人間が歩くのは、普通と思っていた。呼吸するのと、いっしょです。考えなくても、深刻に思わなくても、自然に、歩ける。階段も、登れる。ホームに来た6年前は、そうでした。
★ホーム入所当時は、庭を、マリアさまのご像を中心に、何度も回って歩いて満足していた。それが今では、困難になったんですね。ヒザ関節が、痛いわけではない。カラダ全体が、重くて、歩けない。本当に思うよ、歩けるって、有り難い。80までは、考えても、みなかった。90に入ると、そうは、いかない。
★今では「押し車」を使って歩いている。朝、ミサと祈りに教会へ。3度の食事で食堂へ。週に3回は入浴場へ。この小さな押し車に頼っている。去年の7月、9.800円で買った。「小さくて、いいね」「いい、ガラだね」。誉める声が聞こえる。「ほめて、もらっても、使う者には、大変だよ」。両手で持って、トコ、トコ、前へ歩く。情けないよ。こんな自分じゃなかったが、人は、こうして徐々に、老いて行くのだね。ホームは、余生を暮らす生活、と言い聞かせる。わかっとります。
★老いても、祈りと、読書は出来るじゃないか、という人もいる。それは出来ます。でも、素直に、そうは行かないのが、人間です。人生には、生産性や与える愛が、必要だね。日常に、それが無ければ、やっぱり、クビを、かしげるね。今の気持ちを、素直に綴れば、自らに言う。人に、説法ができるか、お前は、何んなんだ。
★介護の女性職員さんが、自室の掃除をしてくれた。「ありがとう。スマンね」。洗濯の職員さんが、洗濯物を持ってきてくれた。こちらも「ありがとう、いつもスミマセン」。いま、トン、トンと自室をノックして男子職員が扉を開けた。「見回りです」「大丈夫、ありがとう」。こうして自分は、今日も痛みなく、ゆっくりと呼吸しております。
痛みがないって、幸せですね!
返信削除90才になる母が、痛みがあります。
座っていると、痛みがないけど
動き始めると腰から下が痛くて
あまり動きせん。
それでも、動けなくなるといけないので、
毎日、10分程、歩くそうです。
最近は、あまり笑顔がありません。
母を見ながら、老いを考えます。
登明さんの言葉を読みながら
老いを考えます。
そして、元気をもらっています!
信仰によって、苦しみに意味を
見いだそうとされていらっしゃるから。
登明さん、体に痛みがなくて
本当に良かった\(^_^)/
お母さんを、ご大切に。愛情を、そそいでください。私は、7歳で、父に死に別れ、17歳で、母が、原爆死した。自分が成長しても、ご両親が生存なのは、大きなお恵みです。「きずな」が、あるのが、幸い。
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