2019年8月9日金曜日

長崎・原爆の日。17歳の頃、住んでいた場所を探しあてる

長崎・原爆の日の朝です。真っ赤に燃えるような空でした。原爆の夜、長崎に立ち上った炎を連想しました。ミサの祈りで、原爆死した人びとのため、母親のため、核兵器廃絶のため合掌しました。
★高原修道士さんから、うながされた。「トマさん、長崎の、お母さんが亡くなった場所に行こうよ」。朝、9時30分から高原さん運転の車で、ホームを出ました。
★写真が1枚あります。母親と一緒に撮った写真です。ウラに、私の10歳の誕生日、とあります。母、38歳と、母親の字で書いてある。私は小学生。この7年後、私が17歳、母が45歳。原爆で、行方不明となった。母の骨も拾わなかった。
★きょうは、長崎市内に入って、母親が住んでいた場所を探した。ありました。喜んでください。私の家の隣に住んでいた家族とも会うことが出来ました。高原さんが「行こうよ」と言ってくれたお陰で、場所が分かった。家の横に、広い庭が有ったが、その庭も残っていた。建物は変わっている。原爆の日に、よい経験をしました。高原修道士さんの誘いのお陰でした。
★その後、聖コルベ館に寄る。次に、写真展が行なわれる「ピース・ミュージアム」を訪問して、挨拶をしました。フランスの子供たちの絵を展示していました。4、5人の入館者たちが居た。ミユージアムの直ぐ隣は、広場と岸壁が有り、大きな観光船が入港していました。ホームに帰ったのは、3時過ぎでした。思い出の原爆の日になりました。

1 件のコメント:

  1. 去年の11月27日の記事に載せていただいた者です。沖縄出張の帰りに長崎に寄ることができ、昨日9日は浦上教会で原爆投下時刻のごミサに与らせていただきました。未信者にて、僭越ではありますが、トマさんのこと、お母さんのこと、お祈りさせていただきました。

    トマさんにもぜひもう一度お目にかかりたかったのですが、スケジュールがどうにもならず、今回はあきらめ、本日東京に戻ります。

    立秋後も大変な暑さです。室温、水分補給、どうぞお気をつけになってください。

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