早朝、5時15分には教会に入る。一番静かな心の時間。自問自答もある。10月も終わる。ロザリオの月であった。ホームで暮らす人生に、どういう意味があるのだろう。余生をゆっくり送ることか。今日の聖人伝を読む。16世紀のイエズス会の修道士。何十年間、修道院の受付を務めた。お客さんは、キリストさまが来られる。その心で、優しさと愛。聖人の評判が高まった。その修道士も晩年は苦しい病気にかかる。苦しみの中にも、キリストと共に生き抜いた。聖人でも沢山の苦しみがあった。
★信仰とは「幸せを下さい、下さい」だけではない。家内安全、信仰すれば、幸いになれる。願い事が叶えられる。そうではない。信仰に徹した聖人たちも、病気でも、仕事でも、沢山苦しんだ。苦しみの足跡を残している。信仰者は苦しみで試される。本当に愛があるのか。いかに苦しみを受け取るのか。弱音をはいて、つぶやいて嘆くのか。キリストさまと一緒に苦しむのか。先達たちの足跡に倣って、残り少ない今の人生を、キリストさまと一緒に苦しみたい、そんな気持ちになった。
★ホームに居て、何が出来るのか。常に問いつづける。教会を出るとき、「語りべ、がんばりなさいよ」と声をかけられる。「ウン、そうだな」。思いますよ。生きている限りは、ね。
トマさん、私も同じように思います。苦しむ事は多いと。十字架の道行きのお祈りをしていると、苦しむ私に寄り添って歩いて下さるキリスト様を感じます。苦しみに合うとき!試されている愛の深さを感じます。
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