2020年2月29日土曜日

91歳、今日で終わりだよ。本当に良い歳だった。お恵みだね

今年は、うる年です。29日まで、ある。91歳、最後の日になりました。明日が誕生日。92歳に、なる。
★今年は恵まれた年でした。病んでも、歩くのが遅くても、ボチ、ボチ、進んでも、これ程までに長く生きたんですね。カラダが弱いトマが、どうして、こんなに長く生かされたのか、わかりません。世の中には、わからない、理解ができない出来事が多々あります。
★トマは、ホームで、一番広くて、快適な部屋を与えられました。去年の6月、改装して入居した。感謝して、楽しく過ごしております。洗面台の白い壁が汚れないように、ボール厚紙を置いていたが、職員さんに、白い板に変えてもらった。この職員さんには、歯医者さんへ行き時、送り迎えしてもらって、お世話になっている。
★ホームから車で15分ぐらい走ると、島原半島入口に、教会・幼稚園があって、シスターたちが生活している。ポーランド人のブリ神父さんが主任の時、時々訪ねていた。シスターにも会ったことがある。「トマさんの日記を、愛読しているのよ」と言って、喜ばせてくれた。
★ブリ神父さんは県外に転任して、そのシスターも県外に転勤になった。シスターから、1、2度、便りがあったが、「日記は、読んでいますよ」と励ましてくれた。
★この度、「トマさんのために」と、ミサを頼んでくれた。昨日、ミサの始めに、司祭が「シスター〇〇さんのお願いで、トマ修道士さんのため祈られます」とお言葉があった。シスターが誕生日を覚えてくれたのだな、と嬉しさの中、合わせて、感謝の祈りを捧げました。
★湯江修道院の濱田神父さんのお兄さんが逝かれた。今日がお葬式です。長崎市の聖母の騎士教会で行なわれます。お兄さんは、聖フランシスコ園の職員としてお仕事をされている。どうぞお兄さんのためお祈りください。

2020年2月28日金曜日

「省略しない心」と「文句を言わない心」。人生に必要な心です

労働で汗を流し、ノドが乾いている人は、1パイの水に安堵(あんど)感を与える。老いて、ホームで暮らす者は、たまに外食したレストランで、食べた1個のデザートに胸をときめかし、生きている喜びを感謝する。
★生きていることは、ありがたい。老いると共に痛感する。呼吸できるじゃないか。尿が正常に出ているじゃないか。食事も頂いているじゃないか。日々、静かに、平凡に、過ごしている。何も心配はない。寂しさは、あるよ。でも、それは仕方がない。
★若い頃、病んでいた時、周りの人に、「いつも、ソバに居てくれ」「足を、さすってくれ」「語ってくれ」「看護を、省略しないでくれ」と願っていた。だが、看護師にだって、介護士にも限度がある。彼らにも他に仕事があるだろう。趣味の時間も欲しいだろう。「そんなに、かまって、いられない」。現実は、そうです。だから自分には、「モンクを言わない心」が大切だ、と思った青春があった。
★いま、また、それを思い出す。「省略しない心」と「文句を言わない心」。交差するのが、人生だろう。その繰り返しだ。文句を言わない心境には、底辺に、「苦しみ、痛み、寂しさには、耐えて、生きて、価値があるのだよ」と認める思い、納得が必要だろう。自分の苦しみを、他人のセイにするな。我が身に、いい聞かせている。

2020年2月27日木曜日

面会えんりょ、ください。許さん、会えない。ヨット・マン来た

今朝の、自室の窓から見た、太陽です。ホームの玄関の、ギリギリの所から上がっていた。テレビの時間、7:00を示していた。これから日の出は、右側に移動する。もう、春になると、見えなくなるでしょう。有り難い一日の始まり。
★「100%努力する。その後は100%、神にゆだねる」。今朝、教会で、聖人の言葉を胸にとめた。如何に苦しみ、痛みを受け入れ、耐えるか、課題でしょう。
★新型コロナの話題で持ちきりです。新聞にも「老人ホームの面会、制限して」と出ていた。聖フランシスコ園でも、事務長さんからお知らせがあり、日記にも広告を載せた。
★ホームは、老人ばかりの施設なので、特に気をくばる。「トマさんには、面会人が多いので、注意してくださいね」。そんな声もあった。
★そんな中で、突然、訪ねて来たのが、ヨット・マンの男性です。決められた特別面会室で会いました。
★その前には、大阪に住む、台湾人の許書寧(きょ・しゅ・にん)さんから電話をうけた。「いま、どこですか?」「長崎に居ります。台湾からの巡礼団を案内しました。皆さんを送りました」「どこを回りましたか?」「山口、下関から始まって、島原と雲仙を経て、長崎入りし、西坂、大浦、浦上、外海、聖母の騎士など回りました」「ルルドへも登りましたか?」「ハイ、祈りました」「巡礼団は、何人でしたか?」「25人です。フランシスコ会の神父さまが居りました。あした、ホームに会いに来て、いいですか?」「ダメです。今度は、見送ってください」「ああ、ザンネンね」「おみやげ、ありますか?」「ありますよ」。電話は、それで終わった。
★翌日、許さんから、おみやげが届いた。「台湾のフランシスコ会の神父さまが持ってきました。台湾のパイナップル・ケーキ(写真)と、今回、泊まった湯田温泉の饅頭です。どうぞ、召し上がれ」台湾原種のパイナップルと天然バター入りのケーキです。ちょっと日本のお菓子とは違います。
★許さんは、毎年、台湾の巡礼者たちをガイドした後、ホームに寄ってくれる。絵が上手。許さんの作品です。

2020年2月26日水曜日

教会で、アタマに灰をいただく日。昨日のヨット・マンを調べる



「汝、塵(ちり)なれば、チリに返るべし」。灰の水曜日。昨年の「枝の主日」に教会で使った「枝」を燃やして、灰を作る。今朝、ミサの間に、司祭から、各人のアタマに灰をふりかけて、「回心しなさい」の声もいただいた。
★四旬節の始まりです。40日つづきます。その後に、復活祭がくる。「『40』という数字は、主イエスが公生活を開始する前に、40日間、断食された。またイスラエル民族が、エジプトを解放される間に、40年かかった」と説明があった。復活祭に向けて、回心の気持ちで生活するように望まれる。毎年、重ねる行事です。
★昨日、ホームに面会に来たヨット・マン。以前、聖コルベ館でお会いした、と聞いたので、調べてみると、あった。
★2012年9月だから、8年前になる。その何月をつなぐのは、「日記」だった。あの時も、熊本でのレースの後で立ち寄っている。あの時は、こころ温まる思いを語っていた。
★母親が、もう亡くなったが騎士誌の愛読者で、時々自分も読んでいた。最近は、毎月、愛読している。小崎さんの記事を真っ先に読む。母親は幼児洗礼。母の父は、ビリヨン神父から教えを受けた。母の信仰を思うと、理屈じゃない。そのまま信じている。カトリックより他は知らない。90歳で亡くなった。
★小崎さんも、自分の体験じゃないですか。苦しみがあっても明るく生きている。戦うしか、ない。不安や、自信がなくなったら、その時は任せる。信仰がある。恐れることはない。自分も、歴史を考えると、どう考えても、自分にとって、奇跡みたいな恵みがある。感じられるので、強められる。守ってください。導いてください、ですよ。
★小崎さんも病気と戦っている。騎士誌を読んで分かる。特に最近の記事は、すごい。それでも信じている。原点を見つめている。試されている。小崎さんに、一目だけでも会いたいと、来ました。
★ヨットは、風に乗って、いい気持ち。だが現実は厳しい海。32年になる。全国大会、世界大会にも参加する。ヨットは部屋もある。大きな舟、帆かけ舟ですよ。いつもヨットのこと、考えている。修道士の小崎さんが、祈り考える、いっしょですよ。
★以上が、8年前の日記に載せている。
★出会いとは、こんなご縁もあると、温かい気持ちになった。

2020年2月25日火曜日

「介護施設・出入禁止」に、第1番目のお客さん。ヨット・マン

「介護施設・出入禁止」なのに、1人の男性が、「小崎さんに会いたい」と訪ねて来た。キャンピング・カーを付けた車。車の上には、ヨット。「下関からです」「ホームに入って来たこと、あるかね?」「いや、初めてです。聖コルベ館でお会いした」。熊本の海で、ヨットの大会があった。「その帰り道、寄りました」
★「毎日、日記を見ていますよ」「そりゃ、どうも」。山口のザビエル教会が出来た翌年に生まれた。67歳になる。「ザビエル教会、知っているよ。天井脇の壁に、円形に、聖人方を描いた素晴らしい壁画があった。惜しくも火災で焼失した。
★男性は言った。「私は、大学終わってからのカトリック。母方の祖先は、ビリヨン神父にお世話になった」。「ビリヨン神父の名前が出てくるなんて、懐かしいな」
★日記を見て、「日本26聖人」の映画、見ましたよ。小崎さんの声・弁士が感動モノ。語りながら泣いている。ヨットが好きで、日本中の大会に出ている。100隻余りのヨットが走る。気がハレ、バレしますよ」。仕事は、楽器店経営です。ピアノ、ギター、楽器は何でも扱っている。
★こうして、わざわ訪ねてくれるのは、ありがたい。どこかで、日記はご縁につながっている、な、そう思います。明るい顔、海の元気をもらいました。キャンピング・カーも珍しい。「ボクも、若かったら、こんな車を引きずって、旅をしたいよ」
★今日は、午後から、行き付けの歯医者さんへ出かけます。早めに日記を書きました。明日は「灰の水曜日」。四旬節が始まります。

2020年2月24日月曜日

新型コロナウィルス感染防止のため、外出も面会も、ひかえめに

ヨゼフ・クリニック(長崎市坂本)の高木正剛先生です。毎月、お世話になっております。高木先生の左側横の壁を見て下さい。額縁がある。「御子イエスを抱いた聖ヨゼフ」です。これはトマが贈った額で、コルベ神父がポーランドから持参した聖絵の縮小版です。高木先生は、聖ヨゼフのご保護を祈り、願っている。
★毎回、9時頃、クリニックに着いても、待合室には、14,5人がいる。長時間待って、診察室へ。会うのが楽しみ。先ず、無呼吸で、CPAP機器を使っているので、データーを調べる。時々「心電図検査と血液検査」。高木先生が、カルテから、「誕生日で、何歳になるの?」と聞いた。「92歳です」。帰りに、白い封筒をくれた。「祝92歳」と記されている。「高木先生、お世話になっているのに、すみません。ありがとう」。こころよく受け取った。
★ホームでは、いま、テレビ、新聞には「新型肺炎」の広がりが大量に報道されている。新聞にも、「介護施設・出入禁止」の大きな文字が躍っている。ホームでも、事務長さんが食堂に来て、「食べながら、お耳をかしてください」と、「お知らせ」があった。
★新型肺炎が、九州にも入ってきている。新型肺炎に罹ると、高齢者が一番危険にさらされる。ホームは高齢者の集まりだから、もちろん心配になる。「出入りには、細心の注意をはらってください。外出は、必要以外は遠慮。訪問者も、ご遠慮ください。どうしても会う必要があれば、特別の部屋を用意します」
★当然の配慮でしょう。皆さん、新型コロナウィルスには、気をつけましょう。マスク、手洗い、消毒、敏感になります。
★3月1日、トマの誕生日。毎年、長崎市内に、十数人が集まって「誕生会」を祝ってくれていた。今年も計画して、会場の予約もしていたが、取り止めにしました。「新型コロナウィルス」が広がらないように願っています。

2020年2月23日日曜日

駐日ポーランド国大使さんと握手。願い事あり、忘れた証言あり

きのう、訪日ポーランド議員団一行の歓迎昼食会に、トマを入れてくれたのは、「市の秘書広報部国際課」からでした。「ポーランドのべネ・メリト勲章も持参ください」の声もあった。食卓で、勲章を見せたが、反応は受けなかった。
★その歓迎会で、最も、親しくお話できたのが、駐日ポーランド大使のパヴェウ・ミレフスキさんです。4か月ほど前に着任された、と言われた。活動力を感じた。
★トマは、大使さんにお願いした。トマは、1970年代、80年代に、ポーランド人の修道者たちをカメラに収めた。長崎とポーランド・二エポカラヌフのコルベ神父の修道院の修道者たちの写真がある。長崎市で、展示会を開いたが、好評だった。今年は、聖コルベとゼノ修道士が来日して90周年の記念の年でもある。東京でも、展示されるようお頼みします。
★昼食歓迎会で、お話しする機会はあったのに、大事な事を、言い忘れた。それは太平洋戦争が始まる前に、ポーランド大使館の一行が長崎市の聖母の騎士に立ち寄って、大使館に掲げていた「ポーランド国旗」を修道院に託したことです。「平和が来たら、また使えるでしょう」と希望を添えて。
★その由緒ある大切な「ポーランド国旗」を守っていたのが、ローマン修道士でした。ローマン修道士は、戦争が終わって、預かっていた「国旗」を大使館に返却しました。
★この証言を伝えたかった。すっかり忘れて、残念でした。ローマン修道士は、100歳で、聖フランシスコ園で逝かれた。トマも見送った。
★昨日の、ポーランド上院国会議員の皆さんとのひと時は本当に楽しいでした。今日は、早朝から長崎空港を出発し、伊丹で降りて、敦賀市へ向かわれます。大正時代、シベリア難民のポーランド人の子供たちを日本が保護・静養させて、本国へ無事に帰国させた逸話があります。その場所を見たいのでしょう。ポーランド人には忘れない出来事です。ポーランド人は、二ホンに好意を抱いている。これからも交流がつづき、日本とポーランドは親交が深まるのを期待します。
★ポーランドは、好きだな、トマは。「ジンクーエン・バルゾ」

2020年2月22日土曜日

訪日ポーランド上院議員さん達の歓迎昼食会によばれる。有り難い

昨日は、ヨゼフ・クリニックの診察が終わって、聖母の騎士へ向かった。山口院長神父さんが待っておられた。
★「昼食は、ポーランドから上院議長一行が来られて、市の歓迎昼食会で行ないます」。山口院長さんと、トマは、修道服に着がえて、JR長崎駅の隣のホテルへ、院長さん運転の車で走った。
★トマが座らせた席は、長崎市長さんの隣です。その向こうが市議会長さんでした。緊張しました。一行が着く前に、時間があり、トマは市長さんに「長崎の外国人は、シーボルト医師や、グラバーさんがよく知られているが、コルベ神父のことも忘れないでください」と願った。一行が着席すると、緊張が走る。先ず市長さんが、上手な挨拶をした。次いでポーランド議長さんが「飛行機の窓から、長崎の町や海を見て素晴らしい風景でした」と雰囲気を和やかにした。
★訪日ポーランドの一行は、団長の上院議長さんが主で、トマの席の真ん前だった。その隣が、ポーランド駐日大使、両脇に、議員さん3人がいた。会話をしたのは、上院議長さんと、駐日大使さんだけでした。こちら側は、市長さんと、トマ、山口院長神父さんが応じた。
★会話の通訳は、訪日側は男性、長崎側は女性が行なった。興味は、コルベ神父、ゼノ修道士、ヨハネ・パウロニ世教皇などで、特に教皇さまは政治的にもポーランドを守った人と高く評価していた。ゼノさんについては「蟻の町」の話が出て、山口院長さんが応えた。
★トマは、17歳で被爆して、ポーランド修道者の中に入った。最初に抱きしめたのが、ゼノ修道士ですと語った。議長さんは、東京で色々な体験をしたが、どうしても長崎へ憧れて来た。見学場所は「原爆資料館」「原爆中心地」「聖コルベ記念館」、この3か所になっている。コルベ神父への熱意を感じた。
★長崎市長さんから贈り物の贈呈があった。トマは、上院議長さんに、ポーランド語版の「焼けたロザリオ」を2冊贈呈した。マンガの本だが、原爆と、コルベ神父の身代わりの愛が盛り込んである。お返しとして、「ショパンの最も美しい曲集・2CD」をいただいた。「ジンクーエン・バルゾ」
★食事は、食べやすい献立だった。案内が立ててあり、「海の幸の菜園家風・長崎伝統柑橘類ゆうこう風味ソース、琴海産木の子のクリームスープと長崎枇杷たまごのポーチドエッグ、長崎県産牛肉のローストばってん鶏の煮込み旬野菜逢え、長崎産苺のガトーバニラアイスクリームと共に、コーヒー、パンとバター」と、総料理長のサインも記してあった。長崎の食材にこだわっていた。和気あいあいの内に、訪日歓迎の昼食歓迎会は、アッと言う間に終わりました。食卓には、大きく名前が立ててあった。光栄の至りです。修道服のおかげです。

2020年2月21日金曜日

勇太郎に、裕次郎も、参加した楽しい修道会の集い、楽しいひと時

昨夜は、修道会の兄弟、司祭・修道士たちが、23人集まった。長崎県内の4つの修道院・教会で働いています。
★いいですね。みな同じ兄弟、仲間だよ。霊的呼吸が一杯できる。一緒に、祈り、お互いに報告があった。その後は、会話したり、笑ったり、愉快なひと時でした。トマも、ホームのことを忘れて、同じ気持ちで楽しく語り合った。元気をもらいました。若者から老人まで、トマが一番、歳上だよ。
★昨夜の集会に、東京から、2人の神学生が参加しました。
左が、パウロ今井裕次郎さん、通称ウドン屋の今井くん。岡山出身です。右は、ペトロ峯勇太郎さん、長崎・五島出身。今井くんは、ある年の大晦日の、夕暮れ、聖コルベ館閉館まえに、飛び込んできた。聖フランシスコや聖コルベの話を聞いて、心は萌えた。高校時代の奨学金100万円の返金があったので、「うどん屋」に勤めて、お金をすべて清算して、入会した。そこから「うどん屋の今井くん」となった。峯くんは、五島・福江島の信仰熱心な家庭に育った。
★2人とも、晴れやかな、いい顔しているね。いま長崎・聖母の騎士で修練中です。3月14日、土曜日に、無期誓願を立てます。いよいよ真っ直ぐに、司祭への道を進む課程になります。2人が、迷うことなく司祭叙階へ至るように、どうぞお祈りと、見守りください。
★今日は、早朝、これから、長崎へ向かいます。ヨゼフ・クリニックで診察の後、重大な予定が、聖母の騎士の山口院長神父さんから告げられています。詳しい事は、次に報告できるでしょう。見守ってください。

2020年2月20日木曜日

「神に喜ばれ、人にも受け入れられる人間になれ」。好きな言葉

今朝の「教会の祈り」に、「キリストに仕える人は、神に喜ばれ、人にも受け入れられる。平和を、もたらすこと、互いに信仰を深めることを求めよう」との言葉があった。
★「神に喜ばれ、人にも受け入れられる」。度々読んでいるが、この言葉が、わたしは、好きなんです。道を求めれば、神さまに心を開くだけでなく、人にも心を開いていく。人にも受け入れられる人間になる。これが大切でしょう。共存です。これがなければ、本物の求道者ではない。
★ホームの隣は、教会です。毎朝、ミサや祈りに自由に参加できる。しかしホームの人の中には、老いの体や、病気の都合で、参加が出来ない人もいる。その人たちのため、時々、山内園長神父さんが、ホームの「サクラの間」で、皆さんと一緒に祈り、御聖体を授けます。幸せな時間です。
★このホームは「養護」だが、入居すると、介護を受ける者になっても、寝たきりになっても、神に呼ばれるまで、暮らすことが出来ます。安心して、生活しています。
★老いて、一番望むのは、平安な心境でしょう。お年寄りたちは、大正の末期から、昭和の初期に生まれ、戦争を体験し、苦労して暮らしてきた人たちです。平成になって、すっかり世の中は変わりました。しかし変わらぬ真理を持っている。五島で生まれ育った信徒は、そりゃ熱心ですよ。根性が入っている。見習う熱意が多々あります。
★人生を、ナメたら、いけません。苦しみ、痛みが沢山ある。それでも、あなたの人生は、すばらしい。それは苦しみ、痛みがあるから、すばらしいのです。
★今日は、午後から出かけます。長崎地区の修道会の司祭・修道士の集まりがあります。20人ほどが集まるが、楽しみです。彼らは、働く。わたしは、ホーム。皆さんの輪に入って、自分を見直すことになれば、よい。彼らから、笑いをもらって、元気をもらって帰ります。
★また、明日は、朝、早くからホームを出て、長崎市へ。ヨゼフ・クリニックの定期の診察があります。診察が終われば、予定もあるようです。帰りは、遅くなるでしょう。

2020年2月19日水曜日

長崎の雪は、こんなモンかと言う勿れ。それでも我を喜ばせり

夜中、フトンの中が、冷えた。「さむ、さむ、さむい」で、起きた。あたりは、真っ暗。ホームの廊下と、教会だけが、明るい。ミサ、祈りが終わって、自室へ帰る。
★コップに、湯を入れて、「天然はちみつ」のビンから、小サジで、2回、移す。サジで、まぜて、これを飲む。あまーィ、何とも言えぬ流動物が、ノドを、スゥ―ッと通って、気持ちが癒される。「幸せや、なァ」と、いつも感謝する。
★ベッドのまわりをかたずけて、イスにすわり、新聞を見て、テレビを見る。屋外が、やっと明るくなる。カーテンを、パッと、開く。すると、この風景だった。「ああ、雪じゃないか。冷える、はずだ」。ホームの、長崎の、初雪です。庭の芝生に、パラ、パラと、塩をまいた感じだよ。「これが、ユキ、か」
★北海道や、東北の雪に比べて、はずかしい、と言うか、「これが、ユキか」で、嬉しくなる。ホームの町の小学生たちは、雪とは、これしか知らないんだよ。
★今年は、温かい冬だった。昨年は、寒い、寒さを感じる冬だった。背中が、ゾク、ゾクする。案の定、肺炎になり救急車で運ばれた。乗せられる時、「もう、最後や」と思ったよ。幸い、今年は、風邪も、はやったが、自分は、マスクで乗り切った。
★ホームに居ても、今年も、いい事、ありそうです。どんな展開になるか、こころ当たりがある。自分でも、ワク、ワク、するね。
★「負けるな」「逃げるな」「ガンバレ」など、いい言葉が沢山ある。でも繁華街の看板みたようなもので、心の中は、あんまり燃えないです。いかに自分のものとしてキャッチするか、うまくタイミングが合った時に、スンナリ心に入って、実感となる。自分のモノになり、行動を起こした時に成功する。
★昼には、ホームの庭の雪は、全く、消えて、もとの風景に戻っていた。「あわ雪よ、それでも、われを、よろこばせり」

2020年2月18日火曜日

藤下先生が自室に来る。自身の病気と、ウナギの話で、喜々

私立・椿原小・中学校の教頭、藤下先生が、自室に訪問に来た。終戦の年に生まれた。75歳になる。
★藤下先生の、最近の病気の話を聞いた。去年の夏、朝、洗顔するとき、右のアゴ・首の辺りに、ふくらみを感じた。「ヘンや、な」と思って、行き付けの歯医者さんに診てもらっても、分からない。大学病院口腔外科を紹介された。分からない。耳鼻科へ回される。次いで血液内科へ回されて、やっと病気が判明した。「血液のがん」だった。
★「ほって、おいたら、どうなるのですか?」「余命、1年です」。大学病院から諫早総合病院へ紹介されて、今年になって、1か月、入院して、がんの治療を開始した。今も通院して、治療に専念している、という。「それで、いっぺんに、ふけた、んだ」。藤下先生とは久しぶりに会ったが、会って先ず感じたのが、「歳、食った、な」だった。藤下先生は、もう少し落ち着いたら、「うなぎ」食べに行きましょう、とほほ笑む。
★「うなぎ」といえば、つづきがある。藤下先生は毎年、秋に、京都のある大学の学部専攻の同窓会に出席を楽しみにしている。30数人が集まるそうだ。同窓会を世話する幹事の女性と会話するようになり、「うちの学校には、小崎登明という校長がいて、一緒に仕事をした先生がいた」と、小崎の本や、「焼けたロザリオ」のマンガ本など勧めたそうだ。女性からは、入院中に、お見舞いや、慰めのメールをいただいた。その中で、「福田屋のうなぎ」を食べに行きましたね、と言われて、びっくりした。「え?どうして、うなぎ、食べたの知ってるの?」
★その幹事の女性さんは、小崎登明から「日記」を見つけて、そこから「うなぎ」の話を知ったらしい。
★早速、日記を探すと、2017年3月でした。左の記事です。2018年3月も、藤下先生と、うなぎを食べに行っている。そういう次第で、今度は小崎がびっくりしました。
★登明日記は、どこで、誰が、読まれているか、全く知りません。その不思議な展開に、今日の藤下先生の訪問は嬉しい限りでした。

2020年2月17日月曜日

食事に感謝、洗濯にも感謝、人は、愛なくして生きられない

お昼のメニューでした。やきうどん、アサリ貝汁、マンゴープリン、今川焼でした。この辺は、アサリ貝は全滅だそうです。入浴のとき、いつも一緒になる男性から聞きました。有り難いと思って、先ず貝から食べました。汁は飲まない。塩分控えめの気持ちからです。
★次いで、今川焼を食べました。今川焼が出るなんて、めずらしいです。いつだったか、たい焼きが出て、びっくり、よろこばせた。次いで、やきうどんを食べました。三分の一は残しました。黄色い、これ、なんね?ちょうど栄養士さんが近くにいたので聞きました。「マンゴープリン」「へえ、めずらしか、ね」
★自室の棚を整理しました。出来るだけ、モノを減らす方針です。「トン、トン」と、ノックして「ハイ、おじゃまします」と洗濯の職員さんが、朝、出した洗濯物を抱えて入ってこられた。ごらんください。山のような洗濯物です。昨日が日曜日で、休みでした。2日分の肌着とパジャマです。「ありがとう。いつもお世話になります。助かります」。言葉で感謝を述べるばかりです。「ありがとう、と言いましょう。げめんなさい、と言いましょう。それが生活の基本です」
★人間の、老いや、死を、みつめる時間です。人間って、なんだろう?って、考えたこと、ありますか。自分は、生きてきて、なにを経験したか、です。すぐ、パッと浮かぶのが、アウシュビッツのナチ兵の虐殺です。人間は、怖い存在ですね。容赦なく、ガス室へ大量の人が送られ、殺される。そんな「殺し方」が人間に出来るのですか。ナチ兵も、家に帰れば、よきパパだったという。わかりません、人間の本性が理解できない。原爆を造れば、それは、どんな威力があるのか、試してみたくなるのが人間です。
★人間のヤミの部分だけを考えたくない。希望を、喜びを、そうだ、愛を、考えたい。クライ部分、ヤミの部分は、愛の色で、塗りつぶそう。
★人は、愛なくしては、生きられない。しかし一番むずかしいのは、赦せる愛です。

2020年2月16日日曜日

ホームで逝った中村修道士、93歳。コルベ神父のヒゲで愛される

昨日は、フランシスコ中村安五郎修道士の命日でもあった。私がホームに入ってから、4か月後に逝った。93歳でした。出身は、五島の久賀島です。
★彼が聖母の騎士に入ったのは、14歳でした。写真の着物姿が彼です。コルベ神父と2か月ほど一緒に生活した。少年は、コルベ神父から愛された。日本人の少年に期待を持った。彼が活字場で仕事をしていると、コルベ神父が回ってくる。彼を抱きしめて、「ヒゲで、顔を、こすられた」と、コルベ神父の愛情を、彼は自慢のように語っていた。
★安五郎少年が、久賀島を出る時、両親との別れが辛かった、と私に語った。それについて記事を書いた。当時、修道士は故郷に帰れなかった。捨てたのだ。別れたのだ。入会して、親元に面会に帰ったのが、23年ぶりだった。
★「その時、両親は、仕事を休んでいて、今か、今かと待っていた。会えて嬉しかったね。家の庭に大きな椿があってね。幼い時、イタズラすると、この木に縛られた。母は『地獄を思え』と、下で火を燃やした。その木は、なかった。4日、5日は、アッと言う間に過ぎ去る。最後の夜、近所の信徒たちが大勢集まった。何するかと思えば、子供たちが家庭祭壇を美しく飾り、一同、ひざまずいてロザリオを唱えるんですね。やっぱり信徒の島だ、故郷は有り難いと思いました。母は別れの朝、玄関で送って『達者で、な』そう言って『イエズス、マリア、ヨゼフ、さよなら』と付け加えた」
★ホームに入って、6年、お世話になった。この写真が、逝かれる2か月ほど前に、湯江教会で写した中村修道士さんです。最後の写真になった。ホームでは、修道士名の「フランシスコさん」と連呼されて、介護され、ホームの皆さんから親しまれた。
★私が15歳の頃、住んでいた家の環境が良くなかった。ミロハナ神父さんが心配して、フランシスコさんに「家を探してあげなさい」と頼んだ。フランシスコさんが探したのが、浦上天主堂のすぐ下の、洋服・仕立ての店だった。「優しさ」が彼の印象でした。
★フランシスコさんからは、戦争中、食糧難で、浦上や、信徒の多い農村をまわって、食糧集めに苦労した話を聞かされた。
★コルベ神父の出会いから始まって、ホームで最後を迎えるまで、愛と奉仕の精神を貫いた。遺品として、マリア像と、時計を、私が持っている。老いたフランシスコさんには、修道士としての「オーラ」があった。自分も、そのように生きたいと思う。

2020年2月15日土曜日

恩師ミロハナ神父の命日。神への愛は、苦しみのなかにある、信念

ミロハナ神父の命日。コルベ神父に連れられてポーランドから長崎へ宣教に来る。コルベ神父が帰国した後、聖母の騎士を守った。特に、戦争中、憲兵隊や特高警察が来て、「天皇は『現人神(あら・ひと・かみ)だ』と主張する。ミロハナ神父を困らせた。「神さまは唯一の神、有るのみです」と抵抗する。そのため迫害や、脅迫を受けた。
★戦争が終わると、迫害者たちが謝りに来た。みんな、赦してあげた。終戦の冬は厳しかった。原爆孤児、戦争孤児が、聖母の騎士に連れて来られると、戦争中の苦労は忘れて、すぐに男子の子供たちの施設をつくって救助にあたった。以来、ミロハナ神父の心は、弱い人、貧しい人、子供たち、などに向けられ、神の愛を生涯をかけて実践した。
★戦争が終わった数年後、昭和天皇は、全国を行脚され、国民を慰め、励ました。ミロハナ神父が創立した「聖母の騎士園」にも、昭和天皇はお出でになった。ミロハナ神父は喜んで、敬意をもってご案内した。
★トマは、聖母の騎士に入ったが、結核を患い、長年、病気で苦しんだ。助けてくれたのが、ミロハナ神父さんだった。
★その頃の、ミロハナ神父さんとの会話。「どうですか。フラテル(兄弟)トマス」「はい、だんだん死ぬのが近いようです」「そうです、誰でもね、近くなってくるのは確かです」「苦しみばかりで」。ミロハナ神父、ほほえみながら、力強く「それは、いい証拠ですよ」「前は、いくら苦しくても、楽しみも混じっていたようですけど、近ごろは苦しみだけで、やりきれません」「心配しないでください。祈ってください。神さまは、耐えきれない苦しみは与えなさいません。希望をもってください」。神への愛は、神への出会いは、苦しみのなかにある、これがミロハナ神父の教えだった。「あなたが書いた原稿は、初めは苦しみを並べた記事でしたが、後になって、『苦しみを耐え忍びたい』と書いてあった。よい記事でした。これからも原稿を書いてください。ただ、思し召しのままに、ね。人に説教する、これ、ダメですよ」
★ミロハナ神父、80歳で逝って、31年になる。

2020年2月14日金曜日

今は「マスク」の世の中。発言はツツしみ、目はやさしく、ね

おかしな顔だよ。顔の半分は、マスク。こんな格好で、ごめんなさい。
★「ヘンな虫」が入らぬように、自室を出る時には、マスクをしております。テレビでも、新聞でも、報道は「マスク」の話ばかり。「マスクを、しなさい。手を、洗いなさい」。それが今どきの「はやり言葉」です。
★「マスク」をして、ヘンな虫が入らぬか、と言うと、そうでもない。体内にも、ヘンな虫は、おります。自分に、何か、イヤな出来事が起こると、自分は何も悪い事はしていないのに、なぜ、自分だけが苦しむのか、と自分だけに置きかえて、苦しみをキラウんですね。トゲのある発言もする。
★「マスク」をしていても、目だけは、出ている。その目が、隣の人と比べる思いもある。隣の人は、大したことをしていないのに、ラク・チンで、喜び、やたらと元気がある。
★自分は、隣びとより、優れていると思うのに、なぜか、負い目を感じる。負けたくない気持ちも湧いてくる。
★隣の人にも、実は、他人には、わからない悩みや苦しみがあるのです。目で、理解して、あげようじゃないですか。クチには、マスク。トゲのある発言は、ツツしみ、目は温かい眼差し。
★「マスク」「マスク」と、暗い世の中です。上に、チョコんと、出た目で、やさしく見つめようじゃないですか。

2020年2月13日木曜日

先の事は、わからないが、希望をもって生きれば、喜びになる

「絵手紙クラブ」で描いた。
★先生が持参した。「何という花か、分かりません。沖縄の花だそうです」と、先生。
★球根があり、根が幾つも枝分かれしている。茎は、もっと長いのだが、省略して描いた。その先に、薄いオレンジ色の、細く長い花がついている。かわいい花です。浜辺に咲いているような花を連想させる。
★一筆、「何やら、わからん、沖縄の花」と書いた。
★「わからん」といえば、今年は、どうなるのか。先の事は、わからない。平凡に、ホームの暮らしは続くでしょう。波の立たないホームの生活ですが、それでも昨年は本当に恵まれた年でした。そして今年も、何か、良い事が起こりそうな気がします。
★神さまの御計らいに、希望を持ちましょう。動ける体力と気力を維持して置きましょう。老いても、日一日、生きることには意味がある。神さまは、また何かの実りを与えてくださるかも知れない。生きているのが、恵みです。可能性がある。
★歯磨きのチューブを想像します。もう、押し出して、絞り出して、出るものは、無くなっている感じなのに、まだ有るのでしょうか。生きていることが、恵みですね。今年も、少し、ぼんやりと、希望が持てる、明るい年になりそうな気がします。

2020年2月12日水曜日

争いは、好まない。「どけッ」と言われれば、ハイ、そうします

食堂の手前に、長がーィ、ソファーが並んでいる。
★三度の食事の前になると、30分ほど前から、中央あたりに3人が座り始める。20分前になると、その左側に、2,3人、右側にも、2人が、詰めて座る。私は、その2人の間に座っている。
★同じ顔ぶれで、長がーィ日々を、同じ場所で過ごして居れば、人間って、ふしぎなもので、座る場所が、ほとんど決まってくる。だから席の座り方は、気になる。実際は、どこでも自由に座っていいのだが、自然と席が決まり、普通、座り慣れた場所に、他の人が座っていると、「イヤだ、な。困っる、な。別の席には行きたくない」と、こうなる。気持ちも良くない。今では、大抵は、遅れて来ても、暗黙のうちに、その席は、空席になっている。
★ある日、私が早めに座って、横の席を空けていた。いつも座る女性が押し車を押しながら、席を見るや、「どけッ」と一喝した。びっくりする。「ナンじゃ、座れるじゃん」と正直、思ったよ。でも争いは好まない。ちょっと、横にずらすと、「どかッ」と、座った。「こういう事も、あるモンだな」。女性には、アタマが、上がらんよ。
★その時は、食事の呼び込みまで、数分の時があった。瞬時、アタマに浮かんだのが、アシジの聖フランシスコと兄弟たちの事だった。兄弟たちが、ある家に場所を取っていた。そこへ、ある別の集団が来て、「その場所から、出て、行け」と迫った。フランシスコと兄弟たちは、何も言わず、争いを好まず、その場を立ち去った。
★ホームでも、争いが無く、平和に暮らすには、「どけッ」と言われれば、「どき、ましょう」。エレベーター利用の時も、「まてッ」と言われれば、辛抱して、待ちましょう。一歩、引くのは、大した事じゃないですよ。こころ安らかに暮らすのが、先決、幸せでしょう。

2020年2月11日火曜日

フランスのルルド町に、無原罪の聖母マリアさまがご出現の日

「ルルドの聖母」の日。フランスのルルド町。今から162年前に、「無原罪の聖母マリア」が、少女ベルナデッタに、18回にわたって、ご出現になった。教会から正式に認められる。毎日、マッサビエールの洞窟まえに、大勢の巡礼者が祈りを捧げる。私も何度かここを訪れ、祈った。癒しの風が吹いている。写真は、ルルド巡礼専門ガイドの昌子さんが送ってくれた。夜になると、ロウソク行列が行なわれる。各国語で、聖母賛歌を歌う。「アヴェ、アヴェ、マリア」の所だけは一緒になる。ルルドのホテルのエレベーターは、19世紀の年代物だった。
★今朝のミサは、大野幹夫神父さんが司式した。大野神父さんの誕生日でもあり、司祭叙階の日でもあった。
★大野神父さんは、ミサの始めに、こう告げた。「ルルドの聖母」の日は、ヨハネ・パウロニ世教皇さまが、病者の日と定められた。今、世界中に流行っている新型コロナ・ウイルス肺炎が治まるよう祈りましょう」
★次いで、ミサの中で、福音後に、一言述べられた。「日本とルルドは関係がある。日本開国の前、フォルカード司教さまは、日本まで来たが、入国できなかった。その司教さまが、ルルドで、ご出現を受けたベルナデッタに、シスターになるよう勧めたのです」
★今日は、午前中から、10人あまりが、小長井町の養護施設・教会にあるルルドへ参詣に出かけて祈った。
★3年前、故人となった浜口宏衛修道士が森林を切り開き、小長井特産の石をブルトーザで積み上げて、造った。清い水も流れる。静かなたたずまいを見せている。祈り、黙想には、絶好の場所になっている。
★聖女ベルナデッタにご出現になられた無原罪の聖母マリアさまは、「償い」「回心」「祈り」「この場所に聖堂を建てること」「行列を行なうこと」などを求められたという。ホームに居れば、情報は、新聞やテレビからしか入って来ないが、毎度、胸を痛める事故、事件が起こっている。明るい未来を祈りたい。ルルドの聖母の優しさを感じて、呼吸する毎日です。

2020年2月10日月曜日

「雲仙の間」とか「サクラの間」とか、温かい日差しが明るいよ

2か月に1度の理髪屋さん夫妻がくる。散髪は楽しみにしている。老人になると、まゆげ、みみ、アゴの下に、毛が出て来る。毎度ながら、理髪は、クジ引きだ。
★昨日の夕食に、職員が、白い紙を持ってまわる。希望者は、名前を書く。だいたい、10人から15人ほどが居る。
★今朝の朝食の時、番号札を渡される。「最後だよ、8番です」「今日は、少ないね」。先に入浴した。
★散髪は、「雲仙の間」で行なわれる。理髪台も、整っている。明るい日差しが入る。戸を開けると、テラスがあり、雲仙岳と有明海が望遠できる。
★夫妻が来たのが、9時で、私が、理髪台に座ったのが、11時半は過ぎていた。「短めに、切ってください」。気持ちよく、眠っていた。なにも、心配事は、ない。流れに乗って、流れて行く「ささ舟」の心境。いつも、それを思い出す。
★2つの現実が、ある。1つは、ホームで生活していること。介護していただく職員から、好かれる人間になろう、と考える。楽しく過ごしていきたい。もう1つは、修道士の身分である。これは最後まで、残る。信仰の在り方、生き方が、問われている。
★もう、間もなく、92だよ。理髪が終わったのが、12時半だった。「昼食は、2階の『サクラの間』で準備しているから、食べてくださいね」。職員から言われた。明るい広間の空間だった。窓の外には、大樹のサクラの木が何本も茂る。3月の誕生会の後、あのサクラは咲き誇るだろう。「生きる、喜びが、ある」

2020年2月9日日曜日

1度だけ会った黄さん「トマさん、とらやのヨウカン好きなのね」

昨年の1月、埼玉県の黄さんから、お菓子が送られてきた。「日記を読んで、感激しました。瀧神父さんにも、食べさせてあげてください」とメモがあった。
★2月になったら、黄さんから「とらや」のヨウカンが送られてきた。3月に、本人がホームに訪ねてきた。その時の写真です。
★その時の彼女の言葉を覚えている。「トマさんの所に、訪問する人、来ますね。台湾の人も来る。わたし、中国人です。埼玉県に住んでいる。赤羽教会へ行きます。ペトロ神父さん、仲良しです」。沢山のお菓子を持って来た。
★4月に、「トマさん、とらやのヨウカン、好きですね。送ります」と宅急便が届いた。しばらく音信がなかったが、12月に、今度は「鳩サブレ」が届いた。
★今年の1月、とらやのヨウカンが届いた。こんなに度々送ってくれて、ありがとう。
★2月になって、昨日、大きな箱の宅急便が届いた。「とらやのヨウカンは、トマさんの誕生日のお祝いです。鳩サブレは瀧神父さんへ渡してください。ノド飴は、瀧神父さんと、トマさんで分け合ってください」。沢山の「ノド飴」が入っていた。早速、瀧神父さんの部屋へ持参した。
★瀧神父さん、うれしそう。黄さんが贈ってくれたのか。ありがとう。よろこんでいる。黄さんの温かい気持ちが伝わる。トマには、ヨウカン。瀧神父さんには鳩サブレ。ノド飴は、半分に分ける。
★黄さんのメモが入っていた。「神さまの恵みは、いつも、あなたの近くで、微笑んでいます」。この一言が、キューっと胸にした。
★黄さんのメモから「受ける恵み、与える愛」と一筆書いた。
★中国から日本に住んで、沢山の苦労もあるだろう。詳しい事は聞かないが、黄さんを感じると、明るさと、積極的で、周囲を温かくして、信仰のなかで暮らしているのが分かる。1度しか、会っていないが、黄さんの大陸的な大らかな気持ちが伝わるのを、贈り物から感じた。
★ホームに居ても、こんな出会いも、あるのです。

2020年2月8日土曜日

奄美大島から、長崎では珍しい「たんかん」が届いた。心は通う

午前10時頃、事務室の職員さんが、大きな箱(宅急便)を抱えて、自室に来た。「え?なんだろう」
★鹿児島県・奄美大島の「たんかん」でした。「え?どなたが、送ってくださったのだろう」
★「くみ子」さんが、送り主。知らない女性でした。箱を開けて、びっくり。ツブの揃った、すばらしい「たんかん」でした。長崎では、めずらしい。1つ食べてみた。みずみずしくて、おいしい。早速、お礼の電話をかける。
★「くみ子」さんが出た。トマとのご縁を聞いてみる。お会いしたことはない。数年前に、パソコンを操作していると、登明日記に行き当たった。それから日記の愛読者になる。
★毎日、読んでいます。「トマさんのことば」「写真集」を送っていただきました。そのお礼です。
★トマさんに出会ったことはありません。それでも、こうして送ってくださる。ありがたいことです。
★長崎に来たことは、ありますか?1度だけ、あります。ヨハネ・パウロニ世教皇さまが、長崎に来られた時です。
★長崎は、遠くても、日記を読むことで、こうして心を寄せてくださる。ホームに居て、これと言った仕事はしないが、楽しみで書く日記が、どこかで、誰かに読まれて、何かのお役に立っている。それを思うと、しっかり「生きなければ」と思い直します。直接の出会いはなくても、大きなチカラに「つながり」支えられているのを感じます。人生における心の交流、ご縁って、ふしぎですね。
★電話の最後に、「くみ子」さんは言った。「電話のお声、お元気ですね」。トマにとっては、うれしいお言葉です。

2020年2月7日金曜日

風邪が、流行。老人の肌は、寒暖の差を、びんかんに感じます

きれいな「うめぼし」。塩気が無い、梅干し。茨城の「まゆみ」さんから送られてくる。ありがとう。
★「まゆみ」さんとは、長いご縁。これまでも何度も「塩零梅」が送られてきた。手持ちが無くなったので、当方からお願いした。時々、この梅を食べるのが、楽しみ。紀州の南高梅で、りんご酢と、はちみつで、丹念に漬け込んでいる。安心して、食べられる。塩分、控えめ、ありがたい。
★絵手紙クラブがあった。先生が持参されたのは「キンカン」でした。自分なりに、気楽に描く。上手、ヘタは、論外。6、7人が集まった。毎度、重ねて、良い絵を「町の文化祭」に飾る。絵と、書道は、参加している。他に、生け花、手芸、カラオケがあるが、こちらは気が進まない。
★この「キンカン」に、短い言葉を入れる。これが、考えもの。ちょっと、アタマを、ひねる。
★昨夜は、寒さが、厳しかった。ホームで、風邪が、はやっている。老人の肌は、寒暖の差が、えいきょうを受けやすい。いまのところ、まだ、大丈夫のようです。

2020年2月6日木曜日

ホームの食事に出ない「料理」を食べたくなる時もあります

湯江教会の祭壇の生け花です。
★昨夕は、教会に、修道院の4人、ホームの3人が集まり、いっしょに「教会の祈り」を唱えました。 最後に「サルべ・レジナ」を歌った。修道者が、大きな声で、ラテン語で、聖母賛美の歌をうたう。こころが、燃え上がるようで、いいですね。この後、7人は、ワゴン車で、町へ出かけた。日本26聖人の、トマのお祝いなので、食事をするというのです。
★トマにとって、ホームの生活は、6年目。ホームでは、栄養士さんの定食をいただいている。ありがたいことです。しかしホームでは、出ない料理もある。そういう料理をいただくのも有り難いことです。しかも修道者たちだけでの会食です。ゆっくりと食事が出来て、会話し、こころは、なごみます。大切にしてもらって、うれしいでした。
★やっぱり、長生きしておれば、いいことも有るんですね。今は、一日、一日、大切に生きることだけ考えています。生かされているのも、意味がある。生きているだけで、賛美になる。ホームで逝った先輩が言っていた。「賛美」と「感謝」。本当に、そう思います。あの先輩も、九十何歳まで、生き抜いた。手本だね。
★今日は、夕べの会食のことも忘れて、普通に、呼吸しております。

2020年2月5日水曜日

日本26聖人殉教者の祝日。トマの修道士名のお祝い日。嬉しい日

日本26聖人殉教者の祝日。日本での初めての殉教者。長崎の西坂の丘で殉教する。日本人20人、外国人宣教師6人。トマは、この内の1人、15歳の少年、聖トマス小崎の修道士名をいただいた。
★絵は、中田秀和先生。説明に、次の如き文。「聖小崎トマ少年は、伊勢の人。父と共に殉教す。長崎へ廻送の途中、寒い夜の旅舎から、母への最期の便りを認む。『さらば母上、天国にて』」
★トマは、修道士になったとき、この聖なる少年の名前を受けた。トマは、この名前を喜び、聖なる少年に倣って、修道士の道を歩こうと、祈り求めた。中田秀和先生は、よく知っている。自宅にもお世話になって、信仰の話も聞いた。長崎・聖母の騎士には、中田先生が描いた「聖コルベ・全身の絵」や、ロザリオの玄義のレリーフ5基がある。
★また、この絵は、長谷川路可先生(1897-1967)が、イタリアの港町チビタベッキアのフランシスコ修道院・教会の壁に、フレスコ画として描いた、日本26聖人の部分絵です。トマも、チビタベッキアの教会を、2度参詣して絵を拝見した。イタリアでも、古くから日本26聖人が信心されているのは嬉しい気持ちです。
★日本26聖人たちは、強烈な信仰を私たちに模範として示してくださる。迫害の苦難や、誘惑にも負けず、ひたすらキリストへの愛と、天国・パライゾへの永遠の命を求めて人生をつらぬいた。今は、全く自由に信仰が出来る世の中なのに、何んと我が心は、なまぬるいことであろうか。彼らの、その熱烈な信仰と、誘惑に負けない勇気を与えてください、燃え上がらせてください、と祈るばかりです。
★長谷川路可先生のフレスコ画の大作は、長崎市の日本26聖人資料館内の大きなフレスコ壁画「日本26聖人の殉教への道」としても残されている。貴重な遺産です。