昨日は、フランシスコ中村安五郎修道士の命日でもあった。私がホームに入ってから、4か月後に逝った。93歳でした。出身は、五島の久賀島です。
★彼が聖母の騎士に入ったのは、14歳でした。写真の着物姿が彼です。コルベ神父と2か月ほど一緒に生活した。少年は、コルベ神父から愛された。日本人の少年に期待を持った。彼が活字場で仕事をしていると、コルベ神父が回ってくる。彼を抱きしめて、「ヒゲで、顔を、こすられた」と、コルベ神父の愛情を、彼は自慢のように語っていた。
★安五郎少年が、久賀島を出る時、両親との別れが辛かった、と私に語った。それについて記事を書いた。当時、修道士は故郷に帰れなかった。捨てたのだ。別れたのだ。入会して、親元に面会に帰ったのが、23年ぶりだった。
★「その時、両親は、仕事を休んでいて、今か、今かと待っていた。会えて嬉しかったね。家の庭に大きな椿があってね。幼い時、イタズラすると、この木に縛られた。母は『地獄を思え』と、下で火を燃やした。その木は、なかった。4日、5日は、アッと言う間に過ぎ去る。最後の夜、近所の信徒たちが大勢集まった。何するかと思えば、子供たちが家庭祭壇を美しく飾り、一同、ひざまずいてロザリオを唱えるんですね。やっぱり信徒の島だ、故郷は有り難いと思いました。母は別れの朝、玄関で送って『達者で、な』そう言って『イエズス、マリア、ヨゼフ、さよなら』と付け加えた」
★ホームに入って、6年、お世話になった。この写真が、逝かれる2か月ほど前に、湯江教会で写した中村修道士さんです。最後の写真になった。ホームでは、修道士名の「フランシスコさん」と連呼されて、介護され、ホームの皆さんから親しまれた。
★私が15歳の頃、住んでいた家の環境が良くなかった。ミロハナ神父さんが心配して、フランシスコさんに「家を探してあげなさい」と頼んだ。フランシスコさんが探したのが、浦上天主堂のすぐ下の、洋服・仕立ての店だった。「優しさ」が彼の印象でした。
★フランシスコさんからは、戦争中、食糧難で、浦上や、信徒の多い農村をまわって、食糧集めに苦労した話を聞かされた。
★コルベ神父の出会いから始まって、ホームで最後を迎えるまで、愛と奉仕の精神を貫いた。遺品として、マリア像と、時計を、私が持っている。老いたフランシスコさんには、修道士としての「オーラ」があった。自分も、そのように生きたいと思う。
友人が中村修道士様に長崎巡礼で親切にして頂いたそうです。
返信削除23年振りに中村修道士様を迎えられたご両親の歓迎とお別れの言葉が心に残りました。
一日遅くなりましたが
フランシスコ中村安五郎修道士様の為にお祈り致します。
有り難う。御地の雪まつり、見に行きましたか?
返信削除コロナウィルスの事もあり雪祭り行きませんでした。
削除観光客も少なかったそうです。
聖母の騎士誌でカトリックグラフ小崎編集長としてのご活躍を拝読しています。
次号も楽しみにしております。