2020年5月29日金曜日

神父さまと、修道士。服装は一緒。え?どう違うの?説明に困る

左が、大野神父さま。右が、トマ小崎修道士。同じ修道服を着ている。イタリア・アシジの聖フランシスコを師父にする「フランシスコ修道会」の修道者です。修道服も同じ、修道会も同じ、なぜ、神父さまと、修道士は、どこが違うの?
★トマも、この修道服を見て、「神父さま」と呼び掛けられる時がある。すぐに「神父じゃ、ないんです」と打ち消します。すると「神父と修道士は、どう違うの?」と、こうくる。説明するのが、いつもオックウになります。
★神父も修道士も「生涯、神さまに奉献したい」心は一緒です。でも、人には能力がある。哲学・神学・語学などを学ぶ能力があれば、司祭=神父の道に進んでいく。神学生になる。一定期間、学び、本人の希望と人格が保証されれば、公に、教会に於いて、司教さまの手によって、司祭の叙階を受ける。秘跡の執行や、信徒の司牧、宣教活動に尽力を尽くす「神父さま」になります。
★一方、修道士は、同じ服は着ているが、主に修道院内で労働しながら神に奉仕する。仕事は様々です。受付、炊事、営繕、洗濯、農業、印刷などで、修道院を支えている。トマが入会した頃は、聖母の騎士に、ポーランド人の修道士が多かった。みな、それらの分野で、よく働いていた。カシアノさん、マチアさん、特に、ゼノ修道士などは、抜群の愛嬌タレントを持っていた。70年代、80年代は、聖母の騎士に、日本人の修道士も多かった。司祭の道を歩んでいたのに、修道士(優秀)になった人も、5人はいる。
★司祭修道者(神父)は、ミサを捧げたり、お説教をしたり、告白を聞いたり、結婚式、葬式など、信徒やシスターに直接、奉仕するから、期待され、尊敬される。教会やシスターのお祝いの式にも招待状がくる。修道士は、ジミで、招待状はこない。
★修道者として、お互いに「兄弟」と呼び、差別はないが、区別はある。コルベ神父は、この壁を打ち破った。修道士に技術を与え、700人に及ぶ世界でも最大の修道院(ニエポカラヌフ・聖母の園)をポーランドに創立した。
★最近は、修道士も、専門知識を学んで、福祉や、学校、宣教、その他、種々の分野で活躍している。
★イタリア・アシジの聖フランシスコ修道院では、感心した。この修道院(写真)には、聖フランシスコの御遺体がある。私たちの修道会の聖地だが、ここでは修道士も司祭も全く同等だった。食事の時、若い神父が、修道士の奉仕を果たし、食器も洗っていた。食堂で、日本人の修道士は背筋をまっすぐ、院長の近くの席に座っていた。トマは、1週間ほど滞在したが、司教が宿泊する豪華な部屋に泊まらされた。窓からは、ウンブリアの素晴らしい広大な風景が見えて、感動した。
★以前の話だが、長崎で、カトリック高校生集会があった。その時の質問に、「なぜ司祭には、神父さまと『さま』を付けるのですか」があった。若手の司祭が壇上にあがって、色々と説明していたが、ラチが、あかない。その時、老齢の司祭が登壇して言った。「むかしは、シスターには『童貞さま』、修道士には『行者さま』と言ったんだよ。戦後、アメリカ式になって、シスター、ブラザーと言うようになった。シスター、ブラザーには、『さま』を付けないよね。ファーザー(神父)『さま』って言わないモンね」。ご名答。だが、トマは「ブラザー」は好きではない。「修道士」で、いい。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年6月1日 0:36

    改めて整理してくださり、ありがとうございます。
    これで信者以外の方々へもお話しやすくなります。

    今日の日記により、改めて多くのことを想い起こしました。がぶらってぃが暮らしていた場所
    (国外です)では、修道女のことを「私達の姉妹(現地語で)」と呼んでいました。

    また、修道女の皆さんは、見習い修道女のことを「私達の小さな汚れなき乙女("童貞さん"に近い
    意味合いの表現です)」と呼びかけ、年令は関係なく大事な妹のように扱っていました。
    外から見ていますと、良い意味でペットか赤ちゃんのように大事にしているのが伝わりました。

    修道女補助のような仕事をする在家の方(主に教員や補助教員、看護師でした)のことは、
    「乙女先生」と呼び、外の社会と関係する場所では、「乙女」を取って、年令に関係なく未婚女性への
    敬称を付けて呼んでいました。思えば、あの「乙女」は全てマリアさまに繋げていたのでしょう。

    学校に暮らす修道女さんや所属教会の神父さんから女子児童は、初等部高等科(小学5年生くらい)で見習いさん達と同じように「私達の(汚れなき)小さな乙女」とされ、その後中等部に近くなる頃から「私達の可愛い娘(容姿とは無関係です)」と呼ばれました。中に落第して小学5年生で14歳というようなお嬢さんが居ますと、分けて表現され、早いうちから未婚女性の敬称を付けて呼ばれました。

    ちなみに男子児童は初等部中等科(おおむね9歳くらい)まで「私の小さい人」、その後初等部高等科で「私の男の子」、中等部へ上がると割と早いうちに(14歳くらいでしょうか)男性一般への敬称を付けて呼ばれていたように思います。

    手前勝手な思い出話で文字数が多くなってしまいました。

    「行者さま」という表現は、信者ではない祖母(現在100歳)も使っていた呼称で、覚えがあります。祖母は、教会の用務をされている方のことを総じて、修道士ではない信者さんであっても、
    行者さんと言っていた気がします。「煙突掃除をしている行者さんが〇〇を必要としている」とか、「行者さんのところに△△を持って行く」などと、暮らしの中で使っていました。

    トマさんの書く力と才能は、神さまが特に望まれて与えられましたね。
    インターネットの世界には色々と罪も不都合もありますが、
    トマさんの才能に触れられる私達はとてもとても恵まれています。
    たくさんの思考と多くの学び、加えてのすっきり納得の数々を
    今日もありがとうございます。




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