2020年10月31日土曜日

行きは、不安。帰りは、安ど。手首は、大丈夫、良くなる。ススメ前に

お医者さんから呼ばれた診察の日。
高原修道士さんは、別件で、不在。
ホームの事務長さんが、運転。
明るい顔で迎えてくれたお医者さん。
「いつも、お世話になって、います」
ご子息の医師(国立病院)も同時診療。
手首を、診てくださった。
「この分だと、良くなります」
手術の必要は、ない。安心する。
『こころを さわがせるな』
帰りの車中、安心の気持ちで感じた。
10月も、終わる。
★沢山の人に、支えられ、助けられ、励まされて、生きている。お導きに感謝。 

2020年10月30日金曜日

MRIの結果、「あした、来なさい」とお医者さん。老いても苦しみ続く

「こころを、騒がせるな」
朝の祈りのなかで、聞こえる声。
それでも、やっぱり、気になる。
右、手首の、ふくらみ。9/25。
やがて、やぶれて、キズが出来た。
出血が、なかなか、とまらない。
バンソウコウに、血が、にじむ。
入浴が、できない。あせり、あり。
町の病院に診せたが、手当なし。
日にちだけが、過ぎた。
ガマンの、苦しい日々。
キレイに、なったが、キズ残る。
ここから、血が出て、止まらない。
なんとか、してくれ、あせる日々。
中は、どうなって、いるのか。
手も、我が身の、一部。
92年も、使った、手。
アタマも、足も、どこも同じ。
小さなキズでも、心は痛む。
10/19、この日にち。
このままで、いいのか。不安、あり。
祈りの日々は、つづいた。
10/26のキズ。
長崎市のクリニックへ。
「なぜ、早く、来ない」と先生。
エコーを撮る。(日記に載せた)
先生、他の病院へ電話。
放射線科へ、MRIを依頼する。
「木曜日、午後に、わかります」
昨日が、その「木曜日」
当方から、クリニックへ電話。
「土曜日に、来なさい」と先生。
あしたが、土曜日です。
明日、朝から、長崎市へ出かけます。
どうなるでしょうか。老いて、身体に、異常が出ると、どうしても、気になります。安らかに、老いることは出来ないのでしょうか。試練は、いつまで続くのでしょうか。 

2020年10月29日木曜日

シッポも、ひとやく、あるんだな。生きるって、幸せだね

 「しっぽ も ひと役」

永井隆記念館で見た、永井先生の絵です。

小さな、くるっと、まいたシッポ。

やはり、役目が、あるんでしょう。

自分は、小さな存在だが、

生きる、何かの、役目がある。

人に、見られなくても、喝さい、ハクシュを

受けなくても、与えられたイノチがある。

感じるだけでも、幸せです。

2020年10月28日水曜日

永井隆博士の「如己堂」を訪ねる。特別展「長崎の鐘」。懐かしい思い

新聞で、「永井記念館で『長崎の鐘』展を開催」と読んでいた。
昨日、放射線科の予約診療まで、余裕の時間があった。展示を見るべく、「如己堂」へ向かう。被爆医師・永井隆博士の小さな住居。小学生の一団が、大勢、見学に来ていた。彼らが抜けた瞬間に、如己堂を撮る。
記念館の中にも、小学生たちで、あふれていた。「どこから?」「私は92になるが、永井先生から理科を習ったのだよ」など、今の世、声はかけられない。
★新聞によると、「長崎の鐘」は、NHKの連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルとなった作曲家・古関裕而氏によって歌謡曲になり、映画化された。「全国民が泣く愛と涙の大メロドラマ」との回想が、よみがえってくる。
「長崎の鐘」は、長崎人が、好んで歌う曲だ。この古い1枚の広告が、なぜか我が胸をふるわせる。時代が変わって、この小学生たちは、永井博士の展示から何を受け取るだろうかと想像した。
★「オーォ、レコードじゃないか」。昭和一桁生まれの脳裏からは、懐かしさと、軍靴の音も聞こえて来る。スマホ時代の小学生たちは、これを何と、見る。興味がある。
「『長崎の鐘』を聞く永井父子」と説明の字。「かやの」さん、「誠一(まこと)」さんのも出会って、話を聞いた事がある。
この永井先生の家の場所から、崩壊した浦上天主堂を毎晩、眺めて、泣いた日々もある。
永井先生が描いた、「横長の、墨絵の、廃墟の天主堂の絵がないが、どこ?」と受付に聞くと、「2階の、図書室にあります」と答えた。
★召されて 妻は 天国へ
別れて ひとり 旅立ちぬ
かたみに 残る ロザリオの
クサリに 白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ、長崎の鐘が なる
ーーー
見ていると、悲しくなるよ。
2度と、戦争は、有っては、ならぬ。
2度と、核兵器、使っては、ならぬ。
老いたる我は、ただ、祈るのみ。

2020年10月27日火曜日

右の手首のキズが癒えない。長崎へ出て、診察。ホームに戻る、いま

 右の手首のキズが、癒えない。血も、出る。「そのまま、様子を見よう」の意見もあるが、どうしても気になる。
今朝、高原修道士さんに頼んで、朝の9時に、ホームを出発。長崎へ向かう。ヨゼフ・クリニックで診察を受ける。「もっと、早く来れば、よかった」と高木先生。テレビも見たよ、と喜んでくれた。
エコーで調べる。先生が、予約の電話をかける。他の病院を紹介されて、午後2時30分の予約がとれた。
放射線科で、MRIを受けた。木曜日に結果が分かると告げられる。ホームに帰ったのは、夕方、5時。夕食に、間に合った。今日は、ホントに疲れました。

2020年10月26日月曜日

ホンモノの「ざくろ」と、絵の作品。人は、それぞれ、個性に、生きる

絵手紙教室で描いた「ざくろ」です。
添える言葉に、アタマ、ひねる。
思いついたのが、この文言。
「はじけて、光る、朱の宝」
割れた、なかに、朱色、金色のツブが、光っている。 なにやら尊い気持ちになるね。先生が、町の文化祭に、出展する、という人、それぞれに、個性がある。ジョウズも、ヘタも、周りには、ない。気楽な場所が、住みやすい。
★これが、ホンモノの、ザクロです。
ドカンと見ると、やはり難しいよ。
でも、描くの楽しみだね。
ザクロの思い出、あるかな。
少年の頃、無いね。
軍国主義に、食糧難。
山で、育った、日々も、なし。
いま、こうして見ると、人間は、腹グロだが、自然の実は、美しい。
1つの、稔りも、安ど感を与える。
生きる事は、素晴らしいよ、ね。

2020年10月25日日曜日

テレビを見て、感動したと4人の女性たち。よくぞ訪問。こころも和む

前ぶれもなく、午後、「テレビ、感動しました」と、4人の女性が訪ねてきた。
この中の1人、ご主人を亡くして、自分も病気になる。「元気になったら、どこかへ行こうか。ちょうど、テレビを見た。この中の、この人と2人で、ルルドへ。 癒される、いい所でした。登るの、大変だったのに、小崎さん、登ったんですね」
「母親との別れ。行って、くるけんね。眼差し。あれが印象的」も追加。
「やっぱり、赦し、ね。果たして、赦せるか」。厳しい課題を、投げかける人も居る。4人は、諫早教会の信徒。
★「テレビの最後が、よかった」と4人とも、うなずく。「叩いた先輩、赦せるか。大丈夫か、と声をかけるが、手を伸ばして助けるか、わからない。あの言葉が、よかった」。人間の弱さだね。だけど、コルベ神父さまを知った以上は、そう成りたいとは思うね。
★中学校の生徒たちの聞く姿がよかった。みな熱心な目をしていた。真剣に聞いていた。
★女性から、トマへの質問もあった。「病気を、されましたね。どのように乗り越えられたのですか」。そう、ね。いろいろ有ったよ。でも助けられて、今が、ある。病気に耐えた苦しみ、ふしぎを語った。
「資料も、沢山、集められましたよね」。それに就いても、こつ、こつと、聞き取りを始めた事など説明した。
ちょうど1時間。女性たちとは打ち解けて、いい雰囲気で、記念の写真を撮った。
おみやげに、長崎のカステラ、9個も頂いた。ホームの入居者、職員、全員に分けて食べました。
テレビのお陰で、訪ねてくれる女性、お母さんたち、「小崎さんの本も、読んでいますよ」との声もあって、トマは喜びの気持ちになった。
★女性たちが帰った後、もう1組、電話で予定していたお客さんと、同じ面会室で、その流れで、出会った。訪ねてくれる人が居るのは、有り難い。まあ、応対しても、自分が持っている内容には、限りがある。それは、よく分かっています。
★「心に、ひびく言葉、手アカの、ついていない言葉、魂を、ふるわせるほどの、1句が、ホシイ。人としての、救い」

2020年10月24日土曜日

出会いが、イノチを、つなぐ。ホームに入って、まる6年。めぐみは沢山

ホームに入居した記念日です。まる6年が過ぎた。これから7年目に入る。
入居した日のことは、忘れない。
長崎から、ホームの赤いバスで、高原修道士さんが運転して、農村に入ると、コスモスが畑に一斉に咲いて、夕方だった。
そのコスモスが暮れ行く夕陽になびいて、「生きろ」「生きろ」と叫んでいた。光を求めるコスモスさん達。
あの光景を、今も、しっかり覚えている。ホームに着いた時、ちょうど夕食だった。「あいさつから、はじめよう」
夕食が終わったのが、5時半過ぎ。それぞれ自室へ戻る。その時の挨拶が「おやすみなさい」。(え? なに? そんなに早く言うの?)。ホームの始まりのオドロキだった。
入所時の気持ち。「語れば、複雑です。気持ちも、自分でない気がします。声も出ない。体力が落ちたのは、ほんとうです。ぼち、ぼち、理解してもらえたら、嬉しいです」
孤独、寂しさ、やる気がない。時間の持て余し。どう生きれば、いいのか、の不安。
★当時の主任神父さん(今は転任)が、トマに言った。「この世に生まれて、ポキッと折れた。折れた人生も、神さまがご存じ下さる。人間は、小さな存在だ。少しばかり、分かった。父、兄弟、居ない。母、原爆という底辺で、何かのキズが襲ったのかも、知れない。ここへ来られるのも、神の導きにゆだねたい」
★「出会いが、イノチを、つなぐ」。これですね。これが実感となり、救いになった。6年を振り返って、ホームに暮らしても、いい事が、沢山あった。本当ですよ。だから、カラダは老いても、こころはシャンとしております。人格だけは、崩(くず)さずに、いたい。
★「受ける恵み、与える愛」。これも、ありました。実感として、身に沁みついています。ホームの人たちに、日記を通しての人たちに、支えられ、助けられて、生きてきた。入居の日には、想像もしなかった出来事です。過ぎた1年、1年が、思いもかけぬ「受ける恵み」の多さでした。周囲に、隠れた場所に、「与える愛」の人が居るんですね。
★そこで、「生かされて、今日も、祈る」と、なります。6年の歳月に、ジンクーエン。

2020年10月23日金曜日

道は違っても、ふしぎな「はからい」。1枚のパンは沢山の心の喜びに

「うれしかった、です。ホントに、嬉しいでした」
『こころの時代』で、多くの声、電話、お手紙を頂きました。有り難いです。
その中で、トマが最も嬉しかったのは、同じ修道会の1人の神父さんからの励ましの手紙でした。長い文の行間に、神父さんの篤い思いが感じられた。
同じ仲間(兄弟)の、身近な神父さんの便りは、本当に喜びでした。
「若い日に、司祭になることを希望していたトマさんの願いは、願った通りではなかったにしても、しっかりマリアさまがと取り次ぎ下さり、神さまが聞き入れてくださったものと考えるべきです」「神さまの不思議なおはからいを感じることができます」(写真は、ホーム・湯江教会の祭壇の生け花。ステントグラス)
そして次の言葉もあった。「他人の幸せを祈る祈りより美しい祈りはない」
★同じ修道会で、もう1人の神父さんからは、「私が出会ったポーランド人の兄弟たちの横顔」と題する24頁の回想禄が送られてきた。『こころの時代』を見て、触発されて、自分が関わったポーランド人修道者たちを改めて思い、ご自分なりに、まとめられたのでしょう。
17人の修道者の思い出が記されている。中でも、ゼノ修道士の項目には8頁に及んだ。
★ゼノさんの言葉。「誰でも、自分を本当に信じてくれる人が、世界に1人は必要です」
(ゼノ、日本語ヘタ、でもダイジョウブ)「お母さん、赤ちゃんの言葉、わかるよ。聴く心があるから。どんなに、きれいな言葉、話しても、聴く心なければ、わからない。エライ人、話しても同じこと」
「災害時に困っている人、ゼノに、マッチ1本、ローソク1本ある。自分が持っている物、すぐ届ける。大きな団体、必要な物を備えて行く。ゼノ、いま自分に出きること、している」
「ゼノの昼の弁当、パン1枚ね。子供たちの所、持って行く。これ少しづつ分ける、タクサン、なります。皆、少しづつ食べて、心イッパイ、なります。これイッショ、居ること、いいです」
★同じ修道会の2人の神父さんから、ホームのトマに届いた便りや、思い出集から、目に見えないところで、1枚のパンは、増えているんだな、と思いました。
★今日は、午後から、『こころの時代』を見ました、という来客があります。

2020年10月22日木曜日

貴重な1枚。パパさまの手の温もり。アタマも良くなりなさい。幸せ謁見

今日は、教会では「聖ヨハネ・パウロ二世教皇」の記念日を祈りました。
ヨハネ・パウロ二世教皇さまと言えば、トマにとっては、この写真でしょう。
日記には、何回も載せていますが、教皇さまの日には、この写真を載せたいです。
パパさまから、アタマを触られて、手の温もりが、記憶の中に、浸み込む。パパさまの優しい「ほほえみ」、いいですね。
ヴァチカン宮殿の特別の部屋でした。
その頃のトマ、若かったね。指と、指が触れ合っている。本当に、幸せなひと時でした。ポーランドでは、パパさまの生家も訪ねた。
★パパさまは、コルベ神父を特に敬愛しておられた。当時、コルベ師は「福者」でした。長崎へ来られた時、聖母の騎士に行くのも願いでした。
組まれた予定は30分。だが、ポーランド人修道者たちと親睦を図るなど、1時間を過ぎた。大きな喜びがあった。
★トマが描いたコルベ神父のパネルをご覧になるパパさまです。
長崎ご訪問の翌年、パパさまによって、コルベ神父は「聖人」に挙げられた。
パパさまの中では、最も親身を覚える教皇さまです。
★ホームでは、3度の食卓の、席の入れ替えがあった。クジの番号で、席が決まる。瀧神父さん、大野神父さん、トマの席も、離ればなれになった。今までは3人が一緒の席で、修道会の話題など語り合っていたが、出来なくなる。離れても、また、その場で良い事もあるでしょう。
★「祈りと、愛と、清い心。それを望みたいです」
★午後から、ホームで、眼科の女医さんの診察があった。暗闇の医務室で、眼底を診ながら「登明さん、登明さん」と呼び掛けるので(え?なぜ、知っているの)。「『こころの時代』、見ましたよ」「最初から見ました?」「ええ、ポーランドまで行かれたんですね。高来中で、語りべもされて」。こんな所にも、反応があった。うれしい。

2020年10月21日水曜日

『こころの時代』に感動した男性の訪問。もう1度聞かせて。ホンネを

10月上旬、『こころの時代』(長崎地方)の放送があった。その影響に、おどろきました。すぐ電話がかかってきました。「雲仙のビードロ美術館の館長です」と男性の声。「修道士さんが、ホンネで、人間を語る。感激しましてね。これなら、付いていける。面会に来ても、いいですか」。約束の昨日、現れたのが、写真の男性でした。
大型カメラに、録音機に、ビデオまで、機材を揃えての訪問。「ぜひ、ナマのお声を聞かせてください」
★長崎県の島原出身で、74歳になる。大学・教育学部を出て、小学校の教師、校長、教育委員会などの経歴がある。貫ろくが、ありますよ。「7時のニュースを見て、次は『こころの時代』でしょ。5分程見て、これは、いいな、と録画しました。ホンネで話されるのが、気に入りました。ぜひ、もう1度、話を聞かせてください。有家の史談会もやっています」。会誌も渡した。
★情熱的な男性に、感心する。テレビでは、「助けない」「助けていたけど、困難が来れば、逃げる」「赦さない」を語ったが、テレビには出ていない部分もある。ケガをした女子学生を、タンカに乗せたが、爆音が聞こえて、置き去りにして逃げた。「10年後、その女学生に出会った。助かった経緯」の後日談を熱っぽく語った。
★雲仙温泉の白い噴煙が噴き出る近くに、ビードロ美術館があり、館長を勤めている。古・ガラス工芸品、日本ばかりでなく、世界の美術品を300点ほど展示している。度々、見学もした。
★彼のおみやげは、大きなリンゴ、2段重ねだった。「小学校で教えていた時、何を目標に示していたのか」と、トマが質問。彼は「勤労、勉学、大志」と答えた。勤労は、働いての自立。勉学は、知識を知性に転換し、自分が、どう生きるか。大志は、アンビシャスですよね」
★この男性のような訪問者が来ると、こちらも元気をもらう。ありがたいと感謝する。トマも、今から50年程まえ、「原城330年祭」があり、ミサと講演が行なわれた際、祭りに参加して、口之津から、有家付近を訪ねた。記事も残っている。コピーして、彼に渡した。「今日は、語りべに聞く小学生になりましたよ」と喜び、聞いた事を記事にまとめて、送るという。どんな記事にまとまるのか、楽しみにしている。
★やっぱり、思うね。「人間って、何んだ。人間の本性って、何んだ。助けない、困難が来れば逃げる。赦さない。いかにすれば、乗り越えられるのか」

2020年10月20日火曜日

人を助ける。手の温もりを差し伸べる。その「こころ」尊い。ご縁は続く

5日前だった。右手首に、小さなキズが出来て、血が止まらない。病院へ行ったことを日記に書いた。
すると、その日のコメントに、「サバ・マスク」さんから、「傷口を早く治す絆創膏を送ります。園のスタッフさんに相談して、お使いください。早く良くなりますように」とあった。
「サバ・マスク」さんと言えば、鯖缶さんの事だと、すぐに分かった。今日、絆創膏と、マスク50枚入りが3箱届きました。
★2年前だった。突然、彼は、ホームに訪ねて来た。普通ならば、ゆっくり話すじゃないですか。玄関で、立ち話。「2年前に、小崎さんの日記を見つけて、毎日、読んでいます。今日はお会い出来て、嬉しいです。おみやげが、ないので、近くの花屋さんで花を買いました。お元気で、居て下さい。レンターカーで、空港から来ました。車をすぐ返します」。シクラーメンの赤い花の鉢を渡して、すぐに帰られた。
★昨年の11月、東京で「ポーランド・フェスティバル」が行なわれて、長崎から「ポーランド人修道者たち」の写真展を開いた。その時、彼も見学に来られた。住所と、お名前が分かったのです。おみやげもあった。
★今年になって、ちょうど、ステント入れ替えの入院のときでした。無塩の鯖の缶詰が大量に届いた。そこから「鯖缶さん」となる。コロナが感染拡大し、毎日、マスクが必要になると、鯖缶さんから、50枚入りの不織布マスクが3箱届いた。これで大いに助られました。
★今度の「サバ・マスク」さんのコメントです。絆創膏と、マスクが3箱、また届きました。日記を通して知り合った「サバ・マスク」さん。住所と名前を知るだけで、何も分かりません。分からないけど、4年越しにご縁がつながっている。「受ける恵み、与える愛」それを感じます。人の「こころ」をつなぐ「基本」は、何でしょうね。「ああ、困った人が居る。じゃ、手を差し伸べよう」。言うは簡単だが、実行は、何かが、要るんですね。ホームに居れば、歳も90過ぎれば、動かぬカラダ、こころに、温かい手の優しさを、強く感じる次第です。「サバ・マスク」さん、ありがとう。ちょうど前のマスク、品切れになったところでした。

2020年10月19日月曜日

訪ねて来た3人のシスター。トマの話を聞いてくれる。優しさ、ほほ笑み

3人のシスターが、トマを励まし、見舞いに訪れた。車で、40分程の都市から。教会の隣の修道院で、シスターたちは、9人の共同体で宣教している。それを聞いて、和やかな食事や、静かな祈り、休憩時間の談笑など、明るさがトマには想像された。
1人のシスターは、騎士誌や「グラフ」誌で、トマの記事を愛読したと言う。聞けば、嬉しい。60年前、まだシスターの道を進む前に出会った人もいる。左側の2人は、2度目の訪問だった。

★語るのは、トマだけだよ。老いて、信心者になるかと思えば、そうじゃない。老いると、自然体に帰るというか、自分のカラダも含めて、自然の出来事に抱擁されて行くのを感じる。老人のための「霊的生活」の指導が必要だね。我が侭も、出るし、ね。
★ホームに入った頃は、まだ自由に歩けた。庭も散歩していた。入った頃は、2つの悩みがあったね。1つは「孤独」。仕事から離れて、ホームという囲いの中での寂しさ。時間を持て余し、何をしていいのか分からない。もどかしさ、があった。
★もう1つは、これまで男子の修道院で生活してきて、男子だけの共同体だった。だから、今、皆さんたちの談笑や、祈る共同体がうらやましい。ホームでは男性も女性も、皆一緒の食卓。最初は、なじめなかったね。
★ホームで生活しても、根っからの「自分は、修道士である身分だけは、忘れるな」。祈りも、そうだが、恵みも、ある。導きは、感じるね。歳老いて、人格が変わる人を見て来た。そうは、ありたくない。そこで、パソコンを使って、毎日、日記を書くのを課題にしている。反応も、あるからね。
★6年が経って、ホーム生活も慣れてきた。抵抗がなくなった。人は、カンレイに、なれてくる。じゅうなん性がある。それで、やっていける。介護を受けて、有り難い。
★1時間ほど、トマの話を聞いて、シスターたちは微笑みながら、優しさを残して、「また、来ますからね」

2020年10月18日日曜日

ホームでの生活、4年。西山達也神父さまの司祭叙階60年のお祝い

ホームに於いて、今日の、西山達也神父さま。
司祭に叙階されて、60年。ダイヤモンドのお祝いがありました。西山神父さまの修道名は「フィデリス」。ホームに入居されて、4年になります。西山達也神父さまといえば、有名なのが、ローマに長く滞在して、ヴァチカンのヨハネ・パウロ二世教皇さまが訪日されるとき、教皇さまに、日本語を教えて、日本・東京・広島・長崎に同行して、お傍で、お世話をした神父さまです。
ローマ滞在は、15年に及びます。修道会の本部に在住し、ローマ・ヴァチカンへの巡礼者たちの案内、お世話をしていました。トマも度々お世話になった。
1934年・昭和9年1月生まれで、86歳です。
★今日は、日曜日。西山神父さまは、ミサに祈り、その後で、皆さんからお祝いを受けました。花束をもらって喜ぶ神父さま。この後も、まだ2つの花束もあった。右側の司祭服は、主任司祭・山下公輝神父さま。左側は、院長の濱田盛雄神父さま。
西山達也神父さまは、60年の司祭生活で、東京・瀬戸・湯布院・長崎・奄美大島などで宣教されました。
いまは、静かなホームの生活を送っておられます。
★皆さんから、祈りと、励まし、お祝いをいただきました。
若い頃も、あった。ヴァチカンを守護するスイス兵とも仲良しだった。西山神父さまが、フランシスコの修道服で近づくと、パッと敬礼して通してくれた。その後を、巡礼者たちも付いて行った。日本からの巡礼者たちが、西山神父さまに小物のみやげを贈ると、それをスイス兵隊さんに渡して喜ばれた。
お祝いした皆さんは、「西山神父さま、健康で居て下さい」と、拍手で湧いた。

2020年10月17日土曜日

秋だよ。病んでも楽しむ、よし、とする。鎌倉から、デカーィ、クリ届く

朝、自室の気温は、21度。
ホームから見える山も、空も、すっかり秋らしくなった。
山の施設・学校には、広大な山林、雑木ばやしがあり、グべ、アケビ、クリなど、子供たちには、楽しい食べ物が一杯あった。当時、トマは病気の養生。終戦から10年経った頃で、食料不足で、子供たちは、ひもじい日々がつづいていた。いま思えば、その頃の少年たちには、自立心があった。雑木ばやしには、縄張りがあって、バケツ一杯、クリをひろい、炊事場のシスターに持ってくる子供もいた。あの頃の少年たちの特徴は、たくましさだ。施設・学校は、男の子ばかりの居場所たが、目は輝き、すばやく行動する能力にたけていた。「自分で、生きる」「負けたくない」「くじけない」。小さなカラダから、身なりは汚れていても、何か魅力がある。そういう少年たちが、いまは懐かしい。
★鎌倉の潔さんから、今年も、大きな、立派な、焼きクリが送られてきた。
「こげん、でかか、クリは、めずらしか、ばい」。思わず、そんな言葉が出る。もう、そのまま食べられる。
早速、昼食の食卓で、瀧神父さん、大野神父さん、同席の女性2人に配った。栄養士さんにも食べてもらった。「長崎に、こんな大きなクリは見たことがない。どのようにして焼くんだろうね」と興味深々だった。他の人にも分けて、喜んでもらった。
潔さん、いつも気にかけてくれて、ありがとう。クリ、1つ、1つにしても、与えられて、助けられて、生かされて、喜びを受けているんですね。老いたる身に、それを感じます。潔さん、覚えてくれていたんですね。去年も、このクリでした。
★きょうも、喜びを分かち合った。
喜び1つ、1つが、生きるチカラを与えてくれる。
★ホームでは、午前中、「懇談会」があり、来月11月の予定が告げられた。
近く食卓の席替えを行ないます、と知らせもあった。
どの席でも、幸せです。
昼食は「チャンポンなべ」でした。
午後からは、来客があります。

2020年10月16日金曜日

傾聴ボランティアの女性が来る。コロナの関係で、久しぶり。4年続く

約束の時間に、女性は姿を見せた。久しぶり。今年は、1月に来たのみ。コロナの時代に入ったから、途絶えていた。
10月は、2度目。時間は「20分」と言われた。ボランティアであれ、長崎から電車・バスを乗り継いで、費用を使って、ホームまで来てくださる。話を聞いてくださる。セチ辛い世の中に、光る女性が居るんですね。2017年3月に始まった。きょうで、25回目になる。トマだけが、一方的に語る。語る中で、心が整理される。
★先ずは、楽しいこと。自分で考える。「楽しいこと」あったか? ありましたね。テレビ『こころの時代』に出たことです。それを語る。取材を受けて、この半年間は楽しみがあった。どんな物語に出来上がるのだろう。期待があった。女性も「見ました」という。
★次は、自分まるごと、心身の状況でしょう。目は、ショボショボ。歯は、自分の歯だが、ゴボウや、レンコン、堅い食材をカムと、チカラが要る。夜は眠れるか。大のトイレはあるか。尿量は、どうか。腎ゾーの機能は、何とか保っている。だが、4か月に1度のステント入れ替えは、体力にシンドイ。手首の血も見せる。歩行は自室内は歩けます。部屋を出る時は、手押し車か、杖も要る。それらを語れば、もう20分は過ぎた。
★結局、いま必要なのは、ホントに「気力」と「希望」です。周りには老人が居り、老いれば、どういう手順を踏むか、手本がある。老いを受け入れて行くしかないが、人間のシンになる「人格」だけは変えたくない。それが「希望」なんです。
★傾聴ボランティアさんは、聞いた言葉の最後の部分を、反復して、返してくれる。その言葉が自分に入って、ふしぎと癒され、整理がつく。いま長崎県は、感染者が「0」の日がつづく。折を見て、次の日にちを決めましょう、と女性は去って行った。こんな内容は、ホームの誰にも、話すチャンスは、ない。語って、聞いてくださる得心の人に、感謝です。

2020年10月15日木曜日

手首の小さなキズから、血が出て止まらない。どうすれば、いいんだよ

1か月ほど前からか、右の手首のところに、小さなマメが出来て、抑えると、痛い。そのうち、皮膚に小さな穴があいて、血がにじみ出る。バンソウコウを貼って、血をくい止める。今朝は、入浴して、バンソウコウを取り替えると、かなりの血が噴き出した。高原修道士さんに、隣町、小長井町の病院へ連れて行ってもらった。お医者さんは、「どう、しようも、ない」と言う。バンソウコウは、あまり取り替えない方がいい。自然と、ふさがる、とか。
★もう、歳も年だし、これから、どうなるか。成り行きに任せるしかない。
とはいえ、そう思い切れるものでもない。カラダに気になる状態が起これば、何事も手につかなくなる。
帰りの車の中から、有明海が広がる。素敵な風景だが、気持ちが乗らない。
向こうの山脈は、島原半島だ。いい場所に住んでいると思うよ。過去の思い出もあるしね。ムツゴロウや、小さなタコが居た。今は干拓の影響で、それらも居なくなった。
★小長井町のバス停は、以前も日記に載せたこともあるが、きょうも、車の中から、撮る気になった。この他にも、ミカンや、他の果物がある。のんびりした町だよ。
この町の病院へ行くのは、初めてだった。診察を待つ人は、殆ど、手押し車を使っていた。それだけ町には老人が居る事になる。皆さん、長生きだよ。苦労もあるけどね。1日が経つのが早い。平凡に、平凡に、生きております。それでも気持ちの浮き沈みはある。 

2020年10月14日水曜日

コスモスの花咲く、秋。9年前の写真。いい顔してる。悩み、なさそう

すっかり秋らしくなった。コスモスの花が咲く。
写真には、2011.10.16・の記録がある。ちょうど、9年前になるね。あの頃、何をしていたのだろう?。
その2年前は、ボウコウ・ガンが発症し、苦悩の年であった。尿が出なくなったり、大変な経験をした。それでも、イノチに縁があったんですね。この写真を撮った頃は、両眼の白内障の手術をした後だった。
手術の効果は、抜群に良好。視野が明るく、遠くもハッキリ見える。メガネなしで、パソコンも打てた。顔も、まんまる。痛みを知らぬ顔しているね。2011年のこの年は、津和野、出雲、広島、鳥取などに出かけている。軽も、新しい車に乗り換えた。軽を運転して、市外へ出かけた写真だね。あの頃は、まだ本当の苦労を知らなかったね。老いてから、知る。
★ホーム聖フランシスコ園へ行く。入居している修道士、フランシスコ中村安五郎さんを見舞った。コルベ神父さまが長崎を去る年の春に、志願した修道士さんだった。今にして思えば、結局、トマも入居して、中村修道士さんを見送ることになる。
★次に向かったのが、騎士園の施設・学校。ここにはトマの足跡がある。その途中の農村で写したのが、このコスモスです。村には、代々歴史あるお寺があって、騎士園創設の時には、ゼノ修道士が、お寺に泊まって、建設に貢献している。
★騎士園・施設の学校に勤めた頃は、よく、この辺に、児童を連れて、野外学習に来た。観察や、絵を描いた。腕白の子ども達だったが、今も元気にしているか。小学生たちは、3,4年生が、いちばん、ゆうーことを聞かなかった。家族から離れて、誰もが、寂しい。愛されたい。かかわって、もらいたい。そのような子供たちが学ぶ学校だった。小学生は、担任教師の背中に背負われるのを求めた。振り落とすと、すねたモンだ。自分に注意を引こうとする。かわいいモンさ。子供にも、人間の根性というか、本性というか、そのような底辺の、むきだし部分があった。今となっては、なつかしい。
★朝の祈り、が書いてある。「お前は、どちらか? 己のために宝を積ませる者か、あるいは神の前に富ませる者か、さあ、どっち? 結局、人生は、この二者拓一に尽きるなり」(ルカ12の21)
★昨日の書道で、「竹下清流泉」を書いたが、読み方や意味が分からなかった。コメントで教えられた。読みは、「竹は下ちて、清泉に流る」。意味は、「竹は、流れ下って、清い泉にそそぐ」。ホームに接して、細い竹林があるが、写真が撮れない。

2020年10月13日火曜日

平凡を呼吸して過ごす日々。墨字を書く。若さを保ち、長寿を願う思い

今朝、ミサが終わり、自室に帰る。カーテンを開くと、この景色。「美しい」と感動しませんか。何事も無いように、願う一日。変わらないのが、幸せです。
今は、もう唯々「自分が生きて行く」ことに専念しています。痛みは、ないか。おなかは、快調か。眠れるか。そんな何気ない事に、気分が振幅します。「生きる」を底辺で呼吸している感じです。それを伏させて、明るい顔をして、日々をつないで行かないと、ダメでしょうか。
★書道クラブがありました。先生が、「11月に、町の文化祭があるから、展示しましょう。書きなさい」という。
前にも書いたが、「青松多寿色」を選んだ。ネットで調べると、「せい・しょう・じゅ・しょく・おおし」=「松は、いつまでも青々。若さの象徴。不老長寿を連想させる」とあった。この字を崩し字で描いた掛け軸も載っていた。それでは「竹下流清泉」は、何だろう? ネットでは、読みや解説が出てこない。泉は、地中から湧き出る水。
★書くからには、やはり、読み方や、意味を知りたいと思う。今は、もう、ネットでしか、調べる方法はない。書道の墨字が書くのは、楽しみでもある。小・中学生に与える心構えではないが、「こころは、正しく、筆の運びは、のびのびと、気持ちを込める」。墨字には、ヘタでも、何となく惹かれるものがある。

2020年10月12日月曜日

思いがけない人からの電話。見方で方向が変わる。日本26聖人の事

スペイン人の修道士さんから電話があった。
「『こころの時代』、見ました。よかったですね。召し出し、の事、考えました。いま、司祭、修道士、シスターになる人、少ないです。このテレビを見て、そのことを考えました。あなたが歩いた道です」
名前を聞くと「アントニオ・ガルシア」さん。91歳。「あなたより、1つ、歳少ないね」「どこの修道院?」「長崎・二十六聖人の修道院です」(写真の右側、教会と修道院)
★ガルシアさんが聞いた。「あなたの修道士名、何ですか」「二十六聖人の1人、聖トマス小崎です。15歳で、殉教しました」。ガルシア修道士さんは喜んでくれた。ガルシアさんは、日本へ宣教に来て70年になるという。「スゴイなァ」としか言いようがない。長崎の黙想の家でも働いた。修道士、と聞けば、何やら親しみを感じる。「あなたの写真、ありますか」「沢山、あるよ」「送って下さい」
★『こころの時代』も、見方によっては、司祭や修道者への召命を考えるヒントもあるんだなと嬉しくなった。
★しかし『こころの時代』の一番の反応は、「赦し」だった。女性の2人から電話があった。いずれも「赦せない」「赦すことが、一番、難しい」と嘆いていた。人は人生に於いて、「赦せない」沢山の出来事に出会う。いかに解決するか、難しい。
★人の根底には「愛」と「赦し」と「十字架」がある。簡単に、決めつけは出来ない。そこに人間の苦悩がある。
★日本二十六聖人の遺骨です。
森松次郎は、外海のキリシタンの家に生まれた。才覚優秀で、和漢、蘭学、洋学など独学で学ぶ。迫害を逃れて、上五島の頭が島へ潜む。クザン神父を島へ迎えて、宣教師との出会いが行なわれた。
ドミンゴ森松次郎は、長崎へ出て、プチジャン司教と共に、マニラへ渡る。現地で、フランシスコ会やドミニコ会の書庫を調べ、マニラの日本村で、二十六聖人の遺骨や遺物を発見した。
森松次郎は、4人の娘が居たが、皆、シスターとなる。男の子は居ない。姉「カタリナをせ」の子供、与重を養子とした。ドミンゴ森松次郎は、明治35年、68歳で逝去。与重が「書き置き」を受け継いだ。与重は、国漢の教師を勤めた。76歳で没。これらの事をトマに教えてくれたのは、与重の長男、森瑞枝さん(1908年生まれ)で、宮崎にお住まいだった。資料などを見せて頂いたことを思い出す。
★ガルシア修道士さんから電話を頂いたことで、二十六聖人に思いをはせる次第となった。古い物語は、忘れ去られるのだろうか。

2020年10月11日日曜日

放送の次の日、ルルドには沢山の人が訪れ、祈った。反響は大きい

日曜日。朝から、長崎の白浜さんが来た。コロナの関係で、会えない。
白浜さんは、事務室に、「ルルドの水」小瓶に10本を預けて、帰った。白浜さんは、聖母の騎士のルルドの清掃を行っている。携帯で、白浜さんを呼び出し、お礼を述べて、ルルドの様子を聞いた。
★白浜さんの報告。金曜日、台風余波の風が吹いたので、ルルドの広場に落ちた枯れ葉を清掃した。金曜日の夜、いい時間帯にテレビに出たでしょう。影響が、スゴイ。昨日、土曜日は、朝、8時頃から、続々、ルルドに巡礼者が来た。夫婦が多かった。午後3時までに、30人は来ましたよ。テレビを見て来た。
長崎の人が、ほとんど。福岡からの夫妻は、奥さんの実家が長崎で、来ていた。テレビをつけると、ルルドが出た。それで今日は来ました、と喜んでいた。『長崎に、こんなに木々があって、静かな場所がある、心が安らぎます、いい所ですね』という夫妻もいました。
白浜さんは、日記を読んで知ってたテレビの取材の事情や、実際のルルド。フランスのルルドのマリアさま出現の話など聞かせた。記念に、ルルドを写真に収める人もいる。昨日は、ホントに賑やかなルルドでした。おそらく今日は日曜日だから、ルルドに参詣者が多く来ると予想される。電話で、お礼を語る人も居た。以上が、白浜さんの報告です。
このように、長崎のルルドが知られるのは、嬉しい事です。コルベ神父が開いたルルドは沢山の恵みをもたらした。ルルドの上に、家屋はない。緑の樹木に包まれた「彦山」です。
★トマ修道士は、8年ぶりに、コルベ神父の「ルルド」の水を飲んだ。祈った。母の事を想った。思い出の場所が1つあることで、時折、その場所に思いが集中する。神さまの愛も、マリアさまの導きも、変わらない。 生きるのは、恵みであるのが、よくわかる。素直に、それを受け入れようではないか。先の読めない未来だが、希望することで、安ど感が湧いてくる。ルルドの水は、清らかだった。心を癒すチカラがあった。

2020年10月10日土曜日

笑いで、はじけた室内運動会。ホームの全員が集まり、楽しむ。心は1つ

ホームの全員が、食堂に集まった。
皆さん、ウキ、ウキ。「赤組」と「黄色組」に分かれて、秋の室内運動会。車椅子や押し車の人が、多くなった。でも楽しいよ。それぞれ皆さんには、若い頃もあったからね。子供や家族や、孫や、その成長を見守ってきた。「そんな時代も、あったのよ」
聖火入場、点灯、国旗掲揚、選手宣誓、一通り行なわれる。気分を盛り上げるためには、厳粛性も必要さ。楽しく集って、気持ちを引き締める。
万国旗も、いいね。日記を読んだ愛読者さんが、万国旗の一部を寄付してくれた。競技は、毎度、決まっている。➀パン食い競争。全員が参加する。パンに、うまく、ありついたらホットするよ。なかなかビニール袋に嚙みつけない。思わず手で押し込む。➁次は、空気を入れたフーセンの輪を、持った新聞紙の棒で、隣の人に渡していくリーレ。赤が早いか、黄色が先か。拍手と笑い。➂サカナ釣りだね。トマにも「出なさい」と勧めるが、「目がかすむ」と動かない。
中間で、水分補給もあった。こういう処置に施設感がある。職員も、介護、看護、調理、洗濯、事務など各種の任務に分かれている。それらのチカラが合わさって、ホームの推進力となる。「みんな、参加して、楽しんでほしい」。願いは、それです。国旗も上がっているでしょう。聖火が見えないね。100歳の女性も参加。それが、いいのさ。転倒に気をつける。神経を使うね。心は、みんなで助け合う。共助だね。自助もある。心身、気をつけながら長生きしよう。
★昨夜は、長崎地方で、NHK『こころの時代』が再放送された。普通は、寝る準備の時間だが、落ち着いて、ゆっくりの気持ちで、見た。人生は、流れる小川のよう。泉が湧き出て、流れとなって、石に当たり、壁に当たり、喜びに水面は波うち、その人ならでの流れで、大河となっていく。トマには、この歩みしかなかった。そこに生きる意味もある。人は、それぞれ違うのです。自慢することもない。イバルこともない。1本、筋が通った流れがあった。これがトマの人生だった。放送が終わった時、NHKのディレクターさんから電話があった。感謝と喜びを伝えた。
★きょうは、何人もの近隣者から「テレビ、見ましたよ。よかったよ」の言葉を頂いた。嬉しかったよ。

2020年10月9日金曜日

スイカも、ウリも、仲良く手のヒラに。大地の稔りに、感謝の秋。幸せ

 食堂で、栄養士さんが、「これ、なァーに?」

「スイカだよ。ウリだよ」「こまか、なァ」「かわいか、な」

ホームの畑で、出来たモン。稔りの秋は、イモもあれば、これもある。

老人たちは、知恵が、豊富。「あれや、これや」と解釈が始まった。

昼食どきに起こった、笑い。楽しみ。

★ホームでは、何事も、起こらず、昨日が、今日に、そのまま、つづくのが、幸せです。数日前に、100歳近い女性が、ホームで静かに逝かれた。ホームでの暮らしは、20年に及んだ。もちろん元気で入居される。そのうち段々と老いて、車椅子となり、イノチの長さを達成された。ここのホームは「養護」だが、「特老」になっても、介護がつづけられる。逝かれるまで、看取ってくださる。それだけ職員のご苦労も、並々ならぬ配慮が要る。

★事務室から、お知らせがあった。「県内への、外出、外泊は、許可します。行先で、3蜜に気をつけてください」「次に、県内からの面会者は、『面会の部屋』で許可します。自室には、入れません。面会の人は、事務室に報告して、体温検査を受けてください」。コロナはいつまで続くのか。教会では、毎朝、祈りが捧げられている。

★切りかぶの畑=カコ。カコは、むなしいか、そうでは、ない。過去は、倉に、保存される。時間、空間は、つながっている。いま、ここで、自分は、何を成すべきか。問いかける者が、いる。問いかけ、呼びかけに、まことを尽くして、応答していこう。

2020年10月8日木曜日

『こころの時代』NHKテレビで、再放送。長崎地方だけ。明日の夜に出る

8月に放送した『こころの時代』

あした、金曜日、再放送。

NHK午後7時30分~8時30分。

残念ながら、長崎地方だけ。

長崎の皆さん、見て下さい。

92歳の修道士は、語る。

支えられて生きてきた人生を。

中でも、地元、町の中学校で、語りべを努めたのは、喜びでした。ご縁になったのは、この女性です。この女性は、文化活動で、町の中学校で、昼食のとき、本を、マイクで読み聞かせている。その女性から、勧めがあった。この度、再放送になる、と伝えたら、手紙が届いた。「中学校にも、すぐに連絡しました。校長先生はじめ、先生方が、とても喜ばれました。弱さを隠さず、人間の心の有りようを語るのは、心に染みます」
中学生たちに語る場面も、割と長めに収録されている。ホームの調理場で働く職員さんの娘・中学生も映っているそうで、喜んでもらえた。再放送を告げると、ぜひ見ますと楽しみにしておられた。
原爆も、ひどかったけど、また別の場所で、知らない所で、強制収容所の中で、アウシュビッツだけでも、110万人が殺された。恐ろしい、人間は、本当に。
コルベ神父は苦しみとか、病気のツラさを表に余り出さないで、『大丈夫です』と言って、周りには明るく振る舞い、優しさを示す。人間の中に光るモンがあったから、皆んなが付いて行った。言葉が実行に一致していた。地についた言葉で話す。人間は、こういうモンだということを話す。同じように生きよう、小さな歩みだが、修道士たちも、コケながら、倒れながら、コルベ神父さまだから大丈夫という信頼感の中で、みんなが、まとまって、生きて行ったと思います。
★聖コルベ館の内部で、取材した。あした、再放送が終わったら、すべてが終了の気持ちです。ディレクターさん、カメラさん、ありがとう。
★きょうは、トマが、聖母の騎士に入った記念日でした。テレビにも出ていたように、雨の中、濡れながら、院の扉に、握れる程の木が、ヒモで下がっていた。掴(つか)んで引くと、奥の方で、チャラン、チャラン、と鐘がなった。出て来たのが、ゼノ修道士。雨に濡れた少年を、ゼノさんは、しっかりと抱いた。75年前の今日です。神に、かんしゃ。修道者に、ジンクーエン。