きのうは教会では「教皇ヨハネ・パウロ二世(任意)」の日でした。教皇さまといえば、この写真が一番の思い出なので、載せました。ヴァチカンでの写真です。
★今月になって、複数の報道記者から電話が入ってくる。来月、現・教皇さまが長崎に来られるかららしい。教皇さまは被爆地にも立たれる。何をスピーチされるのか。
★「小崎さんも被爆者じゃないですか」「それは、そうだが、なぜ小崎に?」「ネットで調べて、名前を見つけました」「いまのパパさまは、著書は読んだが、お会いしたこともないし、知りませんよ。まえのパパさまなら知っている」「その事も合わせて、小崎さんの事も知りたい」「え、そんな。ここのホームは、遠い場所にあるよ」「それでも大丈夫です」。きょうも午後から、記者が来る予定になっている。若い記者さんにとって、キリスト教や、キリシタン、殉教、信仰復活など、すべてが勉強でしょう。
★潜伏キリシタンたちは、子から孫へ、250年間、言い伝えた。「やがて、ローマから、パッパの船が、やってくる」。希望を持って信仰を守った。それが実際に、船じゃなくて、パパさまご自身が来られたじゃないですか。感謝、感激ですよ。
★しかも、教皇さまは、確かな日本語で語られた。「戦争は、人間の仕業です」。ミサも日本語で祈られた。パパさまに日本語を教えたのは、いまホームで暮らしている西山達也神父さんです。日本語で聞いた我々の心は、大きな感動と喜びで満たされた。伝承は実現した。その教皇さまが現実に来られたのが、1981年。58歳で教皇の座につかれて、3年目で、まだお若くあられた。聖母の騎士で歓迎したが、当時の事をよく覚えている。報道記者たちは、その時の話も聞きたいという。そう言えば、40年近い歳月が経っている。記憶は時代な流れと共に消えて行く。やっぱり勉強しなければ、分からない。
★湯江教会では、毎朝、ミサ後に、現・教皇さま(ご高齢になられる)のために祈っている。戦争がない世界、核兵器廃絶を強く望まれるという教皇さまの来日が、世界への確実な平和をもたらしますように願っている。
聖人の位に上げられたパパ様より
返信削除祝福を受けられている写真は宝物です。
すごいですね。
昨日の日記のシスター永松は一人の青年のために
薬を求めて遠い所まで歩いて行かれた。
そのシスターは40歳でお亡くなりになり
助けられた青年は91歳でかくしゃくとしていらっしゃる。
神様のご計画は人間にはわからないですね。
パパさまから、いや聖人から、アタマを撫でてもらって、嬉しいです。だから、アタマは、しっかりしないと、ね。ボケたりしたら、申し訳ない。墓参り、シスターの名前まで憶えてくださって、ありがとう。最近は、心の奥に仕舞っております。お祈りください。
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