2019年10月11日金曜日

ホームの自室で、入居者が老いて逝かれた。寂しさに沈む

朝食の時、職員がマイクで、「〇〇さんが、今朝、お亡くなりになりました」と告げた。「今日の午後3時30分から、ホーム内の小聖堂において、お通夜が行なわれます。明日、午前中に葬儀があります」
★朝、声をかけると、眠っていたが、目を開いた。また声をかけると唇が動いた。間もなく、看取られて、静かな最期を迎えて、安らかに息を引き取られた、と聞いた。(ああ、そのような死に方を、自分もしたいな)と、つい、うらやましく思った。
★人の逝去を聞かされると、当然ながら自分自身の事と思い、心中、寂しさに沈む。安らかに逝くのが、幸いです。このような静かな最期を、望んでいる。
★人は、長い人生を終えて、この世を終わる。深い悲しみは残るが、誰かが居なくなっても、例え自分が消えても、周囲は全く変わらない。世の中は、平常に回っていく。それが世の常です。人は、それを分かった上で、舞台を降りる。
★ここまで来れば思うのは過去ではなく、これから、どのような人生になるのか、自分の終末を考える。そして神妙になります。神から出て、神に帰る。神のもとに帰れるように、ふさわしい生き方、人間になれるか。そこに人間の弱さとの戦いがあり、常に改心がある。人が生きているのは、自分のチカラで生きているのではない。沢山の、周りの人のチカラ、神の恵みによって生きている。人間には、知られない『ふしぎ』が沢山ある。
★お通夜の祈りに行く前に、そんな事を考えました。

4 件のコメント:

  1. このススキの絵はどなたがお描きになったのでしょうか。
    蒼い林をバックにしたススキ群、根元の枯草、見入ってしまいました。

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  2. この絵は、北海道の親友が、ガンを病み、こう直ぐ逝くから祈ってほしいと、受けたハガキの裏側にあった絵で、いわれや、出処は分かりません。ふしぎな気持ちに誘う絵です。

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  3. 初めてコメント差し上げます。掲載された絵のことですが、遠景の森の描き方の特徴から、もしやと思いネットで調べてみましたところ、やはり東山魁夷画伯の作品でした。私個人としても好きな画家の一人で、昔展覧会に行った覚えもあります。ただこの作品を拝見したのは今回の小崎さんのブログが初めてでした。
    表題は「秋思(しゅうし)」。1988年(昭和63年)の作とのことです。

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  4. ありがとうございました。
    東山魁夷画伯の蒼だったんですね。
    納得しました。

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