ホームの庭の、3つの場所に、ソテツがある。その1つのソテツです。数日前に、数人の入居者によって、葉が皆、切られた。茂っていた多くの葉が切られて、なんだか寂しそう。
★きょうは、教会では、「枝の主日」といって、ミサの前に、このソテツの葉をそれぞれが持って、これから始まる主イエスの受難を黙想しながら、行列するのです。いよいよ今週は「悲しみの週」になります。
★切られたソテツの葉は、教会の入口に準備されていた。しかし「コロナウイルス」の蔓延のため、教会は入場できなくなりました。こんな所にも、影響を及ぼします。
★「主の受難」の始まりです。本当の愛。神の愛を示すために、主イエスの「ゲツセマ二の園」での苦しみや、「十字架の道行き」などの苦難が始まるのです。「我が父よ、この杯、我より去れかし。されど我が意のままにあらず。おぼしめしの如くになれ」
★「杯」とは、苦しみです。苦しみは、痛む。悲しい。望まない。きょうは、この言葉から、1人の親友を思い出した。彼は、私たちが少年の頃からの友でした。彼は、作家でした。地方の「文学誌」に、小説も書いていた。「ボクは、ね。別の名前を、『泉(いずみ)卓也』というんだ。『せん・たくや』と読めるだろう」。彼は「せん・たく・や」(クリーニング店)を経営していた。トマとは、本当に仲が良かったよ。
★その彼が、腹部のガンに罹った。手術前に、トマの所に来て、「頼むから、色紙を1枚描いてくれ。言葉を入れて欲しい。『おおせのごとく、我になれかし』。いま、トマは、彼が書いた字を見詰めている。
★「苦しみから、逃げるな。主と共に、『杯』を受け止めよう。主と一緒に、耐えて行けば、道は開ける」。そういう彼の言葉が聞こえてくる。
いい話ですね
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