2019年8月2日金曜日

アシジの聖フランシスコの研究者・八卷先生を偲ぶ。ご縁は今も

八卷頴男(やまき・としお)先生は、大学神学部を出て、教師であり、牧師でもあった。ダンテの研究から、中世の歴史を経て、アシジの聖フランシスコに辿り着いた。論文は、大学ノート十数冊を数え、原典、文献はすべて収集した。しかし幾ら研究しても、聖フランシスコは十三世紀の聖人である。その人物像も、生活も、精神までも、分からなかった。
★長崎市大浦に、フランシスコ会の修道士たちが生活しているのを知って、長崎市で教師をしていた八卷先生は、修道院を訪ねた。そこで出会ったのが、コルベ神父とゼノ修道士たちであり、彼らの生活を現実に見て、初めて八卷先生の目は開かれ、アシジの聖フランシスコの真の理解が出来たのだった。
★アシジの聖フランシスコは、「イエスの生涯」を生きた聖人だった。「イエス」を十三世紀まで戻した。十三世紀の「イエスの生涯」を二十世紀に具現したのが、コルベ神父たちフランシスコ会の修道者たちだった。それを知った八卷先生は、コルベ神父を手伝うようになる。寒い冬、修道院には暖房もなかった。ドイツ語を話す八卷先生は、コルベ神父の原稿の訳を行なった。「手が冷たくて、字が書けませんよ」。コルベ神父は、エナメルのコップに熱いお茶を入れて「ウチ側からのストーブです」と渡すのだった。
★今日、八卷先生の話を書いたのは、今日は、ポルチンクラの天使の聖マリア聖堂の祝日だった。イタリア・アシジの町にある小さな聖堂。この聖堂を中心にして、聖フランシスコと弟子たち修道者たちが共同生活を始めて、修道会が発展していった。私も何度か、この場所、大聖堂を巡礼したことがある。
★八卷先生は、その後、年月を経て、カトリック信徒となった。先生の晩年、姫路の自宅で療養中の八卷先生をお見舞いした。八卷先生は明るい表情で、多弁であった。「コルベ神父さまは、よく『ベリタス・ウーナ(真理は1つ)』と言っておられた。コルベ神父に出会わなかったら、聖フランシスコは単なる研究に終わっていたね」。それから3か月後、85歳で神に召された。
★私がホームに入ってから、出版した「トマさんのことば」で、東京から、八卷先生のご家族から手紙が届いた。「『トマさんのことば』送っていただき、ありがとうございます。息子は霊名がマキシミリアン・コルベです。義父(としおさん=八卷頴男先生の三男)も、夫も、天国で、ご縁に感謝していると思います」
★昭和の初期から、平成まで、『つながり』があるのが、不思議に思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿