朝は、冷える。4時半に起き、5時過ぎにはホームの湯江教会に入る。
濱田神父さんと、高原修道士が祈っている。早い。降誕祭を迎えて、告解(こっかい=ゆるしの秘跡)を受けた。
長崎の信徒たちは、復活祭の前と、聖母被昇天祭の前と、降誕祭の前に、告解をする習慣がある。
修道者は、月に1度、告解する。
修道者が、生涯、この身分を貫けるのは、聖体と、告解と、共同生活のお陰と思っている。
人間は、神から出て、神に帰る存在だ。
素直に、有りのままに、司祭に正直に告白する。
祭壇前の小さなローソクにも、4本に灯がともった。降誕祭は間近い。お祝いムードも大切だが、こころの整理も大切だ。ただ、浮かれていては、いけない。清らかな心で、幼子イエスをお迎えしたい。ホームの女性が、「告解に行きます」の声を聞いた。
クリスマス・カードが何枚か届いたが、その中で、「いい絵だな」と、ジーッと見つめたカードがあった。
クリスマス・カードが何枚か届いたが、その中で、「いい絵だな」と、ジーッと見つめたカードがあった。
馬小屋のクリスマスを始めたのは、アシジの聖フランシスコ。白い文字のラテン語が記されている。小神学生のとき、ラテン語を習ったので懐かしかった。「今日、キリストは、お生まれになった。今日、救い主は、現れた」
全世界が、この日を喜び、お祝いする。「なんでだろう、なんでらろう」。真の意味を本当にしたい。
★「こころに、キズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」
★「こころに、キズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」
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