「飯(いい)盛(もり)山」。
本当に、ご飯を盛ったような山。
むかしの人は、いい名前を付けたね。
真ん中に、一本の区切り。
多分、頂上に、電気柱が有るみたい。
徒歩の時代は、両脇に、旧街道。
この道は、長崎から、温泉街へ。
いまは、トンネルがあって便利。
中古の白い軽を運転して、よく走る。
山を見る度に、こころが癒された。
トンネルを出た場所に、1軒の家。
「山の里・うどん」屋さん。これだ。
豪華な看板に釣られて、よく食べた。
店には客が多く、繁盛していた。
いつも「肉うどん」を注文する。
これが又、ウマイんだな。
運転の疲れを癒す「ウドン」だった。
コロナの時代、店は、今も有りや。
一杯のウドンだが、ありがたい。
こんな風情の有る店は、残したい。
★今日の昼食に、「肉うどん」。ススリながら、ハラの具合も考える。
ハラが安定しないと、気持ちがブレる。
何とか、誕生日までは、頑張ろう。
ミサで祈り、入浴もする。
神の声は、聞こえるか。
こころの耳を、そばてて、沈黙。
神に、命のつながりを、感じるか。
老いて、欠けた所もあれば、幸もある。
希望と、気力だけは、失うな。
肉うどん、最後の汁まで飲み干した。
麺類ですと食べやすそうですね。
返信削除それも肉うどんとあれば、スープの滋味も
たっぷりでしょう。トマさん思い出の
牛肉の天ぷらも想い起こします。
ホーム栄養科の皆さんの工夫を感じ取ります。
栄養科の皆さん、ジンクーエン。
まさに姿が飯盛の「飯盛山」から始まる食と健康、
繋がる希望とシンのある人生についての発信に、
発想・筆力共に十分と感服いたします。
トマさんの書がトマさんの内面の表出で、
書は、いつも流れるようであることにも
重なると思いました。
トマさんは年令を重ねて欠けたところも
あるとおっしゃいますが、年令関係なく
人には欠けている部分が必ずあるのに、
いつでも欠けていないという大いなる
勘違いと傲慢さと共に過ごしてしまいます。
こうして考えると、日々新たに変容に
敏感に気付かされるのは、幸いなのでしょう。
瀧神父さんがおっしゃるとおり、
変容は希望です。
トマさんのお疲れとお身体のご負担が
少しでも早く癒えますようにお祈りします。
肉うどんで少し回復出来て良かったですね。
返信削除フランスから引き続きトマさんのために祈ります。