2020年1月22日水曜日

「ツライ」と「幸せ」の合間を通りぬけて、まイチもんじに、進め

「幸せ」という字は、心地よい。誰もが、望んでいる。父親の名前は「松吉」といいます。その松吉が、生まれた息子に「幸一」の名をつけた。「一」は長男だからであろう。「幸」は、「幸せであってほしい」と願ったのであろう。誰もが、生まれた赤子には、そう思い、喜ぶ。
★だが、「幸」から、「一」を引くと、「辛い・ツライ」になる。これが、問題だよね。「一」が、あるか、無いかで、ガラリと変わる。人生とは、そんなモンだよ、と「幸一」は我ながら、そう思う。
★苦しみ、悲しみは、あちらから、やってくる。幸せは、自分で見つけるモンだ、といわれる。いろんな困難は多々あったけど、それも、なんとか乗り越えてきた。ツライときも、痛みも、苦しいときは、ツライけど、何かの意味があるのだと、これも捧げようと、流れに任せて、いまが、ある。そんな感じがします。
★父親が付けた「幸一」は、好きな名前です。シンプルで、幸せがありそうな、名前です。でも「幸一」は、殆ど使っていない。「登明さん」「トウメイ・さん」。これだね。★入院先の病院で、見舞いに来た神父さんが「トウメイ・さん、何号室ですか?」と、受付に聞いた。「そんな人は、入院しておりません」。後で、わかって、「ハッ、ハ、ハ」
★「幸い」と、「辛い」が、隣りあわせというのが、いいね。人生、そのものだよ。
★残る余生に、「幸い」があるだろうか。考えるね。また、何が「幸い」なのか、と問われれば、答えるは「難しい」。ツライことは、イッパイある。わかる。幸いは、納得しにくい。どうして、そう、なんだろう?
★「辛い」と「幸い」の真ん中を、通り抜けて、ま「一」もんじに、進み行け。最後の瞬発力を絞り出せ。カラ・ゲンキを出して、いまは、そう、思う。
★パソコンで、この日記を書きながら、窓の外を見ると、ホームの庭の片隅の所で、葉が付いていない2m位の木に、2人の男性が、腰をかがめて、根元に、何か作業を行なっている。背の低い桜の木もあり、さるすべりの木もある。肥料をやっているのだろう。「やっぱり、人生、進むには、肥料が必要か、な」
★今日は、体操が終わって、女性の職員さんが自室を掃除してくれた。日記を早めに書いた。午後から来客があります。

2 件のコメント:

  1. 私も聖フランシスコ病院受付で
    「小崎トマスさん何号室ですか」と尋ねたことがありますよ。
    「そういう方はいらっしゃいませんが」
    「いいえ、確かにこの病院です。・・・ええっ?ああっっ!」
    という事態でした。(笑)

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  2. 私が聞いたのは、ブリ神父さんからでした。ほかにも、いらっしゃったんですね。ブリ神父さんは、聖母の騎士に電話をして、あらためて知った。

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