★A5の額は、ゲラルド修道士(左)と、コルベ神父です。
★ゲラルド修道士は、恥ずかしがり屋さん。セパードの犬をかわいがった。ゲラルドさんの犬はポーランド語しか理解しない。虫や、花や、小さい生物に優しさを示した。フランシスコの精神が彼の中に生きていた。コルベ神父の時代に長崎へ来て、戦後、休暇もあったが、1度もポーランドへは帰国しなかった。「ゲラルドさん、ポーランドへ帰りなさい」と言えば、答えは、いつも「およしなさい」。長崎で亡くなった。
★右は、コルベ神父。赤いカンムリ。白いカンムリ。ヒゲと、メガネ。ポーランドでも、長崎でも、「けがれなき聖母の騎士」の雑誌を発行して、人びとの回心と聖成を熱望した。生涯、愛と、清さを貫き、最後は身代わりの無償の愛で、完全な奉献を捧げた。
★「写真展」を見学した人から質問があった。「なぜ、長崎に、ポーランド人ですか?」。答えは、コルベ神父の宣教の計画です。東洋で、人が多い国を望んだ。インド、中国、日本です。中国は上海で打診した。2人の修道士を残した。次いで日本。汽船は上海を出て、長崎港に入港した。港に入る汽船から、大浦天主堂が見える。コルベ神父は、出島の岸壁で下船して、真っ先に大浦天主堂へ向かった。迎えたのが天主堂の玄関に立っている聖母マリア像であった。「ゼノさん、ごらん。(日本人は誰も迎えなかったが)マリアさまが私たちを迎えてくださいます」と喜んで、堂内に入り、信徒発見の聖母子の祭壇で祈った。(信仰の復活をもたらした奇跡の最高の場所です)。コルベ神父は聖母マリアに導かれて、この長崎に宣教の拠点を置いた。「聖人が行なう事には、無駄がない」
0 件のコメント:
コメントを投稿