2020年4月29日水曜日

昭和の日。激動の時代だった。生まれて育ち、初老になった

トマが持っているのは「デジカメ」です。もう古くなった。デジカメからパソコンへ写真が取り込めない。まず写真が入らないと、文章を書くのに、落ち着かない。調子が出ないんですね。
隔離された部屋に、電気屋さんに来てもらって、操作を教えられた。なんとか、やっと、写真が入るようになった。トマが持っているデジカメは、販売していないそうです。
★きょうは昭和の日でした。昭和3年生まれだから、昭和を生きて来たモンです。小学生の頃のトマです。
昭和は激動の時代でした。
小・中学校の時代は、軍事教練だよ。「気合いを入れるぞォ」。きたわれました。イヤな時代だよ。教師に「神武天皇」から「昭和」まで、天皇の名前を暗記せよ、と言われた。30代ぐらいまで覚えたかかな。いまでも、スラ、スラ、出てくるよ。
戦争が終わると、すっかり世の中は変わった。「民主主義」なんて、初めて聞いたよ。アメリカ兵のジープやトラックを見た時、「竹ヤリ」持って、よく戦う気になったな、バカげた話だよ。
平和が、どれほど尊いか。自由か、安心か、よく分かったよ。戦争は2度とイヤだね。アジアの人たちにも大変な迷惑をかけた。申し訳ないよ。
★昭和天皇さまは波乱の人生を送られた。国民は、天皇さまを「現人神(あら・ひと・かみ)」と敬った。「天皇陛下」と声を上げると、みな、直立不動の姿勢をとった。
その昭和天皇さまが、「人間宣言」をして、全国を巡られ、戦争で傷ついた国民を労われ、励まされた。天皇さまは、ホコリにまみれた背広を着ておられた。国民は、天皇さまを見て、泣いたよ。辛かったろうな、同情したよ。
★この写真は、長崎県大村市の戦災孤児の施設、騎士園を訪問された時です。大村の人たちが、歓迎した。この人たちの、息子や、兄弟が、戦争に駆り出されて、戦死しているんですね。恨み、つらみは、なかった。「これからは、よい日本を作りましょう」。みな、そう願っていた。
★きょうは、昭和天皇さまが、ご誕生になった日です。25歳のとき、昭和が始まる。昭和64年1月7日に、87歳で崩御された。昭和から平成に変わったとき、小長井町の施設の小・中学校に居た。昭和は長かった。それだけに、侵略、戦争、屈辱な敗戦、国の発展を思う時、その道は、ドロ沼であり、殺傷であり、飢え乾きであり、焼け野原からの立ち上がりだった。昭和は、なつかしい。そして昭和は、遠くなりにけり。

2 件のコメント:

  1. いつも読ませていただき感謝申し上げます。同じ信仰者のはしくれとして、登明さんに学ぶことが、教えられることがたくさんありました。これからもお元気でお過ごしください。お祈りいたしております。

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  2. がぶらってぃ2020年4月30日 14:10

    トマさんが描かれた絵やイラスト、トマさんの目を通じて撮られた写真が
    記事に入ることで、おっしゃるとおりデジタルな表現であっても日記全体のリズムがつきますね。
    読み手の私達には、わかりやすく、想像を膨らませやすくしてもらっています。
    手を掛けていただき、ありがとうございます。

    昭和帝の大村の騎士園でのご様子は、写真でも余り見たことがありませんでした。
    大村の明るい日差しと歓声が聞こえるようです。

    どの時代のどの価値観にあっても、何かを一身に受けていらした方の存在は、
    とてもありがたいものと思っております。

    昭和・平成・令和の流れの中で、トマさんと同じ時代にふれあえていることに
    感謝いたします。

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