2020年1月14日火曜日

ハタチ(20)のボクは何していた?高校生だった。忘れぬ思い

昨日は「成人の日」だった。
★自分の20歳は、どうだったのか。
★今とは、全く時代が違うね。写真が、その頃。幼稚な顔をしている。高校2年生だった。ハタチ(20)で、高校生?ずい分、遅れているじゃないか。これも戦争のトバッチリを受けての事。肝心な時期に、勉強どころでは、ない。16歳で、爆弾を造る工員になって働いた。
★終戦が、17歳。中学校をやり直して、18歳で中学3年。高校に入って、ハタチになった時も、まだ高校生だった。戦争の被害で、しわ寄せが、こんな小さな個人の身にも降りかかっていた。軍国主義で鍛えられ、戦後は希望を失って、どん底の精神状態になる。戦争って、やっぱりイヤだね。
★ハタチの時は、昭和23年。「町内の公民館で、成人式が、あったのか、なかったのか、覚えては、いない」
★ハタチの時、忘れられぬ思い出が1つある。夏休みに、初めて上五島へ渡った。昭和23年8月9日、長崎・原爆の3周年の日だった。鯛之浦港で、盛大な「海の聖体行列」が行なわれた。感動ものだったね。この朝、上五島の桐教会の海域を出港したカトリック船団が、ご聖体の船を先頭に、美しい大漁旗をなびかせながら、鯛之浦湾へと向かった。私たちは鯛之浦の海岸で待ち受ける。
★やがて船の汽笛が聞こえて、島影から第1船が現われた。その後で、続々と波しぶきを立てて、快走する「神の船団」。初めて見る光景だった。何と、20数隻の船団が並んで大きく近付いてくる。その様子は、華麗というか、豪華そのものだった。
★鯛之浦の海岸に着くと、山口司教さまがご聖体を奉持して上陸し、幾千の信徒の讃美歌が天にこだました。私は、原爆で死んだ母を思い、冥福を祈った。
★十字架を先頭に、ベールと祈りの波が、祭壇がある小学校の運動場へとつづく。戦争は終わった。迫害されていた宗教が、自由になった。その喜びは、かつて先祖たちが体験し、解放された喜びの追体験だった。大声をあげて、神を、キリストを、聖母マリアを讃えて、行列は尽きなかった。
★あれが、ハタチの貴重な思い出だった。70年が経過して、信徒の思いも、信仰も、変化をみせた。なんとなく、さびしい。

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