2020年5月20日水曜日

午後は定期の診察へ。午前はホーム「礼拝の日」。はやめの日記

コロナの感染拡大で、自粛ムードがつづいていた。2日前(今週)になって、少し緩和される。ホームでもお知らせがあった。毎朝、教会へも行けます。予約のリハビリ、歯医者さん、などへの通院も出きます。長崎県の感染者は17名。もう1か月は出ていない。しかし安心は出来ない。マスク、手洗いは習慣になっています。
★きょうは、昼食後、高原修道士さんの介護・運転で、諫早総合病院・泌尿器科へ定期の診察へ出かけます。気分的には、重みになりますね。多分、次の「ステント入れ替え」の月日が決まるでしょう。4か月毎に入院は、歳に、こたえます。でも、「入れ替え」なしには、生きては行けない。ガマンの「しどころ」です。十字架、かついで、進みしかあません。午後から、日記は書けないでしょう。
★「なぜ自分だけが苦しむのか。他人がうらやましい。その気持ちが有る間、救いはない。苦しみは自分の一部になる。有っても、いい。それを抱いて、自分のものとして生きて行く。この道しかない。受け入れてこそ、道は開ける」
★午前中、書く時間があるな、と思えば、きょうは10時からホームの「礼拝の日」になっている。毎月、1度、入居者のために、園長神父さんのミサとお説教があります。6時のミサに祈ったのに、また参加するわけです。
★ミサを終わって、いま自室に戻った。車椅子の人たちも、大勢、参加して祈っていた。コロナ収束のためにも祈りました。洗礼を受けていない入居者の姿もあった。
★「本当の聖成とは、神の国の喜びを感じることではなく、キリストのため苦しむこと、自分に打ち勝つことにある」(十字架の聖ヨハネ・16世紀の聖人)

2 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年5月20日 11:41

    今日は午後からおでかけなのですね。

    通院は、病者であることを突きつけられるような機会で、心に表現しようのない物が
    のし掛かるものと思います。せめても静かに粛々と全てが安全に、トマさんにとって
    一番安楽な方法で対応されますよう願っております。

    午前中だけでミサ2回に参加されたのは素敵です。
    通院前というのも、何か希望を感じ取ります。

    がぶらってぃのおる地域では、まだ教会が開くことはありません。
    こうして長崎の諫早の祈りを共有できることで、信仰の繋がりを体験できます。

    トマさん、外出前のお忙しい中、今日もありがとうございます。

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  2. 実家に会いに行く度に
    「腰が痛い、足が痛い」と言う母。
    「ついつい口から言葉が出てしまう」と言う母。「年のバチ」と言う母。
    聞く度に、可哀想だなぁと思います。
    年をとる事を「バチ」と言われると、
    心はちょっと沈みます。
    「苦しみを受け入れて」とは、なかなか
    言えないし、イエス様の事も、
    上手く伝えられないで、母の言葉を
    聞いています。

    そして、「でも、動かないで座っていれば
    全然、痛くないから助かる。」
    と、付け加える母。
    聖人の言葉を聞かせられたら、
    どんなに良いか!

    登明さん、ステント入れ替え、
    痛みが出来るだけ有りません様に!

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