コロナの感染拡大で、自粛ムードがつづいていた。2日前(今週)になって、少し緩和される。ホームでもお知らせがあった。毎朝、教会へも行けます。予約のリハビリ、歯医者さん、などへの通院も出きます。長崎県の感染者は17名。もう1か月は出ていない。しかし安心は出来ない。マスク、手洗いは習慣になっています。
★きょうは、昼食後、高原修道士さんの介護・運転で、諫早総合病院・泌尿器科へ定期の診察へ出かけます。気分的には、重みになりますね。多分、次の「ステント入れ替え」の月日が決まるでしょう。4か月毎に入院は、歳に、こたえます。でも、「入れ替え」なしには、生きては行けない。ガマンの「しどころ」です。十字架、かついで、進みしかあません。午後から、日記は書けないでしょう。
★「なぜ自分だけが苦しむのか。他人がうらやましい。その気持ちが有る間、救いはない。苦しみは自分の一部になる。有っても、いい。それを抱いて、自分のものとして生きて行く。この道しかない。受け入れてこそ、道は開ける」
★午前中、書く時間があるな、と思えば、きょうは10時からホームの「礼拝の日」になっている。毎月、1度、入居者のために、園長神父さんのミサとお説教があります。6時のミサに祈ったのに、また参加するわけです。
★ミサを終わって、いま自室に戻った。車椅子の人たちも、大勢、参加して祈っていた。コロナ収束のためにも祈りました。洗礼を受けていない入居者の姿もあった。
★「本当の聖成とは、神の国の喜びを感じることではなく、キリストのため苦しむこと、自分に打ち勝つことにある」(十字架の聖ヨハネ・16世紀の聖人)
今日は午後からおでかけなのですね。
返信削除通院は、病者であることを突きつけられるような機会で、心に表現しようのない物が
のし掛かるものと思います。せめても静かに粛々と全てが安全に、トマさんにとって
一番安楽な方法で対応されますよう願っております。
午前中だけでミサ2回に参加されたのは素敵です。
通院前というのも、何か希望を感じ取ります。
がぶらってぃのおる地域では、まだ教会が開くことはありません。
こうして長崎の諫早の祈りを共有できることで、信仰の繋がりを体験できます。
トマさん、外出前のお忙しい中、今日もありがとうございます。
実家に会いに行く度に
返信削除「腰が痛い、足が痛い」と言う母。
「ついつい口から言葉が出てしまう」と言う母。「年のバチ」と言う母。
聞く度に、可哀想だなぁと思います。
年をとる事を「バチ」と言われると、
心はちょっと沈みます。
「苦しみを受け入れて」とは、なかなか
言えないし、イエス様の事も、
上手く伝えられないで、母の言葉を
聞いています。
そして、「でも、動かないで座っていれば
全然、痛くないから助かる。」
と、付け加える母。
聖人の言葉を聞かせられたら、
どんなに良いか!
登明さん、ステント入れ替え、
痛みが出来るだけ有りません様に!