2019年8月26日月曜日

8月。今年も贈られてきたお花。何十年と、思いは消えない

8月も終わろうとしている。この8月で、書きそびれていたことがある。それは、この写真のお花です。8月9日、母親の原爆忌のときに、毎年、必ず贈られてくる。もう十何年ですよ。こんなに続けて、根気よく、送って、思い出して下さる家族が居るんですね。
★それは今から20年ぐらい前のことでした。修学旅行に来た小6の子供たちに、原爆資料館でお話をした。すると、小6の皆さんから、作文集が送られてきた。1人、1人に、短文のメモを書いて、学校宛に送ったんですね。その中から、1人の女子児童が、手紙で返事をくれた。それが縁で、何回か、文通があった。
★名前を「衣里さん」といった。中学生になった衣里さんは、「1年かけて、千羽鶴を折りますから、どこかに飾って下さい」と願いがあった。わたしは「がんばってください」と答え、毎月、百羽づつ届く折り鶴を、原爆老人ホームを訪ねて、ホームのお年寄りの部屋を飾った。衣里さんは、クラブ活動もあるのに、折り鶴作りに専念した。
★三百羽、五百羽、七百羽とつづけて、千羽鶴を折った時、お母さんと長崎へ来て、千羽目の鶴を、10人目のお年寄りに手渡したのだった。右が、その時の写真で、新聞記事にも載った。あれから20年が流れている。いつの頃か、わたしの母の命日に、必ずお花が届くようになった。
★衣里さんは結婚されて、子供さんも居る、母親になった。それでも心はつながってきた。1度、お宅へ訪ねたこともあった。ホームに来ても、毎年、お花が届く。こんなに長期にご縁をつづけて、お花を贈ったくださるのは、衣里さんとお母さんの他には居ない。便りは無いが、お母さんはご健在のようです。毎年、この記事を、お花が届くたびに書いていると思いますが、やはり贈られて来たお花を見ると、日記に書きたくなります。何十年と、つづけるのが、すばらしい、心温まる話じゃないですか。少女に灯った愛の心は、いつまでも消えない。

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