2020年5月31日日曜日

聖母月の最後の日。ルルド祭は中止。思い出だけが盛り上がる

5月、最後の日になった。日曜日です。湯江教会の祭壇には、ホームの庭に咲いた美しい「ゆり」が飾られた。
★普段ならば、今日は、長崎・聖母の騎士で、「ルルド祭」が行なわれるでしょう。毎年、ホームからも参加していました。コロナの関係で中止、残念です。
★5月は、聖母月で、特に聖母マリアを「母」として祈り、賛美する月でした。その聖母月も終わりになる。
★「マリアさま」の言葉の響きには、優しさ、温かさがある。潜伏キリシタン達も、秘かにマリアさまだけには「心のつながり」を持ちました。マリアさまの御助け、御導きを感じる者は、幸せです。
★聖母の騎士の「ルルド祭」は、あの場所に、コルベ神父が開設してから、延々と、つづいています。トマにも、ルルドには、いろんな思い出がある。原爆前、病気が癒えて、最初に、母親が連れて来たのが、ルルドの聖母の所だった。ここは、以前から、都市の雑音や、汚染を離れて、静かで、清らかで、心休まる場所になっています。
★近くの思い出は、103歳で、神に召されたセルギウス修道士が、ルルドの担当を果たして、清掃をしたり、巡礼者に声をかけたり、出会いを楽しんでいた事です。いまは、白浜さんが、その務めを引き継いでいる。
★戦後、間もなくの小神学生(中・高)の頃は、神学生が120人ほども居たので、聖母月には、ポーランド習慣の「聖母賛美のアカデミア」がルルドで行なわれて、聖母を讃える論文や、歌で盛り上がりました。
★永井隆・博士が、原爆で負傷して、意識を失ったとき、「みどり夫人」のお母さんが、聖母の騎士のルルドのお水を飲ませて、生き返った奇跡も起こった。永井先生自身が書いた記録がある。コルベ神父のルルドのお水は、沢山のお恵みをもたらした。
★ルルドの広場の下に、コンクリートのトイレがあるが、1人の男性が、トイレに1ケ月余りも引きこもり、修道士たちをおどろかせた話題もある。
★コルベ神父は、6年間、長崎に滞在し、その後、ポーランドへ帰国し、ニエポカラヌフ修道院の院長になる。やがて、ナチスとの大戦が始まり、逮捕される寸前、主だった修道者たちを集めて、最後の晩餐を開いた。そのとき、「自分は、マリアさまから、天国を約束されれた」と、秘密を打ち明けた。「どの場所で?」と聞いたが、コルベ神父は答えなかった。長崎のポーランド人のある修道士は、「おそらく、このルルドでは、ないか」と信じている。コルベ神父は、毎日、ルルドにお参りしていた。喜びであり、最も好ましい場所であった。
★コルベ神父の時代(戦争前)のルルドは、今のマリア像ではなく、小さなマリア像が置かれていた(場所は同じ)。誰かは知らぬが、度々、石で、マリア像が粉砕される事件が起こった。コルベ神父は非常に悲しんだ。割られても、また、マリア像を置いた。ゼノ修道士が、たまりかねて、町内会長を訪ねて、「人は、誰でも、宗教を大事にする。わたしも、ホトケさま、大事にする。あなた方も、マリアさま、大事にします」と説得すると、マリア像が安泰となった逸話もある。
★「生は1度、死も1度です。ですから聖母マリアの御心に叶った生死でありたいものです」「臨終の時に、誰でもが、何が有益だったかということを知ります。しかし残念な事には、健康である時いは、それらの事を考えないことです」(コルベ神父の言葉)

2020年5月30日土曜日

従姉のシスターは、ジャンさんと言う。孤独のトマを励ましてきた

シスター・ジャンと呼ばれている、父方の「従姉」です。歳は、トマより1つ上。ジャンとは、フランスの聖女ジャンヌ・ダルクからの修道名です。教会では、今日、「オレルアンの乙女」聖女ジャンヌ・ダルクを記念しました。シスターのお祝いです。ミサのとき、シスター・ジャンのため、祈りました。
★「従姉」のジャンの父は長男で、兄弟の三男が、トマの父親になります。トマには、子供の頃から、父は亡く、兄弟も居ない、ジャンは、寂しい身の上を案じて、優しい心遣いをしてくれました。
★シスターになってからも、トマのことを心配して、入院した時は、見舞いに来たり、慰め、励ました。最近は、シスター自身が病む身になって、引退はしているが、最後まで奉献生活を貫くと頑張っている。
★今は、毎日、書いている「トマの日記」を、長崎の白浜さんが、1ケ月ごとに、文章に起こして、シスターの修道院に届けてくれる。「それを読むのが、楽しみです」と、喜んでくれている。シスターの道を選んだジャンも、色々と苦労があったと思うが、生涯、炊事場係りの担当として働いたので、どのシスターからも「料理=食べ物」で、つながっており、「ジャンさん」「ジャンさん」と慕われているようです。
★最近は会うこともないが、トマも、シスターも、生かされている事に感謝し、最後まで頑張ろうと誓い合っている。シスター・ジャンは、写真に撮られるのを好まず、探しても、1人で撮ったのが無かった。トリミングして、やっと1枚、載せた。
★人生に、苦しみは一杯ある。聖人たちも皆、苦しんだ。苦しんでこそ、霊的成長がある。苦しみから、逃げない。十字架のイエスをながめ、誠実に生きよう。キリストと共に苦しんだ者が、キリストと共に復活の喜びを味わう」

2020年5月29日金曜日

神父さまと、修道士。服装は一緒。え?どう違うの?説明に困る

左が、大野神父さま。右が、トマ小崎修道士。同じ修道服を着ている。イタリア・アシジの聖フランシスコを師父にする「フランシスコ修道会」の修道者です。修道服も同じ、修道会も同じ、なぜ、神父さまと、修道士は、どこが違うの?
★トマも、この修道服を見て、「神父さま」と呼び掛けられる時がある。すぐに「神父じゃ、ないんです」と打ち消します。すると「神父と修道士は、どう違うの?」と、こうくる。説明するのが、いつもオックウになります。
★神父も修道士も「生涯、神さまに奉献したい」心は一緒です。でも、人には能力がある。哲学・神学・語学などを学ぶ能力があれば、司祭=神父の道に進んでいく。神学生になる。一定期間、学び、本人の希望と人格が保証されれば、公に、教会に於いて、司教さまの手によって、司祭の叙階を受ける。秘跡の執行や、信徒の司牧、宣教活動に尽力を尽くす「神父さま」になります。
★一方、修道士は、同じ服は着ているが、主に修道院内で労働しながら神に奉仕する。仕事は様々です。受付、炊事、営繕、洗濯、農業、印刷などで、修道院を支えている。トマが入会した頃は、聖母の騎士に、ポーランド人の修道士が多かった。みな、それらの分野で、よく働いていた。カシアノさん、マチアさん、特に、ゼノ修道士などは、抜群の愛嬌タレントを持っていた。70年代、80年代は、聖母の騎士に、日本人の修道士も多かった。司祭の道を歩んでいたのに、修道士(優秀)になった人も、5人はいる。
★司祭修道者(神父)は、ミサを捧げたり、お説教をしたり、告白を聞いたり、結婚式、葬式など、信徒やシスターに直接、奉仕するから、期待され、尊敬される。教会やシスターのお祝いの式にも招待状がくる。修道士は、ジミで、招待状はこない。
★修道者として、お互いに「兄弟」と呼び、差別はないが、区別はある。コルベ神父は、この壁を打ち破った。修道士に技術を与え、700人に及ぶ世界でも最大の修道院(ニエポカラヌフ・聖母の園)をポーランドに創立した。
★最近は、修道士も、専門知識を学んで、福祉や、学校、宣教、その他、種々の分野で活躍している。
★イタリア・アシジの聖フランシスコ修道院では、感心した。この修道院(写真)には、聖フランシスコの御遺体がある。私たちの修道会の聖地だが、ここでは修道士も司祭も全く同等だった。食事の時、若い神父が、修道士の奉仕を果たし、食器も洗っていた。食堂で、日本人の修道士は背筋をまっすぐ、院長の近くの席に座っていた。トマは、1週間ほど滞在したが、司教が宿泊する豪華な部屋に泊まらされた。窓からは、ウンブリアの素晴らしい広大な風景が見えて、感動した。
★以前の話だが、長崎で、カトリック高校生集会があった。その時の質問に、「なぜ司祭には、神父さまと『さま』を付けるのですか」があった。若手の司祭が壇上にあがって、色々と説明していたが、ラチが、あかない。その時、老齢の司祭が登壇して言った。「むかしは、シスターには『童貞さま』、修道士には『行者さま』と言ったんだよ。戦後、アメリカ式になって、シスター、ブラザーと言うようになった。シスター、ブラザーには、『さま』を付けないよね。ファーザー(神父)『さま』って言わないモンね」。ご名答。だが、トマは「ブラザー」は好きではない。「修道士」で、いい。

2020年5月28日木曜日

冷やしソーメン、食べて、スズメの歌声、聞いて、ホーム生活楽し

コロナの影響で、職がなくなり、食事もままならぬと、報道があるなかで、すみません、ホームでは恵まれた食事を定時に頂いております。
★今日の昼食メニューは、冷やしソーメン、混ぜごはん(少々)、玉ねぎのかき揚げ、抹茶ミルクゼリーでした。
★もちろん、ソーメンは、この量だけでは、足りませんね。お代わりを追加して、涼しくなるよう食べました。
★最近、日中、スズメが、チュン、チュン、うるさい程、鳴くのです。意味が分かりました。戸の前を、行ったり来たり、おかしいなァ。なんだ、あの壁の、空気穴が巣なんですよ。スズメが入るのを見てしまった。
★ベランダのすぐソバまで、姿を見せる。スズメは警戒心が敏感です。「スゥーッ」と逃げる。「だが、見つけたぞ。楽しみだな。スズメの歌声もいいが、巣も、のぞいて見たいなァ」。暮らしの近くで、スズメの声を聞くのも、慰めになるよ。老人の耳は遠いが、心は敏感だからね。まだ、まだ「喜楽」を感じる心情は有るよ。
★ホームのスズメは強引なところがある。以前は、ツバメが良く姿を見せて、飛んでいた。炊事場の横の職員入口の上に、ツバメが巣を作っていた。それをスズメが壊すんだね。ツバメは、野生のスズメに負けるよ。かわいそうだな。許せない、と思ったが、自室の近くにスズメが巣を作ると、かわいいと思うね。いずれにしても生きるって、困難が有るよ。
★冷やしソーメン、食べて、スズメの音楽、聞いて、ホームの暮らしも、幸せで、楽しいよ。「いま」を肯定するのが、満ちた生き方でしょう。
★ボヤッと生きるか、アンテナを立てて生きるか、同じ生活でも、みのりが違う」

2020年5月27日水曜日

登明「話の小箱」神父館のスピッツ嬢は歌う。残念、讃美歌NO

生まれたばかりのスピッツ、メス犬を、五千円で、ペット店から買ってきた。教会に遊びに来ていた男子の中学生が、「さびしいよ」と言うので、神父さんが買いに行かせたのだ。
その犬に、「チロ」と、名前をつけた。
ところで、神父さんは、少年の頃から、バイオリンを上手に弾く。独学ながら、なかなかの腕前で、地元、都市の交響楽団第二バイオリンを、5年つとめた経験もある。
チロが2歳になった時、神父さんがバイオリンを弾くと、声を合わせて歌うようになった。「あれ?このスピッツ嬢、ヘンだぞ」
長く弾くと、「ウワーーァ」と長く、短いと、「ワン、ワン」と短く、とにかく弾いている間、声高らかに歌いつづけるから、見事なモンだ。神父さんは愉快になった。
教会付属の幼稚園でも、園児や先生たち、父兄にも大人気。愛された。
「ギー、ギーと、成らすだけでは、ダメですな。モーツアルトも、バッハも調子が出ない」。ベートーベンの交響曲第一番、アレグロの部分をよく歌った。どうやら、ベートーベンに共鳴する何かが、あるらしい。
さて、チロ嬢が、9歳になった時、ある日、信徒のNHKカメラマンが、司祭館を訪ねた事から、「こりゃ、オモシロか、ですばい」と、マスコミに注目されるハメになった。
それからが大変、出るわ、出るわ、テレビに、ラジオに、地方版から全国版へ、果ては、その年の10大ニュースにも登場した。
民放テレビにも、3局に出演。一躍、神父館のスピッツ嬢は「話題の女王」となる。神父さんは、ホク、ホク、だよ。
「うちの犬は、人間の2歳ぐらいの言葉の理解力があるんですよ。ただねぇ、これで讃美歌に共鳴してくれると、嬉しいんですがね」。讃美歌は、NOのチロだった。
★1枚の写真が、トマの手元に残っている。
あれから、もう何十年が、経ったであろう。あの頃、トマは、度々、神父さんの所へ行った。神父さんは、聖像造りも、手掛けていた。30cmほどの、色塗りの「聖コルベ神父像」をもらった。神父さんの優しさを忘れない。
★トマは、いま、ホームに居て、朝食前に、必ず見るテレビがある。「きょうの、わんこ」だ。トマは、ネコより、イヌが好き。イヌの中でも、好きなのは「柴犬」だ。スピッツの写真を横にして、柴犬というのは気が引けるが、柴犬は、トマの性格にも合っている。イヌ、ネコは、ホームでは飼えない。職員が時々、ネコを連れて来る。「やっぱり、かわいいよ」
★午前中、ホームで「懇談会」があった。職員から「6月の予定」が告げられる。意見があれば、手をあげる。栄養士さんから「手洗いや食中毒」の注意もあった。
★昼食の時、瀧神父さんに、トマが言った。「昨日の『日記』に『誕生日のこと』を書いたからね」「ああ、そうか。だから今朝、ミサ後に、夫妻から『おめでとう』言われたんだ」「日記のコメントに、2つ、いい事、書いてあったよ。読んで、な」「ウン」

2020年5月26日火曜日

瀧神父さん、誕生日。89歳。お元気です。一緒の生活、心強い

今朝、朝食のとき、食卓に、職員からの「瀧神父様」へのお祝いの白い封筒が立ててあった。「ああ、そうだ。今日は、瀧神父さんの誕生日。食卓に、「おめでとう」。湯のみで、「カンパイ」の声があがった。89歳になった。今朝の、瀧神父さんの表情です。ホームの生活は、3年になる。
★「足が、弱ってきたね。カラダは前より、元気になったよ」。職務を降りたから、肩の荷が楽になった。うれしそうに、ほほえむ。トマ修道士も、瀧神父さんが居るので、こころ強い。
★喜界島(鹿児島県)の出身。「いつまで、喜界島に居たの?」「高校に入るまでだね」。喜界島は、丘になっている。山の高さは、200m余り。「203高地と呼ばれていたね」(昭和ひと・けた生まれは、わかるな)。「人口は、1マン人ほど居たが、いまは、8千人ほどかな」。やっぱり、故郷は、なつかしい。「自分の時代を、10年ごとに、区切ってみれば、どこかの地に変わっているね」
★テレビは余り見ない。いまは「スマホ」のSNSで、限られた人と親睦を深めて、楽しみにしている。コロナの流行前から「マスク」は、いつも使っていた。
★5月生まれを、まとめて祝う「誕生会」で、瀧神父さんが1曲歌った「アーメン・ハレルヤ」は、皆さんを沸かせた。神父さんの存在は、ホームでもチカラになる。司祭として、長年の経験から、信仰や、生き方を教えてくれる。月に1度は、湯江教会でミサの司式をなさって、お説教も聞かせる。大きな声で、評判が、いい。
★スマホから、パパさまのお話を聞いて、私たちにも伝えてくれる。シンの有る神父さんだから、「ビシッ」と、意見を通すね。また、良く、何でも知っているよ。博学だね。
★当・修道会で、最年長者は、トマ小崎修道士、次が沖縄に居る神父さんで、次が東京に居る。4番目が瀧神父さんとなる。5番が、濱田神父さん。5本の指の「3人」が、湯江に居る。
★修道者は、修道院で暮らすのが、一番の幸せだ。でも、可能でない。ホームの生活でも、近くに、こうして修道者が居てくれると、身分、祈りを忘れず、「つながり」を、しっかりと感じて、こころ安らかな晩年を過ごせる。
★日記を読まれる皆さん、ご縁と、祈りで、支えてください。「今日は、長崎は、アメだった」

2020年5月25日月曜日

毎日、通る廊下に、2人神父の小さな額。人は如何に痕跡を残すか

介護の詰所の手すりに、何気なく置かれた、2枚の小さな額。2人とも、過去の園長神父さんです。やはり、介護の職員さんの思いに、何か残っているんですね。「痕跡を、残す」という記憶ですよ。
★毎日、食堂へ行く度に、往復、この小さな額がトマの目にとまる。神父さんで在りながら、心底、介助の手助けを勤めた。その行為が、ホームの職員に、何気なしに、受け継がれ、置かれつづけている。要は、「気づかい」「思いやり」ですよ。何が、「痕跡」として、残っていくか。いま頃の職員さんは、2人の園長神父さんを知らないかも知れない。だが、額は残されている。ホームの介護の「タマシイ」のようなモンだね。
★右側の額が、初田徳一神父さんです。広い芝生の庭に、大きなマリア像を建てて、周りに池をつくった。赤い屋根の家も建てた。この庭で入居者と一緒に、汗をながして「ゲイト・ボール」に励んだ。
★左側の写真は、坂谷豊光神父さんです。老人たちを、チカラづけ、慰めるのが、ウマかった。
★2人とも故人となったが、いつまでも痕跡を残す人は、何か、そこには「秘めた宝」があるからと思う。もともと「痕跡」という言葉を教えてくれたのは、作家の遠藤周作さんだった。
★遠藤先生と対談した時、「コルベ神父のような『痕跡』を残した人はいない」とトマに言った。アウシュビッツを訪問した後、ホテルに帰って、あの地を踏んだクツを捨てた、とも言った。強烈な印象を与えるのが、痕跡だろう。「彼(コルベ神父)でなければ出来ないことであるから痕跡を残す」と、遠藤さんは定義を言った。
★長年、ホームに勤める職員に、「なぜ、この額を置いているのね?」と、額のソバで聞いた。(そう言えば)と、不思議そうな表情をして、「わかんない」。
★やっぱり、何か、有るんだな。惹かれるものが。置かれる理由が。ついつい、この額は残してしまう。「彼しか、出来ない」とは考えられぬ。額に残してもらいたいとも思わないが、まあ、2人は幸せだよ。
★「言葉が、ウマイ」「説得、じょうず」だけじゃ、感心せんね。何かが、人のこころを、捕らえる。もちろんトマは、初田神父さんを知っている。オモシロか、神父さんやった。坂谷神父さんには、ずい分とお世話になった。記事を取材し、書く面でね。人のこころをツカムのが、ウマかったな。「痕跡」に、理由は、なかろう。

2020年5月24日日曜日

ありがとう、すみません、お元気で、これで、ニッコリ、人生感謝

のどかだが、暑さの日曜日。静かに、呼吸する。ウグイスが、しきりに鳴く。山から、風が、吹いてくる。何事も、起こらない毎日です。食べさせてもらって、ありがたい。
★昨夜は、よく、眠れたか。毎日、大のトイレはあるか。歩くのは、シンドイか。いつもアタマにあるのは、このことです。クリアすると、安心する。
★「ありがよう、のヒト声。ニコッ、と、ヒトかお」。今の心境ですね。そう、ありたいが、望みだね。でも結構、難しい課題です。己は、主張、文句、守備のカタマリだからね。
★お偉いお坊さんが、言われた。「結局、『感謝』『ざんげ』『報恩』この、3つ」。やさしく言えば、感謝は『ありがとう』、ざんげは『すみません』、報恩は『お元気で』となる。ありがたや、ありがたや、と、こころに、ひびく言葉です。
★自室のスピーカーが、「いま、事務室に、お客さんが、来ています。『ツバキの間』で会ってください」と告げられた。トイレに居る時だった。おおよその思いは、ついていた。月の終わりの日曜日だから、長崎の白浜さんが、「ルルドの水」と、「日記・4月分の綴り」を持って来られたのだろう。携帯で、事務室にかける。「お客さんに、変わって下さい」。白浜さんと話が出来た。事情を聞くだけで、帰ってもらった。
★しかし、やっぱり、すぐ後で、後悔しました。「せっかく、来てくれたのだから、降りて行って、会えば、よかったのに」。(配慮が、足りなかった)と、自分を責めた。
★ありがとうのヒト声。ニコッと、ヒト顔、実行しなかった。人間って、いいこと、ばかり言って、実行は、しないなァ。ごめんなさい。

2020年5月23日土曜日

スズメが又、祈りのジャマする。1枚の写真。聖コルベ館の思い出

ロザリオの祈りの中で、また、チュン、チュン、鳴く。空を見る。きょうは、青空だ。すばらしい空で、小鳥が鳴く。
「やめて、くれよ。相棒は、来ないよ」
いつもの場所で、待っている。
「さびしかろう」
相手が、ウマク来たら、撮ってよろうと、構える目。
「祈りが、できん、ばい」

★「アーッ、飛んだ」。デジカメで写した。
小さく、スズメが、見えますか。
手前が、自室。カーテンを開けて、戸を少し開いている。ホームの屋根に、いつも同じ場所に、停まるのです。
「かわいい、ね」
ホームの生活は、単調だからね。
祈りを、また、つづけた。
★1枚の写真。「94.10.18」の日にちが入っている。「登明メモ」で探した。その日に、次の記載がある。
「霊能者・冝保愛子さんが、19人の女性と(聖コルベ記念館へ)来た。『先生』と呼ばれている。確かに、テレビで、何回も見たことのある女性だ。(70年代から90年代に、よくテレビに出ていた)
★『聖コルベの部屋』(写真)に案内した。『餓死の地下室も、丁度、この部屋ぐらいです』。冝保さん、『そう、そう』と、うなずく。『私も行きました』。トマが『椅子にお座わり下さい』と勧めた。普通の人は興味深く座るのに、冝保さんは、座らない。ジーッと、粗末な木製の椅子を眺めて、黙り、その場に跪き、しっかりと椅子を抱きしめた。周りには見守る女性群がいる。冝保さんは、アタマを垂れて、祈るかのように沈黙がつづいた。
★すると、突然、部屋の電灯が、パッと消えた。『アッ』と驚きの声があがる。停電なんか全くないのに、不思議だった。これにはトマも、(霊能の仕業か?)と、さすがに驚いた。電灯は直ぐに点いた。皆、ホッとする。電灯がつくと、冝保さんは立ち上がり、ひと言いった。『私たちは、いろんな代わりは出来ますけど、イノチの代わりは出来ませんね』
★トマは、『この部屋に、霊がうごめいている』と言うのではないか、その発言を待った。しかし何の反応も示さなかった。というのが、この土地には、霊がうごめいているハズである。この土地は、もともと墓地であった。それを知らずに、コルベ神父は土地を購入した。修道院を建てる時、たくさんの骨が出ている。トマは、(冝保さんは、本当に霊能者か)と疑った。
★確かに修道院では、霊を慰めるために、遺骨を集めて、聖ヨゼフのご像の横に、慰霊碑を建てた。そして、もう何十年も、毎水曜日に、全部の祈りが終わった後で、修道者全員が、ご像と碑の場所に集まって、「無縁者のための祈り」を捧げている。(これら、修道者の祈りが、効いているのかな)と、トマは内心、考えた。冝保さんは、「コルベ神父さまの本も読みました」と好意を示して、住所と名前をサインして、去った。1週間ほどして、「もう1度、見せて下さい」と再度訪れた熱心さに、トマは敬服した。「ぎぼ・あいこ」は、忘れられない人になった。
★修道院の夕食時に、冝保さんが来たこと、電気が消えたことを話題に出した。すると印刷部の修道士が、『間違えて、一時、スイッチを切って、停電させた』と語った。
★その後、ある年の正月休みに、温かい所で過ごしたいと、沖縄へ飛んだ。(長崎ー沖縄、直行便がある)。国際通りの本屋に入った所、目の前に冝保愛子さんの本が何冊も並べられていた。冝保さんは、沖縄出身だと聞いていた。また既に亡くなられたも聞いた。それでも現地では人気があった。
★きょうは、写真を見て、あの「電気が消えたこと」、「イノチの代わりは出来ない」など思い出す日となった。

2020年5月22日金曜日

あなたの心、わたし達の心、いっしょ。聞こえない声でも、有る

いつも、朝の夜明けの風景に、心が惹かれます。今朝も起きて、カーテンを開くと、この空だよ。思わず「きれいだなァ、すがすがしい朝や」。すぐデジカメに手が伸びる。「きょうも、一日、変わらぬ、いい日で、ありますように」。祈りは、この瞬間から始まる。
★ホームに来てから、手紙を頂く中で、「五島の巡礼」に行きました、と教会巡りを知らせる人が、時々居ます。
★ホームの入居者にも、五島出身の女性が何人も居るし、「帰りたかなァ。五島へいっぺんだけでも、帰りたい」と、嘆く声も度々聞く。トマも、40年頃まえは、多くの巡礼者を案内して、長崎・外海・平戸・五島・天草とまわった。「長崎オラショの旅」という。
★旅では、終わって、最後の言葉が、いつも、こうだった。「参加された皆さんの教会は、小さく、信徒数も少ないかも知れません。しかし長崎へ来て、長崎や、五島の信徒さん達と共に交わり、ミサに祈って、言えることは、皆さんの信仰も、わたしの信仰も、長崎の信仰も、皆、同じだということです。コルベ神父も、ゼノ修道士も、ド・ロ神父も、永井博士も、皆、同じ心、同じ信仰と思って下さい。最後の潜伏キリシタン達は、プチジャン神父を訪ねて告げた。『あなたの心、わたしたちの心、同じです』と。オラショの旅のねらいは、その『同じ心』の体験にあります。そして個人の信仰の回復にあります」
★「キリスト教は、愛と赦しです」といえば、一般の社会人にも、よくわかる。愛と赦し。そこが一般人との接点となる。キリスト教は愛と赦しを説くゆえに、それだけで素晴らしい教えではないか。なぜ、もっと、愛と赦しを深めないのか。心に刻まないのか。
★愛の元は、神の愛。キリストの愛だから、わたしたちも愛に生きる。また赦しなくして、人は安らぎを得ない。「ごめんなさい」。人にも言い、神にも言う。人間の生き方は、こうでなければと思います。
★神を愛し、神に祈って、確かな反響はあるのか。殉教者たちは、私たちと違って、雄々しく生命を捧げた。彼らの汗は流れ、血は飛び散り、凄まじい状態があった。でも肝心の神の声は聞こえない。神の助けもない。天使も現れない。それでも尚かつ殉教者たちは、神を証(あかし)して死んだ。これが先祖が通った道です。
★人生って、なんだ。営々とした小さな、いとなみ。私たちの日々の生活で、迷いもあるさ、悲しみもあるさ、その中にあっても、神の現われも、天使の歌声も聞こえないかも知れない。しかし、信じて、希望を持ちながら、助け合って、光を見つける。それが私たちの人生じゃないでしょうか。

2020年5月21日木曜日

お任せの気持ち。もう、いいです。オマケの人生です。日にち決定

病院の、玄関前、屋根付きの場所に、車を停める。高原修道士さん、急いで、車椅子を持ってくる。それに乗る。高原さんは又、あわてて駐車場へ。やがて車椅子を押されて、院内へ。いきなり熱を測られた。6度3分。高原さん、6度5分。「ハイ、よろしい」。1階の人数が、普段より少ない。
★2階の「泌尿器科・外来」へ。次は3階の「総合検査科」へ。尿の検査のみだった。普通、血液検査もするのだが、なし。普段は検査科には30人ほどの人が待っているが、1人も居なかった。コロナの影響は、仕組みを変えている。尿を採取したら、すぐ泌尿器科の外来へ戻った。外来は、コロナの影響は、なし。普段のように、7、8人が椅子で待っていた。結局、誰も居なくなったところで、「高原さん、写真、撮って」と頼んだのが、これです。
★先生から、名前を呼ばれたのは、その日の診療の最後だった。「調子は、どうですか」「尿量が減っているようです」「足のむくみは、ありますか」。先生が、足をさわる。「むくみが、なければ、大丈夫です。暑くなる、気候の変わりも、ありますからね」「血液検査、しませんでした」「いいです。今度、しましょう」。先生は、パソコンをパチ、パチ叩く。「ステント入れ替え、いつにしましょうか?8月初めか、7月の終わり?」「7月の終わりが、いいです」「じゃ、決めましょう」。7月の終わり頃に決定する。
★カラダの事は、あまり心配しないように、しよう。お任せの気持ち。もう、いいです。オマケの人生です。
★我は、原爆で助かった。腎ゾーひとつで生きてきた。92まで生きて来た。世界に何十億の人間が居ようとも、この三つが合うのは、我、ひとり。恵まれた、すばらしい人生やった。同じように、君にも、君だけの、すばらしい人生が、ある。

2020年5月20日水曜日

午後は定期の診察へ。午前はホーム「礼拝の日」。はやめの日記

コロナの感染拡大で、自粛ムードがつづいていた。2日前(今週)になって、少し緩和される。ホームでもお知らせがあった。毎朝、教会へも行けます。予約のリハビリ、歯医者さん、などへの通院も出きます。長崎県の感染者は17名。もう1か月は出ていない。しかし安心は出来ない。マスク、手洗いは習慣になっています。
★きょうは、昼食後、高原修道士さんの介護・運転で、諫早総合病院・泌尿器科へ定期の診察へ出かけます。気分的には、重みになりますね。多分、次の「ステント入れ替え」の月日が決まるでしょう。4か月毎に入院は、歳に、こたえます。でも、「入れ替え」なしには、生きては行けない。ガマンの「しどころ」です。十字架、かついで、進みしかあません。午後から、日記は書けないでしょう。
★「なぜ自分だけが苦しむのか。他人がうらやましい。その気持ちが有る間、救いはない。苦しみは自分の一部になる。有っても、いい。それを抱いて、自分のものとして生きて行く。この道しかない。受け入れてこそ、道は開ける」
★午前中、書く時間があるな、と思えば、きょうは10時からホームの「礼拝の日」になっている。毎月、1度、入居者のために、園長神父さんのミサとお説教があります。6時のミサに祈ったのに、また参加するわけです。
★ミサを終わって、いま自室に戻った。車椅子の人たちも、大勢、参加して祈っていた。コロナ収束のためにも祈りました。洗礼を受けていない入居者の姿もあった。
★「本当の聖成とは、神の国の喜びを感じることではなく、キリストのため苦しむこと、自分に打ち勝つことにある」(十字架の聖ヨハネ・16世紀の聖人)

2020年5月19日火曜日

70歳、80歳、90歳。歳と共に、気持ちも変わる。何が真実か

七十歳。昨夜は、よく、ねむれたか。クスリなしに、ねむれたか。よし、よし。健康の第一歩。小便をすると、尿がキラキラ黄金に光る。すごく嬉しい。生かされているなァと思う。自分が生きたとは思わない。生きている不思議がある。自分が生きたのじゃない。答えは、ある。奥がある。理由がある。歳を取ることで、長い年月かけて、それがわかる。人間の幸福は何処にあるのか。外にはない。自分の中に与えられている。自分を掘ってみよう。自分を追及してみよう。それ以外に、幸福に成りようがない。自分を、最も低い存在として捕らえる。その存在の目で、上を見よう。空を、地を、草を、花を見よう。恵みは輝いて見える。それが幸福です。
★八十歳。長崎は坂の町である。住まいは特に急な坂になっている。最近、どうも息切れがする。まだ、そんなに歳でないのに、と思いつつも心臓の薬をしばらく飲んでいた。ところが、どうも心臓ではないらしい。肺活量を吹いてみた。身長・体重を計って、歳から計算すると、普通、三千CCはあるはずなのに、私は千六ⅭCしかない。つまり五十五パーセントしか可動していない。原因は、少年時代に患った胸の病気で、その後遺症が出ているようだ。呼吸はじょじょに低下していく。腎臓もそうだろう。人生という流れは、思想も健康も一本筋が通っているものなのか。誰もが、何かを、信仰して、生きている。宗教者も、科学者も、巷の人も、信じて生きるのは、人間の秘めた力になっている。
★九十歳。これまでは、大量の人と出会う。大量の人に語りかける。大量の物を集め、情報を流し、甚大な影響を他者に与える。こうして大量の「もの・人」と触れ合う。これが「偉い人や」と思い込んでいた。世間の目標も、それだった。ところが、この歳になると、気が付く。大量でなく「一・イチ」だ。個々の、あの1人の人の、悲しみ、苦しみ、痛みを分かってあげる心、1人で、いい。個々で、いい。その人が笑えば、いい。ほほえみ、あれば、いい。その1人との出会い、ご縁を大切に、手を伸ばしたい、宝にしたい。そんな気持ちに変わってきた。歳のせいで、心が狭くなったのか。そうじゃ、ない。真実が欲しいんです。人間は、大きな目標でなくても、小さな目標でも生きていける。
★九十二歳。主イエスの教えを学びたい。➀愛することです。②赦すことです。③己の十字架を取って、主に従うことです。「ハイ、主よ、歩きます」

2020年5月18日月曜日

また又、スズメが、しきりに鳴いた。ウルサイほどだ。かわいそう

きのう、午後、日記を書いた後、「教会の祈り」を唱える。その後、イスを戸から屋外にむけて、ゆっくりの気持ちで、ロザリオを唱える。その頃、時々、青空に、白く、真っ直ぐな飛行機雲が伸びて行く。東へ向けての飛行機だろう。さっきから、スズメが、やかましく鳴く。「ピイ、ピイ、チュン、チュン」。泣くのを、やめない。相棒を呼ぶのだろうか。もう1羽、ソバに寄ってくると、いいな。見ている。祈りが出来ない。
★5分、10分、15分経っても、鳴きつづける。ジーッと、スズメを見る。こんなに鳴いているのに、なぜ寄ってこないんだろう。切ない気持ちになる。いつも、鳴いて、とまる場所は決まっている。もう1羽、来たら撮るぞ、構えているが、来ない。スズメは毛つくろいをしている。こんな広い空間で、1羽の相手をみつけて、巣をつくる。ふしぎやな、と思う。小さい体に、超・緻密な細工があるのだろう。
★いま、女性の職員が、トン、トンと、ノックして、自室に入って来た。「来月、父の日がくる。手芸で、花をつけた。余白に、何か、父の日の言葉を書いて下さい」と、A4色紙・数枚、頼んでいった。「父の日、ねぇ。父は、7歳のとき病没し、思い出なんか、なにもない。言葉は、浮かばないねぇ」
★それでも戸の外の景色を見ながら考えた。きょうは雨で、スズメは居ない。「父のヒザ、固いが温かい」「父(とー)さんは、家の大黒柱」「写真の父、歳を取らない」(どれも平凡だね)。「全世界の父、パパさま、お健(すこ)やかに」(これは、いいぞ)。他に、父の匂い、足音、声などが、あるはずだ。
★日記を読んでおられる皆さん、コメントで、「父の日の言葉」を幾つか教えてください。来月、父の日には、ホームでは、今度は、女性職員が総出演で、ゆかいな「出し物」が出るでしょう。期待して、いいですよ。

2020年5月17日日曜日

信徒も、ミサで、祈る日曜日。ホームでは生きるのが精イッパイ

日曜日。ホームでは、今日から、信徒たちは、ミサで祈ることが出来るようになった。祈り台も、広く間隔があけられ、聖体拝領のため、床に線も付けられた。マスク着用。最近は、立ったまま、祈るのが、体力的に厳しくなった。杖を持って、聖堂に入る。アタマが、フラ、フラ、します。
★世界中が、コロナの感染で苦しんでいる。祈りました。コロナのための願い事は沢山あります。
★ホームに居て、自分には何が出来るでしょうか。「受ける恵み」。ただ自分が暮らすのが、精いっぱいです。それでも生きているからには、何かが、したい。他人のために、何が出来るか。自室に居る時間が多くなった。ダメだね。毎日の「日記」を書くのが日課です。誰が、どこで、読んで下さるのか全く分かりません。時々、知らない人からの「精製水」や「お菓子」が届きます。有り難い事です。
★世の中には、善もあれば、悪もある。善の道を行けば、神は必ず助け、導いてくださる。そう信じて生きれば、肩の荷も軽くなる。
★16歳から17歳の少年の頃、母親と2人暮らし。平屋に2間があって、道添えの居間に、足の短い机があった。その机で、夜になると、どこでヒントを得たか知れないが、『満善簿(まん・ぜん・ぼ)』を付けていた。良い事があると、白丸◯をつける。反省すべき点があると、黒丸●(くろまる・なぜ大きな丸が出ない?)を記す。かなり長い間、つづけていた。原爆で、吹っ飛んでしまったよ。世の中、うまく行かないモンだね。原爆の廃墟、天主堂の廃墟を見た時、ボーゼンとして、神さま、ホント、居るんかな?なんて思ったよ。それでも祈りは、したね。
★ホームに入る前は、こういう事も思っていたな。「こうすることと、ああすることは、どちらが、いい? そりゃ、こちらが、いいサ。それなら、それを、しよう」って、ね。また、「この事をしてあげると、その人や、周りの人も、よろこぶか、な。そんなら、少し犠牲はあるけれど、やって、あげようじゃないか。きっと、よろこぶよ」
★今の心境、どうか、な。『まん善ぼ』記す気力は、あるか。チカラは、なえたよ。

2020年5月16日土曜日

追加。マチアさんの思い出。死は人生の幕引き。祈りの合掌のみ

2日前の日記に、マチアさんの事を書き、「若い修練者が、手厚い介護をしてくれた」と記した。きょうはホームにあって、その若い修練者の事を思い出した。
★94歳のマチアさん。食堂の近くに部屋があり、二十代の若い修練者が身のまわりを世話していた。おじちゃんと孫といった感じの温かい交流が見えた。老いた修道士が若者たちに甘えている。この交流、支えがあったから、94歳の老・修道士は励まされ、杖をつきながらも朝、5時半から聖堂に来ていた。ポーランド人たちは、祈る修道士だった。
★ある日、修練者が、1泊2日で県外に出た。老修道士は、しょんぼりしている。「マチアさん、寂しい?」。食卓で、トマが聞くと、こっくりと、うなずく。すると向かいの修道士が言った。「マリアさまと、いっしょだから、寂しくないはずです」。少し、きつい言葉だが、トマには、久しく忘れていた思いだった。日常生活での、普段着の思い、これこそ信心生活の原点ではないか。生活の推進力ではないか。
★食堂の席では、トマの左側に、老年の日本人修道士がいる。彼は最近、しきりに「死ぬのが怖い」と言った。観察すると、特に健康に気をつけて、焦げた物(ガンになる)や、肉類は食べない。パンに必ずマーガリンをぬり、それで「死ぬのは怖い」と連発した。向かいの修道士が言った。「人間には寿命がある。寿命を受け入れて、死をも受け入れる心構えが必要だ」
★一方、右側の席のマチアさんは、健康には全く気にしない。何でも食べた。塩分控えめ?いや、いや、ゆで卵にも、スイカにも塩をふりかけ、コーヒーには、たっぷりと砂糖を入れた。原爆手帳を持っており、検査に行くと、3つ4つは異常でひっかかる。でも、マチアさんは心配しない。遠慮なく食べる、コーラーも好んで飲む。それに体格は、でかい。この体格で、よくぞ90代まで生きたと思うよ。それが不思議です。「神さま、お恵み、あります」と、マチアさんは淡々と死をも恐れない。最後は自分の部屋で、近くの開業医の医師さんが、熱心に、感心するほど、毎日のように診てくださり(訪問診療だね)、マチアさんは修道院で安らかに逝った。
★「死ぬのは怖い」という修道士に、「なぜ怖い?」と聞く。「今、有る自分が無くなってしまう。存在がなくなる。消える。だから怖い。神さまは生物に死を恐れる心、自己を守る本能を与えられた。だから自分の怖さは自然のものだ」と自己弁護した。
★マチアさんは間もなく逝った。若い修練者も今は居ない。心優しい若者だった。彼は、どこかで、誰かに、優しい愛を注いでいるだろう。「怖い、怖い」といった修道士も、その後、92歳で逝った。向かいの修道士も、神の国へ旅立った。残るのは、トマが、彼らの思い出、記憶を持ちながら、まだ呼吸している。
★神さまへ向かって歩む人生。ホームに居ても、充分に生きることの大切さを弁えて、充足した人生、悔いのない生涯を送りたいと思う。死は、やはり来る。生涯の幕引きは、大仕事になるだろう。ただ「今も、いつも、死を迎える時にも」と、手を合わせて「祈る」しか、ない。

2020年5月15日金曜日

生かされている、イノチ。かんしゃ。欲しいものは、ありません

また又、きのう、スズメが、チュン、チュン、高い所の屋根で鳴いていた.。チュン、チュン、鳴くのに、相手は来ない。「かわいそうや、な」。口ばし、あけて、激しく呼んでいるよ。ダメかな。相手は、やっぱり来ない。スズメは繊細なトリです。人が少しでも動くと、感知して飛び去る。最近、トマの部屋の近くで、停まり鳴くなんて、「めずらしか、ばい」。かわいさ、増してくるね。
★きのうは、ホームで午後から、「ショッピング」に出かけた。コロナの影響で、久しく外出が出来ない。元気のある十数人がホームのバスに乗った。トマは、自室のベランダから、ジーッと、ただ見るだけ。買い物には出なかった。
★欲しいモノは、ありません。お菓子も食べません。「ああ、そうだな。チョコ・モナカ、アイス、これは食べたいね」。もう、そういう時期になったのか。
★「最近、暮らしは、どうですか?」。今朝の朝焼けだよ。時刻は、ちょうど5時かな。これから修道者たちだけのミサで祈る。ホームの暮らし、心配は、ない。自室の窓からは、庭を往来する若者の足音が、よく見える。「スイ、スイ、歩いて、シャクだな。オレにも若い頃は、あったよな」。うらやましい。
★長い人生、いろいろな事が起こる。ドロに、まみれる。心は、キズを受ける。人間は、完全じゃない。それは、そのまま、しまって、おこう。人前に、さらけ出す必要は、ない。ヨゴレも、キズも、その人のタメになる。
★いま、老いて、ホシイのは、何よりも「気力」だね。「やる気」だよ。度々言うが、「気力」が一番、今の自分の支えになる。「キリョク」が無くなったら、前に進むチカラが抜ける。更に言えば、「希望」があると「気力」が抜群のチカラを発揮する。「希望が、あるか、って」「ああ、あるね」

2020年5月14日木曜日

コロナ収束を祈りましょう、と教皇さま。マチアさんの思い出の日

食堂の脇に咲いた「真っ赤な花=アマリリス」。誰にも気づかれず、ひっそりと、だが、美しく咲いている。
★フランシスコ教皇さまは、今月2日に、バチカンで、メッセージを出された。「14日に、諸宗教者に合わせて、新型コロナの収束のために、祈り、断食、愛徳の業を行なうように」との呼びかけでした。今日が、その日です。司祭がその旨を告げた。新型コロナ収束のために、祈りました。
★恐ろしい範囲で拡大していった新型コロナウイルス。令和2年を迎えた正月、全世界に広がる新型コロナの恐怖を誰が想像したでしょうか。思いもかけない感染の拡大に、世界は混乱しました。若い人でも、コロナの訃報を聞いている。毎日のテレビでも、刻々と報道され、イタリアでは、多くの司祭が亡くなった。
★中でも、感動するのは、伝染力の強いコロナに相対して、最善の任務を果たしている「医療従事者」たちのご苦労です。深い感謝の気持ちが湧いてくる。パパさまのご意向に従って、早く治まるよう祈りつづけます。
★ホームでも、全員がマスクをして、手洗い、消毒を心がけて日々の生活を心がけている。日記のおかげで、トマも、沢山のマスクを戴きました。ご協力、ありがとう。
★今日は、聖マチア使徒の祝日です。
★「マチア」といえば、ポーランド人・マチア修道士を忘れない。ホームに来る前は、長崎・聖母の騎士で、食堂の席は、トマの隣がマチアさんでした。からだの大きなマチアさん。日本語の言葉が少ないマチアさん。「マチアさん、コルベ神父さまは、どんな人でした?」。笑いながら「優しいヒトです。ケンカ、しないです」。それだけ。
★マチアさんの名言が、次の、これ、でした。「コルベ神父さま、くばり、ました。ゼノさん、くばり、ました。いま、わたし、くばります」。騎士誌を抱えて、毎日、大浦天主堂の入口周辺で、修道服のまま立ちました。「あなた、これ、ほしい、ですか」。無料で配った。中には献金する人もいた。マチアさんから貰った騎士誌のおかげで、洗礼に導かれた人もいる。
★マチアさんは、コルベ神父の時代に長崎に宣教に来て、最後まで同じ聖母の騎士で生涯を過ごした。初めの頃は、牛を飼って、牛乳をしぼり、炊事係りのカシアノさんに渡した。毎日、ルルドの上に、牛の餌の草刈りに出かけた。姿を、よく見た。
★また、マチアさんといえば、大きな丸いパンです。コルベ神父の時代からパンを焼く担当だった。パンの「オイシサ」は抜群でした。パンの味を、忘れない。マチアさんは、自分の部屋で療養して、聖母の騎士で、神に召された。若い修練者が、手厚い介護をしていた。享年、94。24年になる。
★無心でいて、欲が、ない。ゆっくりだが、いつも前向き、たえず、修行。忘れるな。自分を、こつ、こつ、磨いていく、生涯です。

2020年5月13日水曜日

「母の日」に、コルベ神父のお母さんを想う。お墓参りをした

「母の日」にちなんで、コルベ神父のお母さんを偲ぶ。「マリアンナ・ドンブロフスカ」。ポーランドへ行って、お墓参りをした。お母さんは、結婚前は、シスターになりたいと思った時期もあったらしい。コルベ神学生がローマに留学すると、主人ユリウスとは別行動で、お母さんは、クラクフの観想修道女会の奉仕者として生活を始めた。翌年、第一次世界大戦が始まり、ユリウスは戦死する。お母さんの奉仕者の生活は、シスターの修道女会で、33年間つづいた。ローマで司祭に叙階されたコルベ神父は、クラクフの修道院へ着任した。息子が近くに居るのは、お母さんにとって喜びだった。
★トマが、このシスターの修道女会を訪ねたのは、お母さんが亡くなって37年が経過していた。ここの修道女院は、「観想」の最も厳しい奉献生活で、百数十人のシスターが居た。お母さんの仕事は、渉外係で、買い物、市役所、郵便局、医薬品、葬式の面倒など、外部的な務めを果たしていた。
★お母さんを知るシスター数人が、「ほほえみ」「優しさ」「聖母に対する特別に熱心な信心」など語っていた。住んでいた部屋も見せてもらった。お母さんは、ここで、コルベ神父の日本への宣教も、アウシュヴィッツの殉教も知る事になる。
★ある日、町に用件で出かけたお母さんは、帰り道で、歩きながら急に倒れた。後ろから2人の看護師が歩いていた。お母さんを介護して、階段の所に休ませた。
★お母さんは、手をあげて、大声で叫んだ。「息子よ」。最後の言葉だった。その場で逝かれた。1946年、享年76。シスターに案内されて、お母さんのお墓参りに行った。「ニッポンから来ました、お母さん」
★祈りのうちに、原爆で死んだ母親のことを思い出していた。
★長崎の母は、『ほほえみ』の『まなざし』で死んだ。コルベ神父のお母さんも、シスターたちに『ほほえみ』の『やさしさ』を残して息子の居場所(天)へ帰った。
★シスターは、トマに、ささやいた。「東洋人で、コルベ夫人のお墓をお参りして下さる方は、あなたが初めてです」

2020年5月12日火曜日

愛の「まなざし」。忘れる事の出来ない、魂とタマシイの触れ合い

「言葉のほかに、もう1つ、あるんだな。『まなざし』だ。『まなざし』は、音声のない、強烈な語りである。言葉は忘れるが、『まなざし』は、忘れる事の出来ない、タマシイと、タマシイの触れ合いだ」
★75年前、「かあちゃん、行って来るけんね」と言って玄関を出た。母の答えは、なかった。石段を下りて、もう1度、家の方を見た。開いた窓で、食器を洗っているのだろう、母の顔が見えた。『にっこり』ほほえんでくれたのが、最後の姿となった。原爆の朝の出来事だった。母は、私のことを「こう(幸)ちゃん」と呼んだ。
★「行って、いらっしゃい」。母の言葉があったら、あの朝の出来事は、思い出さないだろう。『まなざし』だ。『ほほえみ』だ。それが強烈に、私の人生に刻印されている。『ほほえみ』は、忘れることが出来ない、タマシイの『ゆさぶり』である。
★母親の名前は、「ワサ」といいます。ふっくらっとした顔。まあるい髪。優しいが、シンのある表情。ほそい目なざし。どっしりとした構え。長崎の浦上出身の、先祖からの熱心なカトリックでした。「小崎さんにとって、信仰とは、何ですか?」「母から、もらった、財産だね」
★母は、父と、11歳も、若かった。父が病死して、母親と2人だけで暮らした。2人だけの生活は、10年だけ。前半は、父の亡き後、精肉店の商売に、おんな手で、息子のために働いた。後半は、トマが、カリエスを病み、治療費や入院費のため、多くの心配をかけた。
★元気を取り戻すと、今度は私が兵器工場に勤めて、働いた。平屋の家も借りた。月給は、70円から、100円。家賃は、10円だった。母は、家で、縫物などをして稼いでいた。母は、着物が好きだった。自分でも、着物を仕上げた。手紙も奇麗な字で文章を綴った。手先の器用な母だった。
★特に、目立つのが、カトリックの信仰です。家庭祭壇で朝夕の祈りを欠かさず、日曜日には、浦上天主堂にミサで祈った。私を、聖母の騎士の『ルルド』へ連れて行ったのも、母だった。あの頃は、食糧難で、配給の玄米を、一升ビンに入れて、ボウで突いて、根気よく白米にしている姿を思い出す。「戦争なんて、本当に、イヤだよ」
★これまで「母の日」に、母に就いて、何か書いたかと、1年前、2年前、3年前、4年前の「日記」を開いてみたが、何も書いていなかった。「ごめんな、かあさん」。心の中で、そう、つぶやいたよ。
★「わーし、が、てっぽ、で、わーし、を打ったら、わーし、も、たまがる。わーし、も、たまがる」。なんの意味ですか?私が、鉄砲で、鷲(わし)を打ったら、鷲も(たまがる)おどろく。その驚く姿を見て、私も、おどろく。たわいもない母のダジャレ言葉を、なぜか、覚えている。
★写真の母の手を、いま見ると、ナミダが出るよ。働いて、苦労して、寂しさに泣いて、仕事に追われて、息子の病気に涙して、それでも負けずに神に祈って、浦上信徒の根性を貫いた。最後は、原爆の高熱に焼かれて、爆風で吹き飛ばされた。遺体も探せない。ナミダも出ない。少年は、ぼーぅ・ぜんと、立ちすくすだけだった。
★「かあちゃん、幸せだった?」。母の『まなざし』『ほほえみ』を忘れない。母の日に、女性の職員さんから頼まれて、一筆、書いた。それを、母親に、贈りたい。

2020年5月11日月曜日

老いた親を大事にしてくれ。親の面倒、誰がみる。争うのはダメ

「母の日」の男性職員さんの「出し物」に変装して、演技した男性職員さんです。かっこうの、いい娘さんになりました。あまりにも、よい写真が撮れたので、きょうは「ちょっと」と声をかけて、素顔の彼を撮りました。「ピース」して、快く応じてくれた。この姿で、日々、介護の仕事に専念しております。いっしょに並べて紹介します。いつもお世話になっています。かんしゃです。
★「お母さんの日」に思う事は、自分の歳が、50、60になっても、親が、母が、生きている人は、本当に「いいな」と、うらやましいです。私は、7歳で、父親に死に別れ、17歳で、母親が原爆死した。兄弟も居ない。寂しいです。親が、母親が、長生きしているのを見ると、話を聞くと、うらやましいです。母は、45歳で逝った。若いですよ。父は、46歳でした。子供のトマは、92だよ。
★老いた親をめぐって、兄弟姉妹が、争いを聞くのが一番イヤだね。子供同士で、お互いが「赦せない」と対抗している。「ありがたい」と思えないのかね。
★スズメが、「ちゅん、ちゅん」、しきりに鳴く。声が、大きい。どこだ?近くだな?幸い、戸を少し開けていた。音をたてないように、そーっと、のぞく。
★いた、いた。すぐ、そこに。2羽のスズメ。「ちゅん、ちゅん」。何を語るか。何をささやくか。愛を告げるか。人間よ、スズメに負けるなよ。「赦せない」「お前が、やれ」。そんな言葉は、よそーぅよ。スズメが、こんなに傍まで来るのは珍しい。人間は、いろんな事に悩む。スズメは、今を、せいイッパイ、生きている。エライなァ。

2020年5月10日日曜日

母の日。お母さんの歌を唄い、男性職員さんの出し物で賑わった

ホーム・介護の詰所。手すりに飾られた「聖母月」「母の日」。昨年、トマが書いた再利用。マリアさまは、すべての人の「お母さん」。天から守り、導いてくださる。きょうは「母の日」。誰もが、お母さんの思い出がある。ホームでも、「母の日」にお祝いが行なわれた。皆さんが食堂に集まって、「お母さん」の歌を唄ったよ。「かあさん、よなべして」「岸壁の母」など。お菓子とお茶も出た。
★恒例の職員さんの「出し物」も出たよ。男性職員の総出演です。ホームの男性職員さんは、少ない。これだけです。8人居る。演じるのは「水戸黄門」だね。黄門さんを演じるのが、左側、白ヒゲの職員さん。原口さんという名だから、マルに(原)を書いている。誰が「助さん」「格さん」か、わからんね。「母の日」だから、女性職員さんは出演しない。女性が、1人。ありゃ、男性だよ。人気があるね。
★いつの世も、若い女性を見れば、チョッカイ出す男・若い衆がいるんだね。寄って、たかって、誘いに、かかる。女性は言うわね。「助けーてぇ」「かまうモンか、やっちまえ」。日頃の、ウップンを晴らしちゃ、ダメだよ。若い衆に囲まれた女性は、まんざらでもない。ノリに、ノッて、くるわね。
★見ている皆さんは、喜んで、ハクシュ、拍手。歓声もあがる。若い衆たちは、ますます燃え上がる。「やーれ」
★困った人、苦しんでいる人が居れば、必ず助ける「黄門さま」がいる。「人生、苦も、ありゃ、楽も、ある」
★黄門さまの出番となる。「助さん」「格さん」。強いんだからね。負けないよ。必ず、善が、勝つ。悪は、負ける。お芝居では、必ず、そう構成されている。
★現実は、そうは、いかないから、複雑だよね。この後、カタナで、叩き合いが始まった。「えい」「やーァ」。男って、なんで、こんなにカタナが好きなんだろう。子供心に帰って、思い切り、痛くない棒を振り回す。いっとき、チャンバラで盛り上がる。
★こうして一件落着。皆んなは「へーィ」「カンベンを」と相成った。黄門さまのおかげです。黄門さまは、エライね。
★黄門さまの「つぶやき」。予は、国じゅうを回って、九州まで来た。(ホントウは、来れないよ。コロナだから。特別じゃ)。周り、回って、聖フランシスコ園まで来たが、いい所じゃのう。皆さん、健康で、長生きして、すばらしい人生をおくってくださいよ。神さんも、ホトケさんも、マリアさんも、ちゃんと見ておらすからな。しあわせに、幸福に、暮らしなさい。ホームの職員の皆さんも、ご苦労さま。ああ、これで、めでたし、めでたし。さあ、次の場所へ行こうかな。人生、苦あれば、楽もあるさ。エッヘン。