2020年2月15日土曜日

恩師ミロハナ神父の命日。神への愛は、苦しみのなかにある、信念

ミロハナ神父の命日。コルベ神父に連れられてポーランドから長崎へ宣教に来る。コルベ神父が帰国した後、聖母の騎士を守った。特に、戦争中、憲兵隊や特高警察が来て、「天皇は『現人神(あら・ひと・かみ)だ』と主張する。ミロハナ神父を困らせた。「神さまは唯一の神、有るのみです」と抵抗する。そのため迫害や、脅迫を受けた。
★戦争が終わると、迫害者たちが謝りに来た。みんな、赦してあげた。終戦の冬は厳しかった。原爆孤児、戦争孤児が、聖母の騎士に連れて来られると、戦争中の苦労は忘れて、すぐに男子の子供たちの施設をつくって救助にあたった。以来、ミロハナ神父の心は、弱い人、貧しい人、子供たち、などに向けられ、神の愛を生涯をかけて実践した。
★戦争が終わった数年後、昭和天皇は、全国を行脚され、国民を慰め、励ました。ミロハナ神父が創立した「聖母の騎士園」にも、昭和天皇はお出でになった。ミロハナ神父は喜んで、敬意をもってご案内した。
★トマは、聖母の騎士に入ったが、結核を患い、長年、病気で苦しんだ。助けてくれたのが、ミロハナ神父さんだった。
★その頃の、ミロハナ神父さんとの会話。「どうですか。フラテル(兄弟)トマス」「はい、だんだん死ぬのが近いようです」「そうです、誰でもね、近くなってくるのは確かです」「苦しみばかりで」。ミロハナ神父、ほほえみながら、力強く「それは、いい証拠ですよ」「前は、いくら苦しくても、楽しみも混じっていたようですけど、近ごろは苦しみだけで、やりきれません」「心配しないでください。祈ってください。神さまは、耐えきれない苦しみは与えなさいません。希望をもってください」。神への愛は、神への出会いは、苦しみのなかにある、これがミロハナ神父の教えだった。「あなたが書いた原稿は、初めは苦しみを並べた記事でしたが、後になって、『苦しみを耐え忍びたい』と書いてあった。よい記事でした。これからも原稿を書いてください。ただ、思し召しのままに、ね。人に説教する、これ、ダメですよ」
★ミロハナ神父、80歳で逝って、31年になる。

3 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2020年2月15日 17:02

    ミロハナ神父様の為にお祈り致します。
    祈りと感謝のうちに

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  2. とても感動するお話ですね。

     先日、親戚の初七日の法要がありました。あるお寺の和尚さんがそのとき、「仏種 仏のたね」の話をされました。「仏によって人々に蒔かれた種は、『南無阿弥陀仏』と声を出すことによって、手を合わせることによって心の中に育つ。やがて花となり実を結ぶ。」
     宗教は異なるけれど、聖書の中の「種を蒔く人」に通じる話だと思いました。
     トマさんの毎日のブログ更新もやがてみごとな花となり実を結ぶことになるのですね。
    すると、一週間まとめてブログを見るのではなく、毎日ここへ訪れる行為も私の心に何か御利益があるかもしれませんね。キリスト教では「お恵み」かもしれませんが。(笑)

     さて、「見ること」でひとつ。
     先日のブログの中で、ベルナデッタの「ルルドの泉」が写真とともにありました。インターネットで「ルルド」を検索していると、次のサイトがありました。


    https://www.lourdes-france.org/en

     このホームページを開くと、フランス(英語表記)のページなのでちょっとびっくりしますが、そのページのずっと下の方へ行くと今の時間の「ルルドの泉」を見ることができます。
     現地の音声も聞くことができる最新の「ライブカメラ」。悪くいえば、「誰でも見ることができる24時間監視カメラ」です。

    日本と8時間の時差がありますから朝訪れると、現地は真夜中なので光る聖母の像が静止画のように見えるだけです。

    夕方6:00ごろ(現地時間 朝の10:00ごろ)に訪れると、緑色の服を着た数人の司祭(神父?)が中央に立ってミサが行われていました。フランス語で。
    アベマリアの合唱?も聞こえました。

    終わると、信者それとも観光客でしょうか祭壇の奥の洞窟の壁を触っている人々、額をつける人、ハンカチで聖水を求めているのでしょうか壁を拭く人も見えました。
     ぜひ、ご覧ください。

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    1. 詳しいコメント、ありがとう。ルルドのサイトも教えていただき、見てみます。これからも、よろしく、コメント、ください。

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