2017年5月29日月曜日

ふしぎなご縁があるものです。思いがけない再会

15歳の頃の写真です。この以前に、1年半ほど結核・カリエスで大学病院に入院して、治療していた。退院した後、病院の庶務課長でカトリックだった深堀さんのお世話で、病気の予後の健康回復のため、大学病院の耳鼻科の研究室の補助員を勤めていた。その時の耳鼻科の教授が、長谷川先生であった。補助員に、もう2人がいた。1人は夜間工業学校の五島君、女性でカトリックの玉屋さん。私たちは、耳鼻科の医師の博士論文のための研究の「うさぎ」などを飼育していた。
★教授の長谷川先生は、背が高く、優しくて、気品を備えて、特に奥さん思いの人だった。私と五島君を市内西山の自宅までよく使いに出した。私たちは喜んで出かけた。自宅に着くと、奥さんから丁重なお茶とお菓子の接待を受ける。帰りにはお駄賃まで戴いた。昭和18年、19年の戦争も末期で、品物不足の時代だった。その奥さんの横に、お嬢さんがいた。
★昨日、聖母の騎士のルルド祭に参加したが、教会で、「お元気でしたか」と女性から声をかけられた。この女性こそ誰あろう、長谷川教授のお嬢さんであった。それは、それは、おどろきました。再会を喜びました。しかし巡礼団として来ておられたので、個人的に話すことは出来なかった。本当に残念です。
★原爆のとき、長谷川先生は耳鼻科で被爆されたが、奇跡的に助かった。五島君と玉屋さんは被爆死した。長谷川先生はその後、大阪大学医学部教授となり、カトリックになられた。先生に出会ったとき、次のように言われた。「洗礼を受けたのは戦後7年経った聖霊降臨の主日で、私ども夫妻と2人の娘の一家全員でお恵みにあずかった。家内は受洗できたことを喜び、それには長崎の玉屋さんや病院庶務課長だった深堀さんの通功があったと感謝しています」
★先生は補助員の玉屋さんに、「神さまって、どんな御方ですか」と質問した。玉屋さんは「私どもの背後でいつも優しく見守っていてくださる方です」と素直に答えた。目に見えない不思議な存在を玉屋さんの背後に感じた、と先生は言われた。

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