2019年8月5日月曜日

「雪のサンタ・マリア」。潜伏キリシタン。田中用次郎さん語る

きょうは、イタリア・ローマの「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」の記念日です。ローマに多々ある教会でも、荘厳、華麗な教会で、何度か巡礼したこともある。写真がないので、ネットで調べたら、この写真が出てきた。「雪のサンタ・マリア」とも言われる。この教会と、潜伏キリシタンと、つながりがある、というのが今日の日記です。その事を私に教えてくれたのが、外海・出津の信徒、田中用次郎さんでした。
★写真は、戦後、いつの頃か分からないが、私が撮った出津の風景です。用次郎さんは、この集落で暮らしていた。用次郎さんは、私に言った。「4世紀、ローマに信仰熱心な貴族夫妻がいた。相続の子供が居ないため、財産を聖母マリアに捧げると祈っていた。すると8月4日の夜に、夫妻、別々に、夢に聖母マリアが現われて、『雪を降らせて置くから、その場所に聖堂を建てるように』とお告げがあった。教皇さまに、その旨を話すと、教皇さまも同じ夢を見たという。本当に、丘の一部に白雪がつもっていた。お告げの通り、『雪のサンタ・マリア教会』が建てられた」
★私が、きょう、記事に書きたいのは、4世紀、5世紀、ローマで行なわれた事が、海を越えて、時代を超えて、15世紀、16世紀の外海・出津の潜伏キリシタンの間で、ひそかに「雪のサンタ・マリア」の信心が行なわれていた、ということです。その話を教えてくれたのが、出津の信徒、田中用次郎さんでした。用次郎さんは私もよく知っている。友人でもあった。私は彼の写真を、彼の自宅で撮った覚えが有るので、パソコンの写真を丹念に調べてみた。すると1枚、あったのです。
★いつ頃、撮った写真か、年代は分からないが、左の端に居るのが、田中用次郎さんです。用次郎さんは私に、こう言った。「まだ子供の頃、潜伏キリシタンの血をひく母が、しばしば『雪のサンタ・マリア』のことを話して聞かせました。そして『アヴェ・マリア』のオラッショを口ずさみました。私も覚えましたよ」と、スラ、スラとキリシタンの祈りを唱えるのだった。
★田中用次郎さんは、長年、「雪のサンタ・マリア」の聖絵を見たいと強く望んでいた。昭和50年頃に、ある農家から発見された。「農家の、こんもりと茂った古い椿の木の下で、その聖絵を現実に見た時に、非常な感動を覚えました」と用次郎さん。田中用次郎さんは故人となられた。司祭を目指して、神学校で学んでいたが、健康がつづかず、帰郷した。その後は、外海・出津で、キリシタン継承や、ド・ロ神父遺徳保存のため大きな活躍を行ない、功績を残している。きょうは、田中用次郎さんを偲ぶ日でもあった。下が「雪のサンタ・マリア」聖絵。

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