2020年1月25日土曜日

テレビでシスターは語る。命ある限り、神の愛に包まれている

食卓で、隣の女性が言った。「テレビで、シスターの話がありますよ」「シスターって、渡辺?」「いや、鈴木か?新聞に載っていました」。既に録画をしておいた。
★朝から入浴して、ゆっくりと録画を見た。その中で、「回心」という言葉が出てきた。
★シスターが言う。「カイシンとは、自分をあらためる『改心』ではなくて、『回心』、自分を、まわす。世俗的な物欲に引っぱられる自分を、またキリストの方へ心をまわしていく。毎日、毎日、苦しい中でつづける」
★今日は、聖パウロの回心の祝日です。「教会の祈り」にも、回心と書いてあった。キリスト教徒を迫害し、あるいは殺害していたユダヤ人のパウロは、突然、光に打たれて声を聞く。「パウロ、なぜ、私を迫害するのか」。パウロは、それをきっかけに回心し、熱烈なキリスト教徒となる。
★改心ではなく、回心に変えよう。シスター、ありがとう。目が開けた。どれほど今まで沢山の回心をしてきたことか。修道士を生きるという事は、何度も、何度も、回心の連続だった。それでも神さまは、待ってくださっている。生かしてくださっている。生きることが、大きなお恵みであるのを、心底わかっているのだろうか。
★テレビのシスターの最後の言葉をメモしたよ。「いのちは天から与えられている。その人にとって一番かけがえのないものだから、命を与えられている限り、神の愛に、あなたは包まれている尊い存在だということを、私たちは覚えておく必要があります」
★昼食のとき、隣の女性に告げた。「テレビ、シスター、見て、よかったよ」

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