2019年8月18日日曜日

「写真展」を飾るポーランドの修道者たち②ゲラルド、コルベ神父

「写真展」が開催の「ナガサキ・ピース・ミュージアム」です。右下が入口。芸術的な建物。入館者は好調のようで嬉しいです。塩沢美樹さんの報告によると、14日、開館の日は53人。15日、23人。16日、43人。17日、午前中で24人が入館したと教えられた。無料配布の「写真集」は100冊を用意したが、半数ほどが無くなった。館員さんの話では、マチア修道士さんから騎士誌を貰ったという福岡からの女性も来た。小崎修道士から案内して貰った家族も来たそうです。
★A5の額は、ゲラルド修道士(左)と、コルベ神父です。
★ゲラルド修道士は、恥ずかしがり屋さん。セパードの犬をかわいがった。ゲラルドさんの犬はポーランド語しか理解しない。虫や、花や、小さい生物に優しさを示した。フランシスコの精神が彼の中に生きていた。コルベ神父の時代に長崎へ来て、戦後、休暇もあったが、1度もポーランドへは帰国しなかった。「ゲラルドさん、ポーランドへ帰りなさい」と言えば、答えは、いつも「およしなさい」。長崎で亡くなった。
★右は、コルベ神父。赤いカンムリ。白いカンムリ。ヒゲと、メガネ。ポーランドでも、長崎でも、「けがれなき聖母の騎士」の雑誌を発行して、人びとの回心と聖成を熱望した。生涯、愛と、清さを貫き、最後は身代わりの無償の愛で、完全な奉献を捧げた。
★「写真展」を見学した人から質問があった。「なぜ、長崎に、ポーランド人ですか?」。答えは、コルベ神父の宣教の計画です。東洋で、人が多い国を望んだ。インド、中国、日本です。中国は上海で打診した。2人の修道士を残した。次いで日本。汽船は上海を出て、長崎港に入港した。港に入る汽船から、大浦天主堂が見える。コルベ神父は、出島の岸壁で下船して、真っ先に大浦天主堂へ向かった。迎えたのが天主堂の玄関に立っている聖母マリア像であった。「ゼノさん、ごらん。(日本人は誰も迎えなかったが)マリアさまが私たちを迎えてくださいます」と喜んで、堂内に入り、信徒発見の聖母子の祭壇で祈った。(信仰の復活をもたらした奇跡の最高の場所です)。コルベ神父は聖母マリアに導かれて、この長崎に宣教の拠点を置いた。「聖人が行なう事には、無駄がない」

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