もちろん、[トマさんのことば」の小さな本も持ってきた。
★5回目の記念写真は、修道服の姿で、彼と、バイクを入れて、玄関のツツジの前で撮った。湯江教会に案内して、旅の無事を祈って、満たされた心で別れた。