2020年1月8日水曜日

コルベ神父の誕生日。生家へ巡礼。愛の花びらは枯れることがない

1月8日、コルベ神父の誕生日。この家で生まれた。
★1894年(明治27年)、ここで産声をあげた。この写真は、1971年、昭和46年10月に写した。巡礼団の一員として同行する。コルベの住まいは2階だったと住居人はいう。幅広いベッドをキレイに片づけ、毛布の真ん中に、青い目の男の子の人形がポツンと足を投げ出して座っていた。「この部屋で、コルベ神父さまは生まれました」。はるばる訪ねて来た日本人の巡礼者たちは、その場にひざまずいて、合掌して祈った。コルベ神父が福者になった時で、ようやく、この家にも注目がそそがれていた。ポーランド国のほぼ中央、ズドンスカ・ヴォラという都市にある。人口は4万6千人と聞いた。
★ライモンド・コルベ。男の子ばかり3人兄弟で、次男だった。父のユリウス・コルベは織物職人。自宅に織物機械を持ち、僅かな収益で生計をたてた。母は信仰熱心なマリアンナ・ドンブロフスカ。ライモンドは母親から信仰を受け継ぎ、聡明な子として育った。
★兄と共に、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の小神学校に学ぶ。修道者になった時、戴いた修道名が、マキシミリアンだった。後に、これに「マリア」を付けた。「ライモンド」の名前は余り使われない。マキシミリアン・マリア・コルベの名で知られている。ライモンドを使ったのは、強制収容所アウシュヴィッツに於いてであった。
★コルベ神父生誕110年に、生家のすぐ近くの教会で、祝賀会が行なわれた。長崎から巡礼団を組んで、お祝いに参加した。生家は解体され、立派な家屋が資料館・記念館として建てられた。これが10回目の訪問となる。記念式典だから広い会場に招かれたが、挨拶も乾杯もなく、思い思いに会食して、司祭たちは散って行った。巡礼団は、特別なお客さんとして歓迎されたから、お返しを考慮して、日本の踊りや歌を披露するはずだったが、舞台に上がった時には観客はまばらだった。これがポーランド式なのか、いまでも強く印象に残ってる。しかし親睦を深めたのは確かだった。
★コルベ神父の生涯は47年。「証聖者」と「殉教者」の2つの冠を受けた。強制収容所のナチの兵隊は言った。「お前は、チューリップのように枯れてしまえ」。だが、神の愛を全身で遂行した真実の「愛の花びらは、枯れることが、ない」

2 件のコメント:

  1. とま
    コルベ神父様のお生まれになったお家やご家族、記念館の事と教えて頂き有難うございました。
    「愛の花弁は 枯れることが、ない」の言葉が心に強く響きました。

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