2020年12月15日火曜日

テレビに「遠藤周作」が出た。トマの遠藤先生の思い出。対談と案内を

作家・遠藤周作先生と、対談した時の写真です。40年ぐらい前になります。
先日、テレビが報じた。「遠藤周作の未発表の小説=影に対して」が見つかった。それ見て、遠藤先生とのご縁を思い出した。対談は、東京で、「コルベ神父・列聖記念特集号」のためだった。
作家の偉い先生だから、ビク、ビク、胸騒ぎがしたが、遠藤先生は快く応じてくれた。トマも「やるじゃん」といった感じです。
★対談の第一声は、遠藤先生の「よく、まあ、これだけお調べになって・・・『女の一生』二部は、この資料でなかったら、わからないですよ。本当に役立ちました」。その「資料集」(B4版上下二巻)を大事に持参されていた。
「コルベ神父さまは日本におられたし、僕は長崎に関心があって、『沈黙』以来、度々行っていますからね。いつか、小説に書けないものかなと思っていたわけですよ」
★対談を開く前に、遠藤先生を、かつてコルベ神父が長崎に上陸以来、大浦の仮・修道院だった場所を案内していた。ここでゼノ修道士や、ミロハナ神学生(当時)たちが1年間暮らしている。残念にも後日、火災となり、僅かに、壁と、暖炉が残っていた。
地面には雑草が生えている。遠藤先生が、雑草の中から、一輪の草花を見つけて、「コルベさんの花だよ」と言った。作家の視線に、大きな膨らみを感じた。
★トマの過去から、遠藤先生の思いは消えない。先生から、丁重な手紙も頂いた。外海の遠藤周作文学館で、語った恵みもある。先生への長崎案内で、空港に迎えた最初のイメージ、トマ修道士に向かって、スマートな体格の先生が、礼儀正しい恰好で「よろしく、お願いします」と深く礼をされたのには、ビックリした。それから遠藤ファンとなる。
★遠藤周作著『女の一生・第二部』より「コルベ神父は眼をつぶった。眼をつぶると、まぶたにナガサキの風景がうかぶ。雨あがりの大浦の坂路。虹が水溜まりにうつっている。大浦の坂から見おろせる湾。たくさんの船。日本人たちの歩く下駄の音。あれが日本に行った頃、まことにふしぎに思えた。(私がこんなところ『注・餓死室』にいると・・・ナガサキの日本人たちは知っているだろうか)

2 件のコメント:

  1. 遠藤周作氏のご先祖は鳥取池田藩の御典医、
    お爺様は戦後まで医院を開いておられました。
    私は氏の作品に後押しされるような形で受洗をしましたので
    とても大きな存在でした。いつかは会えるような気がしていたのですが、
    ご逝去を知りひどく悲しい思いをしました。
    今日は写真に出会えてうれしかったです。

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  2. がぶらってぃ2020年12月18日 21:57

    トマさんと遠藤先生の対談は、取材であり、
    情報交換でありながら、根底では霊的な対話
    であったのしょう。この機全ては、コルベ神父が
    照らしてくれていたと思います。

    対談の遠藤先生の第一声:
    「よく、まぁ、これだけお調べになって・・・」は、
    感動的な一言です。トマさんがなさってきた
    神様のはたらきが、集約されていると思います。

    トマさんと遠藤先生の対談の写真は、貴重です。
    またがぶらってぃが、いつまでも記憶しておきたい
    画像が増えました。パソコンではすぐに見られると
    思いがちですが、心に留めておくことで、いつでも
    見返すことができます。今日も、大事な共有を
    ありがとうございます。

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