2019年10月31日木曜日

10月も終わり。ホームに秋の日差し。いつ苦しみが来るか

早朝、5時15分には教会に入る。一番静かな心の時間。自問自答もある。10月も終わる。ロザリオの月であった。ホームで暮らす人生に、どういう意味があるのだろう。余生をゆっくり送ることか。今日の聖人伝を読む。16世紀のイエズス会の修道士。何十年間、修道院の受付を務めた。お客さんは、キリストさまが来られる。その心で、優しさと愛。聖人の評判が高まった。その修道士も晩年は苦しい病気にかかる。苦しみの中にも、キリストと共に生き抜いた。聖人でも沢山の苦しみがあった。
★信仰とは「幸せを下さい、下さい」だけではない。家内安全、信仰すれば、幸いになれる。願い事が叶えられる。そうではない。信仰に徹した聖人たちも、病気でも、仕事でも、沢山苦しんだ。苦しみの足跡を残している。信仰者は苦しみで試される。本当に愛があるのか。いかに苦しみを受け取るのか。弱音をはいて、つぶやいて嘆くのか。キリストさまと一緒に苦しむのか。先達たちの足跡に倣って、残り少ない今の人生を、キリストさまと一緒に苦しみたい、そんな気持ちになった。
★ホームに居て、何が出来るのか。常に問いつづける。教会を出るとき、「語りべ、がんばりなさいよ」と声をかけられる。「ウン、そうだな」。思いますよ。生きている限りは、ね。

2019年10月30日水曜日

神戸から突然のお客さん。なじみの「尼さん」。優しい心の支え

夕方、自室の拡声器から「神戸から、お客さんです。どうしますか?」「何人ですか?」「お二人です」「自室にお願いします」(誰だろう?と、心のなか)
★自室で出会って、びっくり。長年、親交のある「尼さん」だった。いつも「尼さん」と呼び掛け、親しんでいる。「よく、まあ、いらっしゃいました」と喜んで迎えた。「長崎に?」「真っ先に、ここへ来たのよ」「え、え、ありがたい」。お互い喜びで、ニコニコ顔。お連れの女性は、尼さんと「八十八か所巡礼」をして知り合いになったという。明るい女性だった。運転をして、尼さんを諫早駅からお連れした。
★長年、尼さんとは、親しい間柄です。尼さんには、人を癒すチカラがある。自分自身が、病と闘い克服した。病む人や、弱い人を包み込む優しさがある。人は、親身になって寄り添う人が居れば、救われる。特に尼さんについて、トマが記憶しているのが、久松修道士の終末・病気のとき、尼さんは本当に親身になって看護してくださった。その他、セルギウス修道士や、ローマン修道士、ポーランド人の修道士たちも、よく知っている。聖母の騎士に理解を示し、集会や祝賀会のある時は、数人で姿を見せる。濱田神父さんが団長の「海外の巡礼」にも参加した。
★長崎へ用事で来られたのか。真っ先にトマの所に来てもらって嬉しかった。尼さんには優しい手の温もりがあり、眼差しがある。「オーラ」を感じる。ホトケさまも、マリアさまも、尼さんも、修道士も、歩く足音は、皆、いっしょ。ふしぎと「尼さん」には、こころ通じる気持ちがある。「助け合いましょう」「奉仕させてください」。暗黙のうちに、心は通じる。人間、誰しも『業(ごう)』を背負って生きているが、負けないタメのチカラも要る。
★自室で、尼さんに、近況を知らせるため、「91歳、日記を、10年」のテレビの録画を見てもらった。尼さんの温かさに癒された。思いがけないお客さんの出現に、喜びと励ましを感じた。夕方5時、夕食が近づいたので、お別れした。親愛なる尼さん、お元気で、訪問してくれて、ありがとう。

2019年10月29日火曜日

地元の小学生たちが、楽しい交流に来た。子供心になって遊んだよ

毎年、この時期になると、近くの小学校四年生たちが、ホームに交流にやってくる。
★今年も、四年生二組、53人が、2人の先生と共に、ホームにあらわれた。ゲンキな歌声が大きくひびく。胸をゆさぶられるようだ。子どもたちからパワーをもらった。背の高い子もいる。小柄な男の子もいる。歌の文句は「笑って、怒って、いろいろ、あるけど、ゆっくり出来ることをつづけよう。夢は、いつか、みつけるさ」
★各テーブルに分かれて、遊びが始まった。私たちのテーブルは、大きなボール箱に色紙が入っている。それを引っくり返して、争った。笑いあり、また笑いあり、だよ。子供って、いいね。
★いまは老いた私たちにも、こんな純粋な時代があった。子ども心は純粋だったが、戦争という時代が暗かった。この子たちが、大きく成長した時、明るい世の中であって欲しいと願う気持ちにもなった。
★1時間の交流だったが、本当に楽しかったよ。「お元気でがんばってください」とか「ハッピー」とか「テケ、テケ」と書いた絵をもらった。この子供たちが、1年生の頃に、原爆の語りべを務めたことがある。もう忘れただろうね。
★のびのびと、友だち、仲よく、育ってほしい。それが願いだね。うれしいよ。高来町にも、ホームが有るのを忘れないでね。きょうは、よかった。ハッピー。

2019年10月28日月曜日

老いて、声が出ない悩み。話の依頼に、語るか、ダメか、迷う

神奈川県の学校から「今年も11月〇〇日に、長崎へ校外学習に行きます。例年通り、お話いただけませんか」とお願いの手紙があった。
★この学校は、特にご縁がある。聖コルベ館に居た時から話をして、もう30年になるだろう。生徒で来て話を聞いて、大学を出て、教師になり、今度は生徒を引率して来られた先生も、数人居られる。
★長い歴史があり、話したいのは山々だが、こちらにも老いになると、色々と事情がある。特に、90過ぎると、声が正常に出なくなった。
★声には、自信があった。無声映画の弁士も長年つとめたし、声は良かった。それが今では、シャ枯れ声になる。ガンでも有るのでないかと、長年、通院していた耳鼻咽喉科で、3度、4度と、間を置いて、カメラを入れて診察を受けたら、声帯が、素人にも分かるように、左側は太いが、右側が薄くなっている。医師は、老化現象で、細くなっているから、正常の声が出ない、という。
★この分だと、果たして、学校の学生たちに、正常の話が出来るだろうか。いま迷っている。半分は、どうかな。半分は、がんばろう。そんな気持ちの時、電話がかかった。
★長崎市の女性からだった。自分たちはホームの近くの小学校に、本の読み聞かせに行きました。すると校長先生から、小崎さんの話を聞きなさい、とおススメがあった。〇〇の日に、お話をしますよね、私たち3、4人も聞かせてください。
★どうして、その学校の〇〇日を知っているのか。私には分からない。聞きたいと言われて、当方は、とまどった。「え、え?そうなの?」。こちらは、いま揺れている最中です。声が出ないからダメが、半分。ガンバって、やってみよう、が半分。迷っているのに、数人の女性たちも聞きたいと言われれば、行しかないでしょう。
★でも、まだ日にちが有る。わからない。11月は、苦難のステント入れ替えの入院もある。学生さんたちには、各人に、言葉入りの「カード」を配ることにしている。もし話すとなれば、人数の枚数を準備しなければでしょう。
★先ほど、千草さんから電話があった。「揺れている」と語ると、「そりゃダメよ、話さないと。小崎さんの『語り部』は使命ですよ。神さまが、そのためにイノチを与えた。語りを止めたら、声も出なくなる。元気もなくなる。イノチの限り、ガンバってください」。背中を押されてしまった。

2019年10月27日日曜日

ホームの秋まつり。にぎやかな、楽しい一日。ドッコイショ

晴天の下、ホームで、「秋まつり」が行なわれた。
★ホームの入居者、職員はもちろん、この日は町内外にも広告され、聖フランシスコ園に招いて、町の女性たちの踊りや、お年寄りたち、友人たちの参加、少女たちの踊りもあって、楽しく、賑わいの日を過ごした。
★ホームの私たちにとって、日常の静寂を破る、こころ踊る日でした。誕生会も楽しいが、こんな日も、いいね。
★これまでは、夏に「納涼祭」を行なってきた。しかし暑さを避けて、令和元年から「秋まつり」に変えて、第1回の集まりとなった。それでも、太陽の日差しは暑く、芝生の上は、背中が焼けるほどだった。
★でも楽しい「まつり」です。日頃と違って、音楽の大音響が鳴りひびき、胸わくわくの楽しみがあった。右側のテントに料理が準備されて、各自が、各々好きな食事をえらんで食べて、水分補給でジュースを飲んだ。
★最後に「お楽しみの、くじ引き」がある。その番号は、チッシュの箱にマジックで大きく数字が書かれていた。車椅子の人たちは、食堂で、食べて、見物していた。
★トマと、瀧神父さんです。カレーや、焼きそば、おでん、枝豆、たこ焼き、柿、梨など、思い思いに取って食べた。楽しいですよ。やっぱり元気なのが、一番です。奥のテントにも食事の出店もあった。
★これだけの設営をする職員さん、調理師さんも、大変な作業です。テントを張ったり、ステージを作ったり、テーブル、椅子を並べたり、ご苦労さまでした。これも入居者たちのタメを思っての熱意です。ありがとう。
★出し物は、豪快な太鼓打ちから始まった。次いで少女たちの踊り、女性たちの踊り、など、外部のからの協力です。「ドッコイショ、ドッコイショ」の声。
★しかし中でも「からおけ」は会場外までも、大きくひびいた。町のお年寄りには、自身に満ちた声をふるわせる。
★瀧神父さんも進んで参加した。「瀧神父さまでーす」と紹介もある。ステージに上がった瀧神父さん。前置きの言葉を語った後、一曲、披露、熱唱して、喝さいをあびた。さんホームの皆さんは恥ずかしい。出たがらない。勇敢にも出演した瀧神父さんの人気は上昇した。
★最後は、全員で、「のんのこ踊り」と、「岳のシンタロウさん」の踊りで、〆た。聖フランシスコ園よ、栄えあれ。来年で、60周年を迎えます。歴史が、あるんだな。沢山の老人が暮らしてきた。多くの職員さんが見守ってきた。
★人と、人が、助け合って、社会の波にもまれながらも、ホームはつづいてきた。最近は、誰もが長生きになった。医療や、栄養食、介護のおかげであろう。楽しい一日をありがとう。

2019年10月26日土曜日

昨夜、管区長神父さんと喜びの会食。シスターのお世話でご馳走

竹内昭彦管区長神父さん(写真・左側)が、山の修道女院で、大勢のシスターたちに「黙想10日間の指導」をしておられた。最後の夜、シスターの温かい志(こころざし)で、同じ会の修道者たちが招かれた。
★湯江・ホームから、高原修道士さん、トマ、瀧神父さん。車で約10分。シスター近くの小長井修道院は、車で2,3分。山下神父さん、萩原神父さん、堀本修道士さん、以上、6人がヨバレた。「竹内管区長さん、お疲れさまです」。同じ修道者でにぎわった。
★料理は、シスターの手作り。刺身、握りずし、煮物、焼き肉、おはぎ、大きな「ふくれマンジュウ」などなど、楽しいひと時を過ごした。話題は、管区長さんから報告があった。コルベ神父さまと一緒に長崎へ来た「ミロハナ神父さん(故人)」は、戦後、このシスターたちの修道女会を創立して、「みさかえの園」という幾つもの障碍者の福祉施設を作った。ミロハナ神父さんの功績を讃えて、今月、ポーランド国政府から「勲章」をいただいた。その勲章を飾っているので、後で見て下さい。
★その後の話題は、先に、若くして逝った仲間たちの司祭や、修道士たちの思い出ばなしとなり、彼ら先陣たちの遺徳をしのび、笑いもあって、懐かしい思いがした。コルベ神父⇒ミロハナ神父⇒シスター修道女会と、つながるので、シスターたちが、家族的な気持ちで、よく面倒をみてくれる。ありがたく感謝した。
★ただ、トマが思ったのは、以前と違う自分を感じた。以前は、もっと愛想がよかったはずだ。自ら発言し、相手に感謝の言葉を述べ、積極性、明るさがあったのに、何やら「沈んでしまった自分」を感じた。元気がない。寡黙(かもく)になった。なぜ、なのか。要は歩くのも、よろ、よろ、する。身を支えるのが、懸命だ。余裕が無くなったのか。受け身ばかりの夜だった、と反省した。
★「以前のトマは、もっと賑やかで、話したり、支えたり、積極的だったのになァ。その気持ち、どこ、行った、もっと、ゲンキ出せ」

2019年10月25日金曜日

1つの腎臓を大切に。塩分0.1%の梅干し。午後から記者の客

「腎機能を保つためには、減塩食にしてください」。そう言われている。左の腎臓だけの働きで、22歳から生きて来た。幸いに、腎機能は正常ではないが、何とか生活はつづけられる。日々、イノチの喜びを感じている。
★茨城の「まゆみ」さんから、「塩零梅」が送られてきた。今年になって、1月、4月、7月と届いている。ホームの調理場に、「梅干しが出る時には、減塩食の人には、これを出してください」と頼んで預けたのもある。時折、出ている。
★「紀州みなべの完熟・南高梅」で、食塩を使わずに、りんご酢と、はちみつで、丹念に漬け込んだ、おいしい、好物です。毎日、1個は食べる。「もう無くなったので、送ってください」と願った。「お母さんの為に、取っておいた梅を送ります」と、まゆみさん。温かい、こころざしが伝わった。
★きょうは、午後から男性の報道記者さんが来ると約束している。午後から時間がない。先日、来た女性の報道記者さんに、「何が、聞きたいのか」と問いかけると、「赦し」だという。女性・記者さんは1週間前にも来た。おおよその話を語った。また来る。2度目には、厳しい問いが出る。「仇なる者は、赦さない」。人間の本性だ。それを「赦す、赦してあげる」。平和の原点だと思うが、そう簡単に「赦せる、ことでも、ない」
★今の世の中、赦せない出来事で満ちている。イジメ、殺傷事件、交通事故、被害者の身になって心情を思うと、忍びない、赦せない、当然です。でも「赦しなさい」の声も聞こえる。コルベ神父の実話も出てくる。「なぜ、それが出来るのか」。分からない、としか言いようが、ない。現実は厳しいのです。それでも「赦しなさい」。許さなければ、平和は、ない。
★女性記者には、そんな事を語ったが、きょうの男性記者は、何を聞いてくるのだろうか。
★男性記者さんが来た。2時間半、語った。
★高原修道士さんが、夕食は「山の修道女院に招かれています」と、車で連れられた。いま、ホームに帰ったところです。日記が遅くなった。初めての事になった。

2019年10月24日木曜日

今日が、ホーム人生学校、入居の日。5年生卒業。6年生になる

きのう、午後から女性の報道記者さんが話を聞きに来た。2時間半、語り尽くす。「写真を撮らせて下さい」「そうね、修道服を着た方が、いいね。場所は、どこが、いい?」「教会で、撮れますか?」「いいよ、では行こう」。記者さん、カシャ、カシャと、何枚も撮った。
★修道服で撮った写真は最近、無いので、ついでにデジカメで数枚、撮ってもらった。それが、これです。
★ある考えが、私には、あった。実は、きょう、10月24日は、私がホームに入居した日なんです。ホーム人生学校に入居の日。きょう、5年生卒業です。6年生になります。何年生まで生かされるか、イノチは神さまのことです。ホームの老人学校で、沢山の事を学び、沢山の恵みを受け、心に残る出会いもあった。この湯江教会は、神さまとの出会いの道場です。毎朝、祈り、ミサで聖体を拝領し、生きるチカラを頂きました。お世話になった。そのアタマがあるから、この写真を撮った、意味もありました。
★入居した日のノートを開いてみた。次の文が書かれている。
★いよいよホームに入ります。皆んなと一緒の夕食に間に合った。これから「自分の生活」が始まる。86歳と言っても「何、言っているの」で、おしまい。90代から100歳まで、多くの人が居られるから。先ず「あいさつから、始めよう」
★夕食が終わるのは、5時半ごろになった。各々、自由に、自室へ戻っていく。その間を縫うように、若い女性職員さんが声かけた。「おやすみーなさァい」「早(はや)、参った、な」
★入居したからには、ここは誰のタメでもない。自分のため、自分1人のために生きていく。とは言え、ホームとは、のんびり暮らす場所ではない。車椅子や、押し車、杖をついて、みな、精いっぱい生きているサマを見た。それは、これからの自分の生き方でもある。「おやすみーなさァい」
★長ーい時間を、どうするのだ。皆、あなたのもの。何を成すか、何を見つけるか、これからの課題となる。
★いま、5年を振り返って、ホームに居ても、さまざまな事があったよ。ホームは老いの人生学校だ。6年生になる。あしたは、また、男性の報道の記者さんが午後から来るという。出番は、まだ、まだ、ありますな。

2019年10月23日水曜日

きのうは「教皇ヨハネ・パウロ二世」の日。待ち焦がれたパパさま

きのうは教会では「教皇ヨハネ・パウロ二世(任意)」の日でした。教皇さまといえば、この写真が一番の思い出なので、載せました。ヴァチカンでの写真です。
★今月になって、複数の報道記者から電話が入ってくる。来月、現・教皇さまが長崎に来られるかららしい。教皇さまは被爆地にも立たれる。何をスピーチされるのか。
★「小崎さんも被爆者じゃないですか」「それは、そうだが、なぜ小崎に?」「ネットで調べて、名前を見つけました」「いまのパパさまは、著書は読んだが、お会いしたこともないし、知りませんよ。まえのパパさまなら知っている」「その事も合わせて、小崎さんの事も知りたい」「え、そんな。ここのホームは、遠い場所にあるよ」「それでも大丈夫です」。きょうも午後から、記者が来る予定になっている。若い記者さんにとって、キリスト教や、キリシタン、殉教、信仰復活など、すべてが勉強でしょう。
★潜伏キリシタンたちは、子から孫へ、250年間、言い伝えた。「やがて、ローマから、パッパの船が、やってくる」。希望を持って信仰を守った。それが実際に、船じゃなくて、パパさまご自身が来られたじゃないですか。感謝、感激ですよ。
★しかも、教皇さまは、確かな日本語で語られた。「戦争は、人間の仕業です」。ミサも日本語で祈られた。パパさまに日本語を教えたのは、いまホームで暮らしている西山達也神父さんです。日本語で聞いた我々の心は、大きな感動と喜びで満たされた。伝承は実現した。その教皇さまが現実に来られたのが、1981年。58歳で教皇の座につかれて、3年目で、まだお若くあられた。聖母の騎士で歓迎したが、当時の事をよく覚えている。報道記者たちは、その時の話も聞きたいという。そう言えば、40年近い歳月が経っている。記憶は時代な流れと共に消えて行く。やっぱり勉強しなければ、分からない。
★湯江教会では、毎朝、ミサ後に、現・教皇さま(ご高齢になられる)のために祈っている。戦争がない世界、核兵器廃絶を強く望まれるという教皇さまの来日が、世界への確実な平和をもたらしますように願っている。

2019年10月22日火曜日

親交がある哲さん、美樹さんが来る。山へ墓参りに。花咲く農村

きょうは休日。「天皇陛下・即位の礼」。長崎市から野々村哲さん、塩沢美樹さんが、自室を訪ねた。「ひさしぶり。写真展ではお世話になったね」
★写真展まで漕ぎつけたのは、2人の活躍だった。状況を2人は「フェースブック」で流していた。東京のポーランド大使館広報部が目にとめて、2人に「メール」が入った。11月の末に、ポーランド大使館広報部主催の「ポーランドの日」がある。その日に、写真展の一部を展示してはいかがですか、と問い合わせがあった。いま準備しています。2人は、その日に参加したいと言う。「それなら、ポーランド語で描いた『焼けたロザリオ』がある。これも資料として展示してください」と頼んだ。ポーランド人の誰かの目に留まるでしょう。期待しながら示している2人です。
★2人が来た処で、思い出した。10月19日は、若い頃、病気であったトマを看護してくれたシスターの命日だった。「お墓、参りを、したい」と願った。「そのつもりで来ました、去年も、一昨年も、そう、でしたから」
★シスターのお墓のお花を変えて、美しく飾った。祈りをしながら墓碑を見ると、「40歳の若さ」で神に召されている。トマと同じ歳だったから、「51年だよ」。シスターは有能な看護師で、離島でも活躍し、小柄だが、度胸が座った、テキ、パキ、処置するシンの強い、そして誰に対しても深い愛情で接する女性だった。
★行き返りの農村の畑に、今年も、コスモスがイッパイに咲いていた。美樹さんも看護師を勤めている。「わかるでしょう。ヒトのイノチに、たずさわる。尊い仕事だよ。カラダの弱いニンゲンが、このように生かされているんだからね。恩は返せない。その人の命を背負って、生きるしかない」
★来年、この道を通れるか。このコスモスを見られるか。いま、十分に焼き付けておこう。そんな気持ちで、野々村さんが運転する赤い車に揺られていた。

2019年10月21日月曜日

サンパツして、アタマが、スッキリなったよ。カンシャだね

自室のベランダから写したホームの庭。三角の影は、玄関の塔。干し柿をくれた男性が手掛けている花壇の列。奥の赤い屋根は、故・初田園長神父さんが建てた館。今は、男性職員の憩いの館になっている。
★きょうは、2か月に1度の理髪の日だった。きのうの夕食時に、職員が食卓をまわって、クジを引かせた。線が並んでおり、線の下は隠している。上に名前。トマの所に回って来た時には、2つしか空席がなかった。「これ」と左側を指した。今朝、教えられた順番は、7番目だった。6番目が、瀧神父さん。順番待ちの時間があるので、入浴する。ゆっくりと時間をつぶして、理髪の部屋へ。瀧神父さんが椅子に座っていた。次は、トマ。おかげでアタマが、サッパリとなった。それで午前中は、過ぎ去った。昼食後は、ベッドに横になる。時間は、ゆっくりと過ぎて行く。
★午後から何を書こうかと思った時、アタマに浮かんだのが、若い頃、病んだ姿の写真だった。この写真、見てください。昭和29年のトマです。65年前だよ。やつれて、やせて、苦難の日々だった。熱が毎日、8度前後あり、血尿・甚だし。腰痛が、ひどい。とにかく、眠い、とメモにある。どん底の試練だったが、それでもメモ日記に、次のように書いている。「①身のまわりを、いつも清潔にし、ヒゲなんか、つとめて、そり、おちぶれないようにする。②よく病気の苦しみにたえる。ほがらかに、安心しきって、すべてを、まかせる。③文句をいわぬ。出来るだけ、与えられた食事は、みんな食べるよう、努める」。こんな事を書いていたなんて、泣けてくるよ。よー、ガンバッタな。(首に掛けているのは「マリアさまの旗」だった。当時は、よく流行って、神学生などは掛けていた)
★いや、いや、④もあった。「感謝の心を失うな。いつもアタマを下げて、感謝せよ」。65年の歳月が流れて、まだ生かされている。91歳になった自分に、そんな気持ちというか、覚悟というか、あるだろうか。沢山の人のおかげで、この歳まで来た。それだけは言える。「きょうは、サンパツして、アタマも、スッキリ、なったよ。カンシャだね」

2019年10月20日日曜日

見たメは、ん?中身はウマイ。干し柿のごとく耐えて生きれ

トマの自室の隣、ベランダに「干し柿」が吊るしてある。隣の男性は、入居しても老いを感ぜず、花壇の花植えや、雑草取りなど、こまめに働いて、カラダを動かしている。
★入居者も、1軒の所帯です。干し柿を吊るすなど、生活感が出ている。キョロ、キョロするトマのメに、入らぬわけがない。食堂で、声をかけた。「干し柿ね、あれ熟したら、2つ、くれんね」。男性は、ウン、ウンと、うなずいた。
★自室で、ガラス戸を背にしていると、トン、トンと、ガラス戸をノックした。男性が干し柿を4つ持っている。「やあ、ありがとう。2個で、いいよ」と受け取ったのが、これです。見たメは、販売品にはならんが、すぐ食べた。完熟して「おいしい」。この味だよ。子どもの頃、食べた天然の味だよ。最近は、見たメを気にするじゃないですか。カッコウ付けるとか、イケメンとか、ね。問題は中身の人生完熟だよ。小さな事だが生きている喜びを感じる。中身はリッパに完熟です。
★昼食は、鍋の日で、チャンポンだった。大きなナベに、チャンポンを煮る。ナガサキだから、チャンポンだよ。栄養師さんが率先して、調理師さん、職員さんらが準備したり、大変だよ。こちらは、待って、食べるだけだから、ありがたい。感謝しないと、ね。でもホンネを言うと、トマは、チャンポン、2杯で十分です。これだけのチャンポンを、食卓4人。男1人と女性3人で分け合って食べた。
★きのうの夕方です。自室の廊下側が、西にあたる。東のガラス戸から朝日よく見るが、西側の夕暮れは、あまり見ない。夕食を終わって、自室に帰る廊下で見た夕焼けでした。静かに今日も暮れて行く。思わずデジカメで撮った。
★日々、健康で、食欲も、睡眠も、心の安定も、祈りも、安定、変わらないのが幸せです。「人では、なく、悪と、戦います」。どこかで、チラッと見て覚えた言葉が、きょうのシメとなりました。

2019年10月19日土曜日

本会・修道者たちの長崎「兄弟の集い」。楽しみ、祈りと、語らい

「やあ、ひさしぶり」「変わり、なかった?」「がんばって、いるね」。長崎地区、4つの町で宣教している本修道会の修道者たちが18人集まった。
★司祭が9人。修道士が9人。修道士が多いのもチカラ強い。本会の特徴です。コルベ神父さまからの流れがあるんですね。フラテル「兄弟の集い」と言います。(司祭2人が欠席)
★トマは、ホームに入って、兄弟たちと一緒に祈る機会が少なくなった。だから隔月ごとの、この集いを楽しみに参加している。
★午後3時に、諫早の食事処に集合。お互いに顔を合わせると、打ち解けます。先ずは、祈りです。その日の聖務日課を祈る。最後は、ラテン語で聖母賛歌の「サルべ・レジナ」を歌う。これが又、いいんだね。一緒に、声を合わせて歌う。心がワク、ワク、燃え上がりますよ。特にホームの生活は、単調で、寂しいからね。兄弟たちだけで、一緒に祈り、歌うと、修道士の身分がよみがえり、うれしくなり、好きです。
★次に、各修道院からの報告がある。そして各人からの自由な報告・意見もある。ホームから参加しているトマは、聞いていて、「風」を感じましたね。各修道者たちは、各々の務めに応じて、最適な判断をしながら、運営を果たしていく。その兄弟たちの活動に「風を感じ」ました。自分も若い頃は、そうだった。テキ、パキ、やった。今は老いで、アタマの回転も、にぶくなる。とても今の自分には「風」を受け止められない、よく分かるのです。
★足で歩いて、働ける事は、神さまの恵みです。人々が幸せになるように、兄弟たち、皆さんは、歩いている、困難にも立ち向かって解決していく。聞いていて、老いのトマにも、その余波の喜びが伝わってくる。
★報告や意見の後は、会食になる。なごやかになる。楽しいひと時を過ごした。
★来月末に、恒例の聖母の騎士学園の聖劇が、長崎市内の会場で上演される。その報告もあった。題は「ゴルゴタの丘」。2年に1度上演される聖劇で、毎度、好評で、期待されている聖母の騎士高校生たちの劇です。

2019年10月18日金曜日

長崎行。定期の診察。この日は気が重い。帰りの昼食は〇〇だ

ヨゼフ・クリニックへ行く診察の朝です。高原修道士さんが車を洗う。きょうは、5人が車に乗った。
★高原修道士さんが運転。その隣、助手席には橋口修道士さん。長崎・聖母の騎士で、聖ヨアキム・聖アンナ(聖母マリアのご両親)の会がある。高齢者のための信心会です。
★後ろの席に、ホームから聖ヨアキム・聖アンナの会に出席する女性、ヨゼフ・クリニックへ診察へ行くトマと、山内園長神父さん。車が出発すると、ロザリオを唱えた。信心から、きょうの一日は始まる。
★9時前に、クリニックへ着いたのに、待合室には20人程の患者さんが待っておられた。待ち時間が長い。1時間40分は待っていた。高木院長先生から「山内春治神父さま」と呼ばれて、診察室へ。次いで、「ブラザー」と呼ばれて、診察室へ。心電図、血液採取されて、待合室へ戻ると、2時間は経過していた。山内園長神父さんが医院を出て行く姿が見えた。高木先生は「100まで生かす」と言われる。有り難いけど、生きるのも、老いるのもツライよ。
★無事に、診察を終えて、高原修道士さんが現われるのを待った。なかなか来ない。30分程待っていた。携帯を忘れて、連絡がつかない。受付の看護師さんに電話をかりて、連絡した。「隣の道で、もう長い間、待っているよ」「えー、そうなの。知らなかった」。クリニックの脇の道路に車は待っていた。「スマンな。ゴメン」
★帰りの昼食は、ホームでは食べられない料理を感謝していただきました。「神さま、おゆるし下さい。こんなゼイタクをして、でも、おいしかったです」。100まで生きるかな。

2019年10月17日木曜日

むかしの話。イビキ大きい。無呼吸が長い時は3分間、危険だ

きのう、業者が来て、毎晩、鼻の両穴に『はめる』機器を取り替えました。CPAP(シーパップ)機器といいます。
★ホームに入った頃、5年前の、今頃です。寝ているトマのイビキが余りにも大きかった。聞く人がビックリする。ヨゼフ・クリニックのお医者さんに相談すると、国立病院を紹介されて、1晩、入院して、寝ている呼吸の状態を医学的に調べてもらった。
★おどろきました。イビキが、1時間あたり平均約212回。イビキは呼吸の停止や低下によって、発生するそうです。呼吸の停止と低下、つまり呼吸が止まるのは、1時間あたり平均で58回でした。なんと無呼吸状態が、長い時は2分55秒も止まっていた。自分自身、ビックリしましたよ。よくぞ、呼吸が止まって死ななかったモンです。感心している場合じゃない。
★そこで付けたのが、鼻から空気を送るシーパップ機器の利用です。5年前から付けて、毎晩、寝ています。入院の時も持参して、付けて寝ている。業者さんが1年前に来ているので、点検の電話をかけてみた。すると早速、自室に来た。機器も新しくなったからと、きのう、新品と交換しました。写真が、その機器です。電話をかけると、すぐに業者さんが来て処置してくれる。ありがたい会社です。
★この危機は、サンソを鼻穴から送るのでなくて、空気を送る。そのため小さな水槽がある。これを付けると無呼吸が無くなります。状況は、毎月の定期診察のヨゼフ・クリニックに、日々の記録が送られてくる。診察では、その結果を見せられるのです。結果は毎度、良好。安心して休んでおります。
★週に1度は、機器の部品、ホース、水タンク、フィルターの洗浄が必要です。医務室の看護師さんに頼んでいます。まあ、長生きすれば、いろいろ有ると思いますよ、人生には。

2019年10月16日水曜日

「はな」ちゃんに、小クマの縫いぐるみ。でもリンゴが好きだよ

「はな」ちゃん、ホームに来る。やァ、久しぶりだね。かわいいな。赤いドレス、似合っているよ。ヤンチャだね。
★ボクが持っていた小さなクマちゃんを、2つ、やった。うれしそうな「はな」ちゃん。2016年3月2日、おひなさまの時に誕生したから、3歳と8ケ月だよ。保育園に通っている。
★「はな」ちゃんが生まれた時から見守ってきた。「はな」ちゃんの好きなモノ、知っているよ。「リンゴだろ」。きょうは、リンゴはないよ。お母さんの絵里さんも、嬉しそう。介護で懸命に働いている。老人ばかりが食事している食堂に入って来た。
★「はな」ちゃんには、これらの、ジイチャン、バアチャンは、どう映っているのだろう。「ハイ、ピース」。あいきょうが、あるね。クリ、クリした、おメメ。こりゃ、将来、美人に、なるバイ。平成28年に生まれて、令和に生きる。スマホの時代を生きる。
★いや、いや、時代は、もっと、もっと変わるだろう。世の中は便利になる。しかし一番望むのは「ヘイワ」だね。「はな」という名前が気に入った。「はな」のように、美しく育ち、どこの場所でも、リッパに咲いて、まわりの人たちを幸せにする。そんな人に、なれ。
★交通事故に気をつけるんだよ。「はな」ちゃんの写真は生後3か月から、時折々のスナップを大切に残している。写真をながめて、育っていく姿が楽しみだ。「こんど、来たら、リンゴ、あげるケンな。また、おいでよ」
★きょうは、午後から来客がある。だから早めに日記を書きました。

2019年10月15日火曜日

若者に、戦争や原爆の体験を引き継ぐ。平和のために喜んで

大学生の3人が、ホームに訪ねて来た。3年生が1人。4年生が2人。3人とも中学校の教師をめざして学んでいる。
★教師になったとき、「平和学習にチカラを入れたい。小崎さんの原爆の体験を聞かせて下さい」。大学の教授の先生と一緒に、明るい笑顔をみせた。
★ああ、いいですよ。喜んで語りましょう。戦争や原爆を知らない世代に、語り継ぐ願いもある。応接室で、2時間ほど話した。話しに熱が入り、自分でも何やら感きわまってか、涙も出て来た。「録音しますからね。写真も撮りますからね」「ああ、いいよ」。もう、この歳になったら、話したことも、真実だから、あとは、ドウなろうと、キヤなろうとも、いいでしょう。
★応接室には、瀧神父さんも同席した。大学の教授の先生と、瀧神父さんとは親交がある。メールのやり取りも行なっている。「大学生たちは、午後2時に来ます」とトマが知ったのは、瀧神父さんからでした。
★トマの原爆の話は決まっている。17歳の少年が見たこと、感じたこと、行動したこと、そのまま語っている。20世紀の最も悲惨な出来事は「原爆」と「アウシュヴィッツ」だった。体験の中で、人間の解決の糸口として、どうしてもコルベ神父が出て来る。
★「生きるとは、『孤独と出会い』、『愛とイノチ』、これが人生」。この信念は変わらない。母親の原爆死。兄弟はいない。孤独に落ちる。しかし修道士になったお陰で、沢山の出会いがあった。出会いの中でも意味ある出会いが、コルベ神父から命を助けられた男性との3度の出会いだった。コルベ神父のお礼を求めない真実の愛、そして男性が受けたイノチの尊さ。それらを考える時、私にとって、「これが人生」だった、と語った。
★話の後で、瀧神父さんが、ささやいた。「これまで何度も話を聞いたが、新しい部分もあったよ」。おそらく秘めていた出来事、自分に涙が出た出来事だったのだろう、そう思った。
★大学生たちは、レポートにまとめます、と希望に満ちた、明るい顔を残して去った。

2019年10月14日月曜日

お菓子の好物「九十九島センペイ」。食べれば思い出が湧いてくる

「九十九島センペイ」が、佐世保(長崎県内)の親戚から送って来た。これがボクの好物なんです。
★パリッとした「センペイ」の食感。これが、いいんだね。六角形は亀の甲羅を表わしている「海」。ウラを返せば、ピーナツの半分が、幾つも点在している。これが九十九の島なんだよね。
★九十九島には思い出も多々あるし、かみしめながら食べるよ。佐世保の山から暮れ行く海をみれば、西海の海に、小さな島々が点在して、これが又、絶景なんだよ。
★もう何十年前に、「長崎オラショの旅」を主宰して、案内していた。長崎に集合して、平戸へ行くときには、貸切バスで行く。バス内でのガイドは、平戸へ宣教した聖ザビエルの逸話だった。平戸から長崎へ戻るときは、平戸発の観光船を利用した。貸切バスは荷物を積んで、佐世保まで回送した。この観光船は、ボクが満足するガイドをするから、快適に海の巡礼の旅ができる。その辺のアイデアは、ボクの知恵だった。
★観光船は、平戸大橋をくぐりながら、やがて九十九島の美しい島々を巡る。カブト島とか、ライオン島など、ちゃんと名前が付いている。印象なのは、小さく見える田平天主堂。海岸から、かなり高い場所を確認する。天主堂を造るのに、信徒たちは建築資材を船に積んで、あの高さまで上げるのは相当、苦労しただろう。しばらく進むと、赤い塔の教会が見える。褥崎の教会であろう。下神崎教会も瞬間的に見えた。(今は移転して、見えない)。そして忘れてはならないのが、黒島だ。「クルスから、クロシマと呼ばれますキリシタンの島です」と船のアナウンスもあった。こうして船は佐世保に着く。九十九島めぐりは、巡礼の皆さんに喜んでもらえた。なつかしい思い出だよ。
★聖母の騎士修道院からも、復活祭の後の休みには、ドライブで佐世保に行き、九十九島観光船にも何度か乗った。
★そういう思い出をかみしめながら、佐世保の親戚にはお礼の電話をかけたよ。「ありがとうね。楽しみながら、いただくよ。九十九島の海がみえるセンペイだ」

2019年10月13日日曜日

着るもので悩むな。中身が大事じゃ。でもね、スズメはイヤ

「いい、柄もの、着ているね」
★もう2度も言われた。今日も、また言われたから、3度目だよ。気になるよ。「トマさんは、オシャレだね」。耳が痛い言葉だね。瀧神父さんを見ると、今日は日曜日、誰かに会うのか、黒ずくめの上下で、ローマン・カラーまでして、昼食をとっている。こっちは、このシャツだよ。
★ホームには70人程、居るが、目に付く男性は10人程かな。女性が殆どです。観察しておると、毎日、衣装は変わっている。着たきりスズメはいない。また沢山、持っているよ、女性は。
★ボクは、夏の半そで、7分そで、これらは何枚も持っている。夏の終わりから、今ごろ着る上着が、2、3枚しかない。この時期を過ぎると、少し厚めの、フワ、フワした上着になる。これは何枚も有ります。この2、3枚の時期が、これらを繰り返して着るしかない。衣類は全く買いません。以前のままの衣類、上も下着も使っている。
★「このシャツ、どこが良かとね?」「格子になっている、オシャレばい」「そんなモンかね」。ボクは、上着のシャツ類は、前にボタンが付いているのを着る。かぶりものは好まない。カブリたくない。フワ、フワの上着も、みなボタンだ。厚手の毛糸の上着も、ボタンだ。なぜか、カブリもんは、スカン。
★修道士が、そんな事を論じていいのか。中身が問題だろう。こころが課題だろう。タマシイが輝いているか。憂(うれ)うるのは、その事だろう。ホームに居て、人にもまれると、他の事に、こころが流される。
★ここで、喝(カ)ッーと、イッチョ、気合いば入れるぞ。

2019年10月12日土曜日

葬儀に告別式。午後から来客もある。ゆっくり、時間も、なし

ホームでは、午前中、葬儀・告別式が教会で行なわれた。午後から来客があります。きょうは、ゆっくりした時間がありません。
★葬儀・告別式の写真は、遠慮して撮らなかった。90歳で、15年間、ホームで生活なさった。司式した園長神父さんはお説教で、「自分は、『入居者』の言葉は使わない。『家族』です。皆さん、家族です」と強調した。家族が欠けるのは寂しい。
★逝かれた女性は、15年間、ホームの生活でした。最初の頃は、もちろんお元気で、よく屋外を散歩なさっていた。じょじょに老いて行くんですね。最近はベッド式の車椅子に身体をのばして、食堂への行き帰り、廊下で、職員さんが車椅子を押していく姿を度々見ていました。お顔も覚えている。お棺の中のお顔も一緒でした。告別式の後で、ホームの全員でお花をお棺の中に添えて、最後のお別れをしました。
★自分の影が、自室の壁に映る。きょうは、何も書けません。思いが浮かばないのです。
★上の写真は、改築されたホームの建物です。見事に朝日が当たるんですね。部屋も広く、お湯が出るトイレになっている。住み心地のよい部屋に改装されました。ありがたいことです。
★6月に、この部屋に転室しました。洗面台も大きく、広く、美しくなりました。トイレの水が溜まる周辺に、黒ずんだ汚れが付くんですね。汚れに負けないように、ゴシ、ゴシ、こすっています。ホームに入って、5年が経った。きょうの、葬式の後の会話。「90って、まだお若いのね」「そうだね、95歳ぐらいまで生きないと、寿命じゃないよね」

2019年10月11日金曜日

ホームの自室で、入居者が老いて逝かれた。寂しさに沈む

朝食の時、職員がマイクで、「〇〇さんが、今朝、お亡くなりになりました」と告げた。「今日の午後3時30分から、ホーム内の小聖堂において、お通夜が行なわれます。明日、午前中に葬儀があります」
★朝、声をかけると、眠っていたが、目を開いた。また声をかけると唇が動いた。間もなく、看取られて、静かな最期を迎えて、安らかに息を引き取られた、と聞いた。(ああ、そのような死に方を、自分もしたいな)と、つい、うらやましく思った。
★人の逝去を聞かされると、当然ながら自分自身の事と思い、心中、寂しさに沈む。安らかに逝くのが、幸いです。このような静かな最期を、望んでいる。
★人は、長い人生を終えて、この世を終わる。深い悲しみは残るが、誰かが居なくなっても、例え自分が消えても、周囲は全く変わらない。世の中は、平常に回っていく。それが世の常です。人は、それを分かった上で、舞台を降りる。
★ここまで来れば思うのは過去ではなく、これから、どのような人生になるのか、自分の終末を考える。そして神妙になります。神から出て、神に帰る。神のもとに帰れるように、ふさわしい生き方、人間になれるか。そこに人間の弱さとの戦いがあり、常に改心がある。人が生きているのは、自分のチカラで生きているのではない。沢山の、周りの人のチカラ、神の恵みによって生きている。人間には、知られない『ふしぎ』が沢山ある。
★お通夜の祈りに行く前に、そんな事を考えました。

2019年10月10日木曜日

個人1人1人が幸せになれば、ホームも良くなり、平和につながる

今朝、ホーム湯江教会の、祭壇の生け花です。
★むかし、私が出会った老人の話を思い出します。その頃、私は未だ老人ではなかった。
★トノさん(83歳)は若い娘の頃、「本当の神さんは、ひとりしか居ない。その神さんは、キリストだ」と聞いた。
★やがてお年寄りになって、お寺さんのホームに入った。同室(当時は相部屋が殆ど・今は個室)に、ユリさん(84歳)が居た。ユリさんは毎日、静かに『ロザリオ』を唱えていた。「それは何ですか?」「キリストさまです」「ああ、それがキリストさまね」。トノさんは感動して、いつしか「いっしょに『ロザリオ』を唱えましょう」
★ベルギー人の神父さんが時々ホームを訪ねるようになった。ある日、お坊さんに呼び止められ、応接間に通されて言われた。「神父さん、いい信者をつくってください。信者になればモンクを言わない。ケンカもしない。おとなしくなります。ホームが静かになります。みんな喜びます」
★私も、今はホームに入る身となった。あの話は、ホントウやなァと思います。信仰が深まれば、平和になる。ありがとう。ごめんなさい。素直に言える人がジンセイを分かる人です。ウソを言ったら、おしまいよ。
★今朝は、体操の後で、入浴しました。いつも一緒に入る大柄の男性が、先に入っている。彼が私に声をかけた。「老人の日に、挨拶した人は、誰ですか?」「ああ、理事長さんね。神父さんですよ。隣の小長井町に住んでいる」「リッパな方ですな。言われる事が、はっきりしている」
★個人の1人、1人が、幸せな人生を生きることが、世界の平和に通じる。

2019年10月9日水曜日

小さな記事が、どこかで誰かに、信じる思いをよみがえさせる

毎日、午前4時30分に起きる。5時15分に自室を出る。屋外は真っ暗です。教会で、祈りと、ミサ。自室に戻るのが、6時40分。そのとき自室のガラス戸から、美しい朝陽が上がる。夜があける。右側はホームの玄関の塔。鳥のさえずりも聞こえる。オレンジに染まった空には、鳥の姿が2羽写っていた。
★きょうも恵みの日が始まる。こんなに素晴らしい陽の出が見れるのは、大きな喜びです。
★数日前に女性から手紙が届いた。以前、発行した「写真集」の受け取りの令状だった。
★「8月に写真集を送って頂いた者です。お礼が遅くなり、大変失礼致しました。素敵な写真集をありがとう。修道士さま方の楽しそうな笑顔が沢山で、大変な時代にも喜びを見い出し、頑張っておられたことを感慨深く拝見致しました。本日、ブログを拝しましたところ、10月1日は聖テレジアの記念日とのことで、私も『テレーズ』の洗礼名を頂いております。うっかりしておりました」
★そのときトマは思った。10月1日はロザリオの月の初めで、その日の聖人・聖テレジアの記事も載せたが、ああ、やっぱり載せてよかった。どこかで、誰かが、読んで下さって、感じてくれる人がいるんだな、よかったな、と嬉しくなった。
★手紙はつづいて、こう書いてあった。「私が『聖母の騎士』誌と出会ったのは、8,9年前、家族で行った北海道旅行で立ち寄ったトラピスチヌ修道院でのことです。小さな聖堂が庭の片隅にあって、無料の『騎士誌』が置いてありました。中学生の頃に、2年程カトリック教会に通ったこともあり、その後も心を寄せてきたのですが、聖母の騎士誌は私の心を深くとらえ、コルベ神父さまへと導いて下さったのです。騎士誌のおかげで、『テレーズ』を頂きました。これからも大好きなコルベ神父さまを心に留め、信仰生活を歩んでゆきたいです」
★日記の小さな記事が、神さまの導きとお恵みで、どこかで誰かに隠れた所で、通じている喜びを感じました。祈りの『チカラ』を信じます。うれしいお手紙を送ってくれて、ありがとう。あなたと、ご家族のために神さまの幸いを祈ります。

2019年10月8日火曜日

きょう、聖母の騎士に入った日。74年を数える。恵みに感謝

2枚の絵は「まんが・焼けたロザリオ・しおうら・しんたろう作」より。
★きょうは、私が17歳のとき、長崎・聖母の騎士修道院へ入った日です。雨の降る日でした。びしょヌレの少年を迎えてくれたのは、ゼノ修道士でした。ふところの温かいぬくもり。あの日のことは忘れない。長い人生の途上で、少年でも自分で決断しなければいけない断崖があるのです。
★あの少年の足元はどうだったのか。背中はヌレて寒くはなかったか。マンガに描かれた少年の背中を見ながら考える。家も母親も失い、少年はよくガンバッタと思います。この道が用意されていたのです。
★祭壇の前で祈りました。ボクの新しい人生が始まるぞ、と決意しました。昭和20年10月8日。当時の混乱を覚えています。原爆と戦争が終わって、約2か月後です。社会は混乱し、生活難、食糧難、被爆者への差別、冷たい目もあった。少年1人が生きて行くには、余りにも過酷な状況でした。でもボクは、この道を選んで幸せだった。
★コルベ神父が創立の神学校で、勉強も生活も祈りも与えられて、戦後、4、5年は囲いの中で全く平穏に過ごしました。あの頃の出来事が一番楽しかった。数えてみれば「74年」が経っている。よく生き抜いて来られたモンですね。ゼノ修道士さんが、生まれたポーランドの村にも行きました。人生は不思議な縁でつながっている。
★人には天から与えられた何かの役柄があります。苦難があっても、喜びと希望、それだけは持ちたい。神学校では、ポーランド人のロムアルド修道士さんが、「わたしが、助けますよ」と強く支えてくれた。終戦の年のクリスマス・プレゼントは、ロムアルド修道士さんが準備した新品の「学生服」でした。あの頃、彼から頂いたローマ字の手紙は今も大切に持っています。少年が選んだ道は遠いポーランドにつながって、勲章までもいただきました。
★きょうは、ポーランド人修道士さんたちのために、感謝と祈る日でもあります。