2020年5月12日火曜日

愛の「まなざし」。忘れる事の出来ない、魂とタマシイの触れ合い

「言葉のほかに、もう1つ、あるんだな。『まなざし』だ。『まなざし』は、音声のない、強烈な語りである。言葉は忘れるが、『まなざし』は、忘れる事の出来ない、タマシイと、タマシイの触れ合いだ」
★75年前、「かあちゃん、行って来るけんね」と言って玄関を出た。母の答えは、なかった。石段を下りて、もう1度、家の方を見た。開いた窓で、食器を洗っているのだろう、母の顔が見えた。『にっこり』ほほえんでくれたのが、最後の姿となった。原爆の朝の出来事だった。母は、私のことを「こう(幸)ちゃん」と呼んだ。
★「行って、いらっしゃい」。母の言葉があったら、あの朝の出来事は、思い出さないだろう。『まなざし』だ。『ほほえみ』だ。それが強烈に、私の人生に刻印されている。『ほほえみ』は、忘れることが出来ない、タマシイの『ゆさぶり』である。
★母親の名前は、「ワサ」といいます。ふっくらっとした顔。まあるい髪。優しいが、シンのある表情。ほそい目なざし。どっしりとした構え。長崎の浦上出身の、先祖からの熱心なカトリックでした。「小崎さんにとって、信仰とは、何ですか?」「母から、もらった、財産だね」
★母は、父と、11歳も、若かった。父が病死して、母親と2人だけで暮らした。2人だけの生活は、10年だけ。前半は、父の亡き後、精肉店の商売に、おんな手で、息子のために働いた。後半は、トマが、カリエスを病み、治療費や入院費のため、多くの心配をかけた。
★元気を取り戻すと、今度は私が兵器工場に勤めて、働いた。平屋の家も借りた。月給は、70円から、100円。家賃は、10円だった。母は、家で、縫物などをして稼いでいた。母は、着物が好きだった。自分でも、着物を仕上げた。手紙も奇麗な字で文章を綴った。手先の器用な母だった。
★特に、目立つのが、カトリックの信仰です。家庭祭壇で朝夕の祈りを欠かさず、日曜日には、浦上天主堂にミサで祈った。私を、聖母の騎士の『ルルド』へ連れて行ったのも、母だった。あの頃は、食糧難で、配給の玄米を、一升ビンに入れて、ボウで突いて、根気よく白米にしている姿を思い出す。「戦争なんて、本当に、イヤだよ」
★これまで「母の日」に、母に就いて、何か書いたかと、1年前、2年前、3年前、4年前の「日記」を開いてみたが、何も書いていなかった。「ごめんな、かあさん」。心の中で、そう、つぶやいたよ。
★「わーし、が、てっぽ、で、わーし、を打ったら、わーし、も、たまがる。わーし、も、たまがる」。なんの意味ですか?私が、鉄砲で、鷲(わし)を打ったら、鷲も(たまがる)おどろく。その驚く姿を見て、私も、おどろく。たわいもない母のダジャレ言葉を、なぜか、覚えている。
★写真の母の手を、いま見ると、ナミダが出るよ。働いて、苦労して、寂しさに泣いて、仕事に追われて、息子の病気に涙して、それでも負けずに神に祈って、浦上信徒の根性を貫いた。最後は、原爆の高熱に焼かれて、爆風で吹き飛ばされた。遺体も探せない。ナミダも出ない。少年は、ぼーぅ・ぜんと、立ちすくすだけだった。
★「かあちゃん、幸せだった?」。母の『まなざし』『ほほえみ』を忘れない。母の日に、女性の職員さんから頼まれて、一筆、書いた。それを、母親に、贈りたい。

4 件のコメント:

  1. 母親って、なんだか、父親とは、違う感情がいつまでも、わいてくるものですね。母がなくなって、1年2ヶ月ですが、思い出が一杯で、母が、いつも、どこの場所にいても、食事の前と食事のあとには、きちんと、十字をきり、食べ物に感謝して、食べていたのを、トマの日記を読んで、再度、思い出しながら、今日という日を、過ごしています。会えるものなら、今すぐにでも、会いたいです。短い間だったけれど、ホームにお世話になっていたのが、懐かしいです。コロナが収束したら、ホームにお手伝いに、行きますね。

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  2. マリア・フランチェスカ2020年5月12日 20:41

    今日もお母様天国で喜んで下さっていますね。
    私も亡き母を思い出しました。
    両親が何時も祈ってくれてることを感じています。

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  3. がぶらってぃ2020年5月13日 16:35

    トマさんが、これまでマリアさまについて書かれてきたことは、
    全てワサお母さまに繋がっています。
    ワサお母さまのなさりようは、マリアさまの姿でした。

    トマさんは、ワサお母さまによく似ていらっしゃるのですね。
    字が上手で、書く才能に恵まれ、面立ちもまなざしも写し取ったように
    見えます。

    施設の掲示は、トマさんの作なのですね。詰め所に飾られているものも
    トマさんが書かれたのでしょうか。表現は慈愛にあふれています。

    「わーしがでっぽで」のお話は、語呂の良さで子供にも伝わりやすい教訓と
    受け止めました。むやみに相応ではない力で相手に向かうと、自分も傷みます。

    私は、近頃まなざしで失敗いたしました。
    償いの時を過ごしています。
    「強烈な語り」の攻撃性をいつも高く意識しているよう
    戒めて進みます。

    今日もありがとうございます。



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    1. がぶらってぃ2020年5月15日 0:09

      すみません。詰め所に飾られている掲示はトマさん作品の再利用だったのですね。
      作品を大事に保管され活用される聖フランシスコ園に、カトリック幼稚園で感じた
      正しく優しい清貧のあり方と同じものを見ました。

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