日記を書こうと、パソコンを開いたが、日記が出てこない。「ログイン」だけが、出る。日記が書けない。調子が、狂うと、気持ちが、イラ、イラする。自分には、解決の技術は、ない。事務室の職員さんに見てもらう。
WiFiが、つながっていない。ツメをあけて、電池を少し動かした。すると、日記が開いた。時々、自分では理解できない事態が起こるので、パソコン打ちが重荷になる。
★書道クラブがあった。いま時の言葉を選んで、墨字をすべらせた。「聖夜」があり、「師走」になり、「歳末」となる。コロナで悩んだ、今年は終わる。
★水曜日には、職員さんが、部屋の掃除をしてくれる。有り難い。若者のファイトが伝わる。幸い、トマには、他と比べて、一番、大きな部屋を与えられている。快適に過ごしているが、最近は、歩行に困難を生じるようになった。押し車を使っているが、両ヒザの裏側が痛む。教会で、ミサのとき、杖で、聖体拝領へ進む。これが危ふくなった。
★これから先、脚力が、どうなるか。不安が残る。日記も、いつまで、つづけられるか。この部屋を使える間は、つづけたい。体調によっては、介護詰所の近くに、部屋は変わっていく。
★安らかに、平穏に暮らしたい。他人の事は、干渉せず、自分の事を見守りたい。立って、スタ、スタと、歩ける人が、うらやましい。それが普通の人だった。歩ける事を感謝したことがあったか。なんの恩も感じず、当たり前の事と思っていた。その当たり前が揺らいでいる。
★もう、誰も、ホームに面会に来なくても、寂しくは、ない。自分のカラダを支えるのが、精いっぱい。その心境から、何が生まれるか。車椅子の生活を想像すると、心が痛む。長生きすれば、そういうツラさの試練も受けなければ、だろう。明るく、楽しく、笑って、生きたい。願いは、そうだが、現実は厳しい。
★「だから、今が、ある。苦しみがあっても、逆境に立っても、ハネのけて来た。のりこえてきた。その証拠に、今がある。今が有ることが、尊い。まわりから冷たくされても、踏まれても、それでもハネのけた。過去に耐えてきた。生きて、こそ、イノチだ」
知り合いの60代の方、まだお若いのに歩行困難となり紙オムツでの生活だと、笑いながら電話口で話をされました。
返信削除頭は元気でも身体が追いつかない病の苦しみに直面されている方に、かける言葉が見つからず、「教会で待ってますからね」としか言えませんでした。
まだまだ苦労知らずの私ですが、健康なうちにできる奉仕、そして心からのお祈り、誰かのためにできることを日々模索しています。
トマさん
日記は楽しみですが、どうか無理はなさらずに…。