過ぎ去りましたが、12月16日は、修道士セルギウスさんの命日でした。逝かれて10年になります。103歳でした。
ベッドのセルギウスさんの手を、しっかり握るのはトマの手です。腕は、痩せていたが、握力は強く、温もりがあった。
あの日、早朝、病院からの電話。トマと他の2人が駆け付けた。
平静に目をつぶり、計器だけが、脈拍を刻む。胸を撫でると、脈が高くなる。しばらくして白衣の人が、悲しい時を告げた。
★トマは、温かい胸を撫ぜつつ、叫んだ。「セルギウスさん、日本へ来て、よく頑張ったね。コルベ神父さまの所へ行きなさい」。叫びは、号泣に変わっていた。自分でも、びっくりする程、何十年ぶりの涙だった。午前6時45分。
★彼が90歳を過ぎた頃、トマは彼の『回想録』を録音した。「どうして、そんなに長く日本に居るのかと、よく聞かれるが、理由は、2つある」
★最初、日本へ着いた日の出来事。シベリア鉄道から、船で下関へ。着いた所が、汽車を間違えて、熊本だった。慌てて、長崎行へ乗り換える際、財布もパスポートも無くした。汽車の窓から、娘さんが身を乗り出して、渡してくれた。「最初の印象、日本人は、いい人。日本人の好意を強く感じたわけです」
もう1つは、コルベ神父が帰国する時、別れる際に、聖母に騎士の大門の所で、「自分は目上の命令で帰りますが、あなたは死ぬまで日本で働いて下さい。後を頼みますよ」と願われたからだった。
★セルギウスさんとは、長年、一緒に暮らした。食卓も同じテーブルだった。94歳まで、ルルドの係りを勤める。その後、病院での療養が始まった。101歳のとき、病院・ベッドで、まだ会話が出来た。トマが見舞いに行った時の会話です。耳元で「ジンドブリ(こんにちわ)」「ジンドブリ」と反応した。「ジンクーエン」「ジンクーエン、バルゾ(大いに)」と手ごたえがあった。トマが「マキシミリアン・コルベ」「わたし、セルギウス・ぺシェク」「コルベ神父さま、どんな人?」「聖人、優しい人、いっしょに8年間」「あなたは?」「ツミ・ビト」「あなたも聖人になって下さい」。するとセルギウスさんは「大将、聖人。生徒も、聖人、ならんば(ならなければ)と、ハッキリした言葉で返してくれた。
★セルギウスさんが日本に来た時、24歳。もう1人の修道士と2人で来た。その仲間の修道士が老いた時、ポーランド・二エポカラヌフ修道院へ帰国した。セルギウスさんは、その事を悲しく思っていた。トマは、ポーランドで、その修道士に出会った。彼は100歳で召された。人生、誰にでも、素晴らしいドラマがある。
★長崎といえば、オランダ人、イギリス人が思い浮かぶが、ポーランド人も素晴らしい人たちが居た、それを知って欲しいのです。「あなたに出会って、本当に、よかったよ。人生、幸せになったよ。そう言える人に出会うのが、一番の恵みです」
セルギウス修道士様のこと色々と教えて下さって有難うございました。
返信削除浦上出身の友人の亡きご両親も同じ頃同じ病院に入院されていてセルギウス修道士様の事を聞いておりました。
また札幌の友人もセルギウス修道士様と出会い交流があり今日のトマさんの日記を読み涙が出たそうです。
天に召される時トマさんが寄り添って下さっていた事を知り感謝致しますとの事でした。
今夜セルギウス修道士様の為にお祈り致します。
セルギウス修道士様ジンクーエン、バルゾ