従弟の修道士の命日。名前は、田川幸雄。修道士名は「ユスチノ」。2004年、東京で、逝った。73歳。
写真は、イタリア・アシジの聖フランシスコ大修道院の回廊に立つ、ユスチノ田川修道士。この修道院に、6年、勤めた。
ユスチノ修道士は、弁が立った。トマも入れての話だが「田川家は、『話が大げさ』『整理整頓がジョウズ』『心臓が弱い』」と、そんな声を聞いたことがある。
現地、アシジで、ユスチノ田川修道士の語る「聖フランシスコ大聖堂」の説明は、それは流ちょうで、中世期の貴重な壁画を通して、聖なる感動を多くの訪問者に与えた。洗礼を受ける人までいた。
彼が着任した年の日本人巡礼・観光客は、1万4千人だった。それが2年目、2万5千人。3年目、3万3千人。4年目、4万4千人。5年目、5万4千人と増え、6年目、彼が帰国する9月までに、5万8千人と増加している。実は、数字は、一桁・単位まで分かる。これも『整理・記録』する、田川家の一面を示している。「ユスチノ」さんは、アシジの地元の、おばちゃん、おじさん、ガイド仲間に、好かれた修道士だった。気楽に、だれ、かれ、となく、イタリア語で声をかける。トマも、その実態を見た。
アシジの修道院では、聖フランシスコのお墓と、遺品室の係りをしていた。日曜日には、信徒の間をまわって、献金を集めた。トマも何度か、ユスチノさんを訪ねたが、献金集めを強いられた。いまは思い出になる。大修道院の食堂の彼の席は、院長の至近距離だった。
★アシジから帰国して、東京の修道院付きとなった。お通夜のとき、ホームレス達が、焼香に来た。逝った後、彼の部屋に入ると、タンスの中は、靴下、ハンカチ、タオル、下着など、『整理・整頓』きれいに分けて、乱れがなかった。感心したよ。
★トマは、彼の遺骨を抱いて、飛行機で、長崎へ。修道会の納骨堂に納めた。
★トマが、聖母の騎士へ入って、その後、彼も聖母に騎士に来た。2人とも、司祭を目指していた。2人とも、病いのため、修道士の道を選んだ。トマの父と、ユスチノの父が、兄弟になる。もっと、優しく、親しくしてやれば、よかったな、いま悔やんでいるトマが居る。
トマさん、こんにちは。
返信削除’90年代、イタリアの修道院に下宿していた頃、「アッシジに日本人がいるの?それなら会いに行きましょう」と修道院長が提案して下さったのに実行せず、その後ユスチノさんがアッシジを離れたと知り大変後悔しました。もしユスチノさんと現地でお会いできていたら、忘れられないひと時になっただろうと思います。今は、その時その時に与えられた機会・ご縁を大切にしていきたいと思っています。